鞍馬山のウエサク祭のことを考えているのですが、やはり天狗が気にかかります。
鞍馬山には、やはり天狗がよく似合うのではないでしょうか。。
天狗は日本の天使ですから。
ウエサク祭が「心のともし火」を一人一人捧げ持つお祭りであるというのも、「魔王のお祭り」であるというのも、天狗との深いかかわりがあるのではないかと思えてなりません。
「天狗と庶民信仰」という民俗学者 五来重(ごらいしげる)さんの文章を抜粋して引用します。
*****
(引用ここから)
修験道の栄えた山ならば、どこへ行っても天狗を祀る神社や祠(ほこら)が見られ、それは今も真剣に信仰されている。
本来は天狗信仰であったものを日本武尊や崇徳天皇に替えたものもあるが、その信仰の対象は依然として天狗である。
これは山岳宗教の中で発生した天狗信仰というものが、その原初形態に近い形で今も生き続けていることを意味する。
したがって天狗は原始信仰の表出であるところから、文化宗教や文化意識には受け入れられなくなって、神や高僧や山伏に使役され、その従者となり、やがては道化役にまで転落することになった。
その代わり、原始信仰を生のままでいかした庶民信仰の中では、野生的で生命力にあふれた霊力と呪力をもち続けたのである。
「山神」、「山霊」であり、その神霊観の原質をなす「祖霊」であるところの天狗は、もともと形象の無い霊魂であった。
“もの”、あるいは“木魂”、あるい“すだま”であった。
これに形象を与えていたのは修験道儀礼や、修験道芸能、あるいはこれを描いた絵画であった。
そして山神、山霊、祖霊の働きを語る神話が、天狗を語る説話となり、やがて御伽草子、民間説話に下降し、その破片化から昔話が生まれた。
このような経過を辿って天狗は継承されたのであって、天狗の不可解な姿や働きは、その原質をなす霊魂に還元しなければ、たやすくは理解できない。
いまでも全国に広く分布する天狗信仰は、大部分は火難、盗難を免れるための火伏せ、盗難よけの霊力が信仰される。
これらの天狗信仰がきわめて真剣なことはおどろくべきものである。
わたしはよく鞍馬へ登ると奏上が谷の奥の院魔王尊へ行ってみるが、そこにはいつも熱心な信者の読経や気合いの声が谷に木魂して鬼気迫るものがある。
鞍馬寺の表は毘沙門天信仰であるが、その裏に鞍馬天狗の信仰が根強く生きている。
江戸時代まで参詣者に火打ち石を授けていたのも、この“天狗の火伏せ”があったからであろう。
これは愛宕山の「火打ち権現」に対応するものであるが、火打ち石を授ける信仰は出羽の羽黒山・奥の院常火堂にも昭和25年くらいまであった。
これから類推すると、鞍馬山にも愛宕山にも“不滅の火”を焚いた時代があったと思われ、火は天狗の属性だったことが分かる。
日光の古峰神社は神仏分離の時、その本殿の御神体だった巨大な天狗面を外に出して、日本武尊を御神体としたことはよく知られている。
その大天狗は畳一畳にも余るほどで、明治以前はこれが土間にあって、“不滅の火”を焚く炉があったという。
まことに原始的な構造で、天狗の御神体の前で“不滅の火”が焚き継がれていたことになる。
すべて神仏分離で構造が変わり、“不滅の火”は客殿の廊下に移され、土間には床が張られて畳を敷き、外陣となったのである。
この不滅の火は今も「消えずの火」として大火鉢に炭が焚かれ、参詣人はこの火の大鉄瓶の湯をのんで、厄除けとする。
山岳信仰には“不滅の火”がつきもので、これは山に集う祖霊のシンボルとして焚かれ、霊魂の永遠不滅をあらわしたものと、わたしは考えている。
比叡山や高野山などでは、それが「仏法の不滅」をあらわす「不滅の宝灯」に変えられたまでである。
修験道系の神楽と田楽に天狗がまつられ、天狗面の舞があることは枚挙にいとまがない。
これは修験道が山岳宗教であるかぎり、いかに仏教や陰陽道を習合しても、山神、山霊は信仰と儀礼と唱道の中心でなければならなかったからである。
しかも姿なき山神、山霊を形象化したのは、山伏が悪魔払いの呪的舞を演ずるとき、露払いの面である鼻の高い治道面をかぶったためであろうと、わたしは考えている。
鎌倉時代の書「天狗草子」に一貫するテーマは、総じて言えば仏教の排除するべき“我執”にもっとも強く執着するのが山伏であり、天狗であると設定している。
これは鎌倉時代には仏教界にありながら、諸宗を向こうにまわして傲慢にふるまう修験山伏が嫌われ者だったためであろう。
したがって、諸宗の中にあって傲慢なるものを「魔界」、すなわち「天狗道」と考えた。
このような天狗観は仏教側からのもので、庶民信仰と修験道側から見れば、天狗はもっと神秘で霊的なものである。
(引用ここまで)
*****
天狗から、高い鼻と、いばった態度と、山伏のいでたちといった劇画的な要素を取り払った姿が、本来の天狗の姿だと言うわけです。
木立の間に住んでいる山のたましいそのものが、天狗なのではないかと。
これも至極まっとうな一つの天狗観であると思われます。
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「ブログ内検索」で
天狗 3件
祖霊 3件
火祭り 3件
カラス 9件
などあります。(重複しています)
鞍馬山には、やはり天狗がよく似合うのではないでしょうか。。
天狗は日本の天使ですから。
ウエサク祭が「心のともし火」を一人一人捧げ持つお祭りであるというのも、「魔王のお祭り」であるというのも、天狗との深いかかわりがあるのではないかと思えてなりません。
「天狗と庶民信仰」という民俗学者 五来重(ごらいしげる)さんの文章を抜粋して引用します。
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(引用ここから)
修験道の栄えた山ならば、どこへ行っても天狗を祀る神社や祠(ほこら)が見られ、それは今も真剣に信仰されている。
本来は天狗信仰であったものを日本武尊や崇徳天皇に替えたものもあるが、その信仰の対象は依然として天狗である。
これは山岳宗教の中で発生した天狗信仰というものが、その原初形態に近い形で今も生き続けていることを意味する。
したがって天狗は原始信仰の表出であるところから、文化宗教や文化意識には受け入れられなくなって、神や高僧や山伏に使役され、その従者となり、やがては道化役にまで転落することになった。
その代わり、原始信仰を生のままでいかした庶民信仰の中では、野生的で生命力にあふれた霊力と呪力をもち続けたのである。
「山神」、「山霊」であり、その神霊観の原質をなす「祖霊」であるところの天狗は、もともと形象の無い霊魂であった。
“もの”、あるいは“木魂”、あるい“すだま”であった。
これに形象を与えていたのは修験道儀礼や、修験道芸能、あるいはこれを描いた絵画であった。
そして山神、山霊、祖霊の働きを語る神話が、天狗を語る説話となり、やがて御伽草子、民間説話に下降し、その破片化から昔話が生まれた。
このような経過を辿って天狗は継承されたのであって、天狗の不可解な姿や働きは、その原質をなす霊魂に還元しなければ、たやすくは理解できない。
いまでも全国に広く分布する天狗信仰は、大部分は火難、盗難を免れるための火伏せ、盗難よけの霊力が信仰される。
これらの天狗信仰がきわめて真剣なことはおどろくべきものである。
わたしはよく鞍馬へ登ると奏上が谷の奥の院魔王尊へ行ってみるが、そこにはいつも熱心な信者の読経や気合いの声が谷に木魂して鬼気迫るものがある。
鞍馬寺の表は毘沙門天信仰であるが、その裏に鞍馬天狗の信仰が根強く生きている。
江戸時代まで参詣者に火打ち石を授けていたのも、この“天狗の火伏せ”があったからであろう。
これは愛宕山の「火打ち権現」に対応するものであるが、火打ち石を授ける信仰は出羽の羽黒山・奥の院常火堂にも昭和25年くらいまであった。
これから類推すると、鞍馬山にも愛宕山にも“不滅の火”を焚いた時代があったと思われ、火は天狗の属性だったことが分かる。
日光の古峰神社は神仏分離の時、その本殿の御神体だった巨大な天狗面を外に出して、日本武尊を御神体としたことはよく知られている。
その大天狗は畳一畳にも余るほどで、明治以前はこれが土間にあって、“不滅の火”を焚く炉があったという。
まことに原始的な構造で、天狗の御神体の前で“不滅の火”が焚き継がれていたことになる。
すべて神仏分離で構造が変わり、“不滅の火”は客殿の廊下に移され、土間には床が張られて畳を敷き、外陣となったのである。
この不滅の火は今も「消えずの火」として大火鉢に炭が焚かれ、参詣人はこの火の大鉄瓶の湯をのんで、厄除けとする。
山岳信仰には“不滅の火”がつきもので、これは山に集う祖霊のシンボルとして焚かれ、霊魂の永遠不滅をあらわしたものと、わたしは考えている。
比叡山や高野山などでは、それが「仏法の不滅」をあらわす「不滅の宝灯」に変えられたまでである。
修験道系の神楽と田楽に天狗がまつられ、天狗面の舞があることは枚挙にいとまがない。
これは修験道が山岳宗教であるかぎり、いかに仏教や陰陽道を習合しても、山神、山霊は信仰と儀礼と唱道の中心でなければならなかったからである。
しかも姿なき山神、山霊を形象化したのは、山伏が悪魔払いの呪的舞を演ずるとき、露払いの面である鼻の高い治道面をかぶったためであろうと、わたしは考えている。
鎌倉時代の書「天狗草子」に一貫するテーマは、総じて言えば仏教の排除するべき“我執”にもっとも強く執着するのが山伏であり、天狗であると設定している。
これは鎌倉時代には仏教界にありながら、諸宗を向こうにまわして傲慢にふるまう修験山伏が嫌われ者だったためであろう。
したがって、諸宗の中にあって傲慢なるものを「魔界」、すなわち「天狗道」と考えた。
このような天狗観は仏教側からのもので、庶民信仰と修験道側から見れば、天狗はもっと神秘で霊的なものである。
(引用ここまで)
*****
天狗から、高い鼻と、いばった態度と、山伏のいでたちといった劇画的な要素を取り払った姿が、本来の天狗の姿だと言うわけです。
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ミネルヴァの梟は黄昏時に飛び立つ・・・ミネルバは知恵の女神。フクロウはその使者である。古い知恵の黄昏の中から、新しい知恵の到来を告げつつ、知恵の女神の使者が飛び立ってゆく。そのようにして、人類は歴史の中を前へ前へと進んでゆく。そうヘーゲルは言いたかった?
アテネはローマではミネルヴァ、アッシリア・バビロニアの神々の中ではアスタルテ(イシュタル)と呼ばれ、いずれも金星の神で同一視されることが多い。古代中国での金星. 宵の明星(明けの明星は啓明と呼ばれた) 虚空蔵菩薩、大白山太子大明神
金星といえばサナトクマラ
///様
コメントどうもありがとうございます。
動物と人間の関わりは、とても大きな謎をはらんでいるように思えますね。
最近のペットブームでは、ペットが死ぬと年賀状も喪中にする人もいるとか。。
動物と人間の境目がはっきりしなくなることで、今、動物たちの魂はどんなことを語りかけてきているのでしょうね。
金星の謎も興味深いですね。
金星と言えば、明けの明星、、明けの明星といえばルシファー、
ルシファーと言えば、堕天使、、
堕天使といえば、サタン、、
天使は悪魔だということになりますね。