TR-5200とTR-1200 いづれも50MHZのAM/FMトランシーバー
開局した当時 拙者の住んでいた名取市周辺で50MHZを運用していた方をあまり知らなかった
1~3エリアの様な大都市圏では50MHZ帯運用者は大変多かった様に聞いていましたし
例の『初歩のラジオ』等でも 「入門用に最適」の冠言葉が付けられていた様に覚えています
しかし 拙者が開局する際に50MHZ帯を考えていなかった最大の理由は 多分『TVI』
比較的 テレビジョン受像に関しては強電界地域ではありましたが 当時の仙台市周辺のTV放映周波数は当然 VHF帯
しかも ローチャンネルに集中し 1chはJOIR-TV(TBS系)3chがJOHK-TV(NHK総合)5chがJOHB-TV(NHK教育)が牛耳っていた
(12chにJOOX-TV(フジ系)が有りました 日テレ系やテレ朝(旧NET)系はその後 UHF帯解禁で放映される事になる)
特に50MHZ帯の倍 100MHZ界隈の3ch NHK総合への障害を恐れた結果です
当時は当然 自立鉄塔なんて持っている訳もなく 瓦葺の屋根にルーフタワーなんて発想どころか「物」が無かった!
交信する相手局が近くに居ない+電波障害が怖い=運用しない! の図式が必然的に出来上がった(全て机上の空論)
まあ HF帯で開局するも トラップバーチカルアンテナを地面から50㎝位の所で給電していたので
近隣(2軒隣)のTVに「モガモガ」音は入っていたらしい!(21MHZ運用で)
仙台市内の工業高校に入学し 一泊二日の「遠足!」にTR-1200 をぶら下げて来た同級生が居たが Eスポの発生も無く
ロッドアンテナから発射された電波では交信出来ていなかった様だ
福島県いわき市(当時は平市)の塩屋崎灯台(映画「喜びも悲しみも幾年月」の原点といわれている)に登ってQRVしていた
TR-1200の現物を見たのはその時が初めて
当時は『1VFOでトランシーブ運用!』なんて紹介されていた
HF帯のセパレート機のですらVFOの共有が無いTX88Dと9R59D(S)が販売されていた頃の話ですから
井上電機製作所(現ICOM)のFDAM-3なんて格好いい2VFO!搭載の機器が普通で
送受信の周波数を合わせる「キャリブレート」操作を必要としていた時代!
IC-71が出た時に「何か凄い機械」と想っていたらTR-5200がTRIOから発売になり大ヒットしましたね~
結局 拙者が50MHZ帯にQRV出来るTRXを手に入れられたのは社会人1年生の夏の賞与(実績が無いから「金一封」って奴です)で購入した
IC-551が初めてでした
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