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第二海堡


ずっと行きたかった第二海堡にようやく行ってきました。
この第二海堡の建設が始まったのが、明治22年。
ちょうど前年には「大日本帝国憲法」が発布され、またその後の日清・日露戦争~韓国併合へと
まさに当時新興国であった日本がその地位を徐々に世界に向けている最中だったわけです。
そうなればなるほど、欧米列強の目は日本に注がれるのは必至であり、また、日本は
大国ロシアとの緊張関係やそれに準ずる中国、また当時より強大国の片鱗を除かせてきていた
米国などへの警戒感から、防衛線を造るのは必然だったのです。

そして、まだ空戦のない時代、海洋国家である日本にとって、海上ラインの封鎖というのは
最も重要な戦略だったわけですね。一応、この海堡は関東大震災の被害を受けながらも大東亜戦争まで
使用されてはいましたが、実際、大東亜戦争時は既に空戦が主体だったわけですから、
戦略上としての重要性はほとんどなかったでしょう。
このような小さい島は、空爆されれば一発でアウトなわけですから。

今は、釣り人、そしてキャンプを楽しむ人達のリゾートアイランドと化しているこの第二海堡なわけですが、
僕が行った日も 休日でしかも波もおだやかな晴天だったので、僕と友人以外は全てが釣り人でした。

かなり僕らは浮いていましたね(笑)。
釣りをするわけでもキャンプをするわけでもなく、ひたすら跡地を探索して写真撮ったりしてたわけですから。
実は、来る前はもうちょっと僕らみたいな目的の人間がいるのかと思ってたんですが…。

さて、島の感想ですが、基本的には釣り人のための島、といった感じです。
結構みなさん大物も釣ったりしてましたね。話かけてきてくれたおじさんもアイナメと格闘してました(笑)。
島の周りはひっきりなしに、大小さまざまな船舶が往来していて、ここが東京湾である事を実感させてくれます。
基本的に東京湾入口なので、周りを見ると必ずどこかの都市が小さく見えます。
まるで大きな湖に浮かぶ小島といった面持ちです。
でも、天候に恵まれたせいもあるのか、とにかくのどかです。すぐそこが東京だなんて信じられないくらいに。
要塞の跡としては、それはさすがに風化しすぎていて、かつての軍事施設の一端を垣間みる事すらできません。
砲台の一つもあればまた違ったのでしょうけど。

どちらかというと、RPGの世界という感じでしたね。ドラクエとか(笑)。
今にも岩陰や煉瓦の陰からスライムやゴーレムなんかが現れて来そうでした(^_^;)。
でもそれら遺跡の前で、ゆっくりと風を感じながら目を閉じると、その当時の景色や足音がほんの少しだけ
見る事ができたような感覚になりました。

日本という国を守るために築かれた海上要塞。
それはまさに近代日本の、歴史の門番だったといえるのではないでしょうか。
ただ、これもまた歴史の流れ。現在となっては、東京湾の航路にとってこれら3つの要塞は邪魔以外の何者でもありません。
それは地図上でも明らかですし、実際に島に行ってみるとさらに実感します。
全ての船は、この島をよけながら航行しないといけないわけですから。
実際、この島めがけて進んできていた船が直前で迂回していきました。
第三海堡はすでに撤去が始まっていますが、この先、第一、第二海堡も撤去されていくのでしょうか。
もしそうならば、残念な気もします。例えば多くの文化財だけでなく、こういう軍事施設なども、歴史を肌で感じ、
学ぶという面においては大切な存在だと思うんですよね。

ただ単に年号を暗記するだけが歴史の勉強ではありません。当時の歴史観に従って、その時の人々が、
どういう思いで歩き、生きていたか、それを知る事により、自らの考えや価値観をみつめる事が大切なのではないかと
僕は思っています。

そういう意味でも、この島の存在意義は小さくないものだと思うのです。
ただ、島自体、最後を迎えるのを静かに待っているように感じました。

自分の役目を終えたという事を知っているのでしょう。


※残念ながら安全上の問題や施設老朽化の問題等から第二海堡への渡航は
2005年6月末で完全終了してしまうらしいです。

今回の第二海堡の事をホームページに特別ページとしてアップしました。
もしよかったらそちらもどうぞ。
第二海堡特別ページ
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