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わが隣国(りんごく)の徹底(てってい)した父系連鎖(れんさ)の例(れい)を垣間見(かいまみ)たが、他の大陸(たいりく)諸国家(しょこっか)、特(とく)に西洋社会については章(しょう)を改(あらた)めて、あるいはその都度(つど)取(と)り上(あ)げてみる。まずは、日本の古代(こだい)母系社会を追ってみよう。
私は、昨年一年ほど茨城県(いばらきけん)に居住(きょじゅう)していた関係(かんけい)で、そちらの歴(れき)史書(ししょ)を少(すこ)しひも解(と)いた。かつて幕末(ばくまつ)の薩摩藩(さつまはん)の史料(しりょう)を読(よ)んだ延長(えんちょう)で、水戸藩(みとはん)関係の本が中心(ちゅうしん)だった。そして実地(じっち)に史跡(しせき)を歩(ある)き廻(まわ)ったりもした。それも一段落(いちだんらく)すると、若(わか)い頃(ころ)、読まなければと思って、そのまま等閑(なおざり)にしてきた本を憶(おも)い出(だ)したのである。それは、『常陸(ひたち)風土記(ふどき)』であった。その舞台(ぶたい)に居(い)れば、それなりに頭(あたま)に入(はい)るだろう、と思って。
読み出すと、なかなか興味(きょうみ)がつきない。そして久(ひさ)しぶりに小説(しょうせつ)などとは違(ちが)った、読書(どくしょ)の喜(よろこ)びと興奮(こうふん)を覚(おぼ)えた。『常陸風土記』は、8世紀の常陸(ひたち)国(こく)における記録(きろく)に過(す)ぎないといえばそれまでだが、大袈裟(おおげさ)に表現(ひょうげん)すると、その時代(じだい)がそのまま現代(げんだい)にタイムスリップしたかのような錯覚(さっかく)さえ覚えたのである。おそらく、その地に居なければ、そういう感覚(かんかく)は味(あじ)わえなかっただろう。いわばそういう種(しゅ)の興奮だった。当然(とうぜん)、地元(ぢもと)の郷土(きょうど)関係書に入るので、その本についての注釈書(ちゅうしゃくしょ)はかなりあった。それらも読み進(すす)めていくうちに、今度(こんど)は『万葉集(まんようしゅう)』の「東歌(あづまうた)」や「防人歌(さきもりうた)」の世界(せかい)に入り込(こ)んだのである。
もちろん、これらは茨城から清水(しみず)のほうへ戻(もど)ってからになるが、とにかく、空想(くうそう)を掻(か)き立(た)てることこの上ない「古典(こてん)」だった。
ただこの日本の「古典」と呼(よ)ばれる本に対(たい)して、私の関心(かんしん)は、「万葉秀歌(しゅうか)」を鑑賞(かんしょう)することではない。日本古代の母権(ぼけん)・母系社会が、特に「東歌」や「防人歌」に、つまり現代のわれわれと変(か)わらない位置(いち)にいる庶民層(しょみんそう)に、どう表現(ひょうげん)されているか、という点(てん)につきた。