毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「『焼き場に立つ少年』今この写真が大切だ」No.2154

2018-01-02 22:49:10 | 反戦平和

  

米軍の長崎原爆投下によって被災し、死んでしまった弟を

おんぶ紐で背中にくくりつけ、

歯を食いしばって焼き場に立ちつくす少年。

ローマ法王フランシスコが、

この写真を印刷したカードを世界に広めるよう指示したそうです。

カードの裏には、法王の要請により

「戦争が生み出したもの」という言葉が記されているとのこと。


ところが、

沖縄の幼稚園や小学校に米軍機の部品が落下したことを

「捏造だ」「ヤラセだ」だという悪質電話が後を絶たない今、

この写真まで捏造だと言い出してる人がいるそうです

動画NHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見た長崎(NAGASAKI)」

https://www.youtube.com/watch?v=UTu5h-cGyk4

 

この動画を全国津々浦々の学校で見せたら

どれほど子どもたちは戦争と平和について深く考えるかと思いますが、

まず、「捏造」のヘチマの言う人に見せたいですね。

少年の写真を撮った占領軍カメラマン、ジョー・オダネル氏は

撮影した時の様子を次のように語っています。

ーーー(1945年長崎の爆心地にて) 

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。

すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。」

 


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7 コメント

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少年がいて (こきおばさん)
2018-01-03 08:28:36
この写真、世界的に有名な写真です。ローマ法王が世界に発信するように言われたことは素晴しいことだと思います。その価値のある写真です。
この写真をもとに山梨では2006年に「少年がいて」という経緯峰ミュージカルを、県民の手で制作し上演しました。
その後も100人の出演者をオーディションで選んで、県民によるミュージカルの上演が2008年の「ロラ・マシーン物語」(目の前で父を殺され、慰安婦にされたトマサ・マサノグさんのこと) 2011年の「ドクターサーブ」(中村哲医師) 2015年の「鯨波(とき)の声」(福竜丸の物語)と上演してきました。
毎回ほんの少し関わらせていただいていました。出演した子どもたちの成長が楽しみでした。
大変なことですが、また上演されるといいと思っています。
ごめんなさい (こきおばさん)
2018-01-03 08:32:45
意味の解らない分になってしまいました。
・・・3行目の文は「少年がいて」という憲法ミュージカル・・・です。
山梨県民は過去4回、憲法ミュージカルの上演をしてきています。
山梨県民 (ブルーはーと)
2018-01-03 22:24:24
こきおばさん様のブログにお邪魔するまで、山梨県が石橋湛山ゆかりの地だということも、平和を希求する活動を続けていることも、な~んも知りませんでした。やはり、発信していただいてこそ、です。
山梨がやっていることは、他の都道府県でもできますよね。山梨の平和活動をお手本に、日本全体に裾野が広がりますように。
その「憲法ミュージカル」上演が何といっても最高にいいですね!子供たちがその劇に出演すれば、演技しながら一生懸命平和について考えるでしょう。子ども劇団を作るというのも、一つ、いい考えですね。
母として (母)
2019-02-02 15:01:54
怒りとも哀しみとも違う少年の目が印象的です。
人によって感じ方はまちまちだと思いますが、私には使命感を感じます。
きっと町には死体が沢山あって、腐敗したのもあったことと推察します。
大事な弟を、せめて綺麗なまま送ってあげたいのではないのだろうか?
そして、兄として男が人前で泣いてはダメなんだと示しているように思います。
二度とこんな悲しい子をつくらないために (ゆゆ)
2019-02-02 15:57:17
二度と戦争を起こさないために素晴らしい憲法9条を守ろうと言ってます。憲法9条のおかげで日本は平和だと言ってます。
本当にそうでしょうか?
残念ながら違います。リスクがあるから戦争をしないのです。日本に攻め込むとアメリカに報復されるから出来ないのです。現代において軍事力の元でしか平和は無し得ないのです。
でも、9条のおかげで平和でいられるでしょ?と思いますか?
日本の領土である竹島が韓国に占領されてるのに?
竹島は日本が敗戦して軍隊を解体された隙をつかれて占領されたのです。当然その時に9条はありました。
軍隊が無い日本は余りにも無防備なので自警団を組織して出来たのが自衛隊です。
北朝鮮の拉致にしても、9条があるが為に他国に乗り込んで救出出来ないのです。

どこの国の為の憲法なんでしょうね?
日本を狙う国にとって、日本には強くなって欲しくないですからね。

「専守防衛」は聞こえは良いですが、先に攻め込まれると言うことです。兵隊がライフルを持って攻めて来るとお考えならあなたは昭和の人間です。
これだけ世の中にITが拡がっているのですよ?
戦争も当然ITです。
スイッチ1つで日本が火の海になります。
専守防衛ですから相手が撃ってくるまで動けません。
残念ながら日本の迎撃ミサイルの性能はよくありませんから、取りこぼしたミサイルはあなたの大切な人の命を奪うかもしれないのです。
そうならない為には「この国に攻撃したら自国が滅ぶ」と思わせなくてはいけません。
本当に平和を望むなら、攻撃するかどうかを相手に委ねたら絶対にダメです。
「母」様 (ブルーはーと)
2019-02-05 11:36:12
「母」さんが写真からコメント文のようにお感じになったということは全く否定しません。当時の教育内容を見るとさもあらんとも思えます。
しかし、私が疑問に思うのは少年のみならず「母」さん御自身もそれを肯定している(と思われる)ことです。
私たちはこの戦争の始まりから結末に至る過程(歴史)を不問に付して、家族を失った気の毒な少年に自己の戦争に対する無反省な思い込みを代弁させてはならないのです。
1945年から2019年までの長い年月、私たちは考え続けなければならなかったのですが、「母」さんからその思考の深さを感じ取ることができませんでした。残念です。
ゆゆ様 (ブルーはーと)
2019-02-05 12:47:01
ゆゆさん、あなたが日本政府の常日頃言っていることを「ごっくん!」と鵜呑みにした音が聞こえてきましたよ(笑)。
日本がアメリカの傘の下で戦争を回避できるので、安保条約ー日米協定は必要だというのですね。それは戦後アメリカが日本統治の基本として日本政府に指示し、日本政府が受け入れてきたものです。なぜ、ゆゆさんはそのこと自体を不問に付すのでしょうか。まず、戦後のスタートから丁寧にチェックしていこうではありませんか。
 憲法9条が日本を戦争から守っていないというあなたの言葉も歴史的事実ではありません。朝鮮戦争の際、日本がアメリカ軍側について参戦するように要請されたとき、吉田茂首相は日本国憲法の「国際紛争を解決する手段として戦争と武力の行使はしない。陸海空軍を保持しない」という点を持って、参戦を拒否することができたのです。
 憲法9条は、戦火の下で逃げ惑う中東地域の人々のみならず多くの国の人たちから「日本はいいね。戦争しないと憲法で決めているから、どこの国からも攻めてこられないよね」と本当に羨ましがられるものです。私が今駐在する中国でも同様ですよ。それは、ゆゆさんが海外に行って、他国の人々と話をすればすぐ実感できるでしょう。
そもそも、日本の現政権の「戦争のリスク」こそ時代を19世紀に引き戻す戦争概念に基づくものです。第一次世界大戦後、「戦争をすること」は悪であるというのが世界の共通認識になり、第二次世界大戦で日独伊が連合軍と徹底的に闘わざるをえなかったのは、「日独伊はこの時代にあってまだ他国を侵略をしようとする悪者グループ」という錦の御旗が連合国側にあったためです。第二次世界大戦後、やたら他国に戦争をしかけているのはヤクザ国家アメリカぐらいなもんですが、そのアメリカですら、「テロとの戦い」とか「大量破壊兵器を隠している」とか理由をでっち上げなければ正々堂々とできなくなっています。その理由、根拠も定かでないウソなんですけどね。
 戦争で誰が利益を得、誰が犠牲になるのか、歴史的事実を丁寧にみていきましょう。日中戦争で三井・三菱・安田など旧財閥が政府と手を結び、どれだけぼろ儲けしたかは御存知ですか。沖縄では上陸する米軍に対して軍隊は民間人を守らなかったことを体験者は口々に訴えています。国策で満州に渡った人々も、敗戦後軍隊だけさっさと日本に引揚げた後、死の彷徨を余儀なくされ多くの民間人が侵略地中国で命を落としました。さらに原爆投下された広島は具体的にどんなことになりましたか。『黒い雨』(井伏鱒二)、『夏の花』(原民喜)は小説ですが、広島で庶民が体験したことを今もなお伝えてくれます。どうかお読みになってください。
 長々と書く時間はありません。ゆゆさん、私たちに必要なのは、「攻め込まれる前に攻め込む」というビクビクして萎縮した発想ではなく、世界をどのように作っていきたいのか、自分たちはどのような世界で生きたいのか、そのためになにをするのかという問題のたて方です。自分の身だけを守る、他はどうでもいい、という情けない発想はやめましょうよ。どこの国の庶民もみんな同じで、愛し合って生きていきたいのです。日本の私たちに他に換えがたい大切な人がいるように、どの国のどの人にもその人のためになら何でもするという宝物の存在があるのです。

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