旅行、ときどき車弄り

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(中編)清荒神清澄寺・大塚国際美術館・県立公園花さじき・西本願寺・東本願寺・日吉大社・西教寺・岐阜大仏・光前寺/ホテルテトラ大津

2024年05月11日 | 関西・四国・中国・九州・沖縄(内訳)

(前編)より 

4泊5日と長期間なのは本願寺と滋賀を入れたから。大塚だけなら新幹線が早くて安いのです。脂質制限で膵炎は抑えられたのですが全身の骨が痛くて(病気もほぼ判明) この際、一気に巡ることにしました。

明石海峡を渡ったら渋滞回避で淡河PA~宝塚北SA経由で迂回、2:30で滋賀の大津駅に着きました。宿は「ホテルテトラ大津」デラックスツイン(34.7平米〜) @11,200-じゃらんクーポン1,000=@10,200円 日航プリンセス京都の半額で京都駅までは僅か2駅10分です。

ホテルには駐車場が無いのですが徒歩6-7分で24時間1,000円がありました。

部屋は広いがユニットバスで、朝は私のトイレ回数が多いのでクレームが入りました。荷物は全てビニール袋、防虫剤は撒き捲りました。京都に近い大津駅前ホテルなんて南京虫がヤバいです。フロントも中国人でしたし。


駅の真ん前で改札とは地下で繋がっており便利です。歩き疲れたので大休止しました。


夕飯は大津駅近くの「世界各国のビール×クラフトビール×スペアリブ Nico」へ。Googleの評価も4.6と良いのです。料理も美味しく、対応も良かったです。京都なんか、食ってる横で掃除されたもんな(大人しく早々と食べたのに)


他にもたこ焼きとか鳥料理とか色々と頼みました。

妻はこのビールが美味しかったそうです。


朝食はバイキングですが、価格から考えればかなり良いです。席も好きに選べました。この宿は京都観光のベースにも最適です。大津駅前には飲み屋も多いですし。

荷物は車に積んで大津駅から鉄道で京都に向かいます。

 「西本願寺」は2度目、妻は初めてです。一昨年迄修復中でした。まずは江戸初期築の「唐門(国宝)」へ。外から見るには回り込むのですが敷地が広いので予想以上に歩きます。


内側からでも大差なかったです。


綺麗に修復されていました。





左の建屋が江戸初期築の「御影堂(国宝)」、右が江戸中期築の「阿弥陀堂(国宝)」です。内部は撮影禁止でしたが東本願寺より地味です。「御影堂」は「ごえいどう」と読みます。「みえいどう」だと思ってた(汗)


渡り廊下です。2枚目は「書院(国宝)」の屋根です。鳳凰かな?修復はこれからみたいですね。ちなみに「書院」や「飛雲閣(国宝)」などは限定公開です。京都はコレが多いのです。奈良は少ないのにな。


隣の東本願寺への途中に明治築の「本願寺伝道院(重文)」がありました。元は信徒用の保険会社だったそうです。閉まっていました。


京都から西本願寺まで徒歩15分、西から東は10分です。「東本願寺」は火災で明治28年の再建で「御影堂」「阿弥陀堂」とも国宝でなく重要文化財となります。


手水も西より立派です。家康が西(秀吉)の後に建造しましたので負けない豪華さがあります。


内部も柱が太くて迫力があります。


阿弥陀像が見えます。渡り廊下にも参拝客が多いです。


渡り廊下から1枚。京都駅から近いので生徒も多いのです。リーマン時代は指定席が取れた時間まで暇潰しとしてよく寄りました。


「御影堂」では法事中?でした。このような金ぴかは西では見れません。


「御影堂」の奥に通路があって地下にはコンクリのドームが!


講堂でした。


「京都駅」にはベンチが多いです。地下鉄ですと座布団マット付もありますし。2枚目の△や↑のマークは、ホームにも同様に描かれており行先別の立つ場所を示しています。関東だと文字と色ですね。我々は大差ありませんが、外人には前者が便利なのでしょう。


大津駅から「日吉大社」までは車で20分です。途中、近江神宮(かるたで有名)や三井寺を通ります。信長の比叡山焼き討ちで焼失しましたが1500年代末に再建、そのほとんどが国宝&重要文化財です。

西本宮 楼門(重文)

猿に因んでいます。2枚目は西本宮 拝殿(重文)


西本宮 本殿(国宝) 2枚目は宇佐宮 本殿(重文)


これらは隣接していますので続けて拝観できます。2枚目は白山宮 本殿(重文)です。


白山姫神社 拝殿(重文) 以上、全て1500年代末の建造となります。マイナスイオン♪ 涼しくて気持ち良かったです。


東本宮 楼門(重文)2枚目は左が樹下宮 本殿(重文)奥が東本宮 拝殿(重文)となります。西と東は林の中を歩きます。


東本宮 本殿(国宝) 他にも小さな神社が方々にありました。


車で5分で「西教寺」です。ここも焼き討ちで焼失、1574年に復興されました。





25体の仏像はレプリカで、本体は屋内に鎮座します。2枚目は左側の小さいお墓が光秀の御内儀のもの。本能寺の前に光秀の看病疲れで病死したとか。夫婦仲は良好で逸話も多いです。


芭蕉の句碑です。

「月さびよ 明智が妻の はなしせむ」
伊勢神宮参拝時に貧しい弟子宅に泊まった際の、精一杯のもてなしに返して詠んだ句だそうです。
「月さび」とは月の閑寂な趣。芭蕉の排風は「さび」だそうです。「光秀が貧しかった頃、妻は黒髪を切り売ってもてなした。光秀は忘れずに妻を終生労わった。」たぶん「厚い持てなしを忘れない」とのお礼の気持ちかな。
「麒麟(きりん)がくる」では、ゆかりの地を巡るコーナーでこの句が紹介され、「貧しいけれど、できる限りのもてなしをしようとした光秀や弟子夫妻の生き方に心を打たれる」と解説されたとか。

Wikiには「月も静かにひっそりと照らしてくれ、明智が妻の昔話をするほどに」と記載されていますが。
2枚目は比叡山からの真盛上人(しんせい しょうにん)の本廟へですが断念しました。既に背中から足への痛みで引きずっていますから。

本堂(重文)は江戸中期に改築されています。本尊の木造阿弥陀如来坐像(重文)は2.8mと大きく焼失前の鎌倉時代デザインに近いです(画像はパンフより)


2枚目は書院と客殿(重文)で同じく江戸中期改築です。書院から客殿へ上がれます。


撮影不可ですが、小部屋がたくさんあって壁&襖絵が覗き窓のガラス越しに見られますが薬師如来は秘仏です。2枚目は客殿の庭園です。


この仏像は痛みが激しいので庭にレプリカを置いて屋内に移されました。桃山時代のもの。2枚目は何かと思いましたが、昔の手水の注ぎ口ですね。

仏像は大きいし、上記の他にも庭園がありました。妻も日吉大社&西教寺は楽しめた、と。私も三井寺より楽しめました。この日は18,000歩でしたが、私の場合は7,000歩が限界と知りました。



(後編)へ続きます

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