こたろう日誌
政治無関心層の一人だが、朝日新聞の姿勢に怒りを持つ。

コンプレックスの有った自分の文章能力UPが目的だったりする。
 



Sankei Web 産経朝刊 主張(03/18 05:00)

■【主張】NHK番組修正 朝日は潔く誤報を認めよ

 記事の内容はどうでも良いのですが、過去にこんなタイトルは見たことが無いように思います。そのまんまズバリ。笑ってしまいました。大手新聞社が同業他社を相手にここまで言わないですよねえ、普通。
 小泉さんに小馬鹿にされても、国会で笑われても、同業者にコケにされても、何も言い返せない「朝日新聞」ってどうなんでしょう?

 つの出せ、やり出せ、あったっま~出せ~♪

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朝日新聞のこの記事、何?
「君が代」不起立の教員、今年は減少 都立校の卒業式

 断っておきますが、政治無関心層の私は、「君が代」など興味はありません。

 しかし

>起立か、覚悟の不起立か。教職員たちは悩む。

 そんなことで悩むな!どうでもいいぞ。立とうが座ろうが。立たないほうが良いと生徒に示している君達も、強制している人と同類だ。教育の場に思想を持ち込んでいる害悪は、君達の方が子供達に身近な分、問題だ。そんな事を教師に望んでいる親など、私の周りでは聞いた事が無いぞ。

 いつも思う。そんな事を悩む暇があったら、もっと授業の仕方でも考えろ。我が家の子供達にも評判悪いぞ。授業がまともに出来ない教師が多すぎる。いや、もちろん良い先生もたくさんいる筈だ。しかし、「早く辞めてくれ。」と子供からも親からも言われている教師。普通の会社ならとうの昔にクビになる筈の教師が、親や生徒からの苦情が限界になる度に地域の学校を転々とし、病気療養とか言って1年休んではまた復帰する。その教師の受け持ちになった生徒は、その科目について1年を無駄にする。うちの子も、そんな教師のお陰で特定の科目にまったく興味が持てないでいる。こんな教師こそが害悪だ。それと比べたら、日の丸なんぞ、まったくもって小さな問題だ。子供達の「今」を無駄に過ごさせ、本来享受できる筈の一度しかないチャンスを奪い去り、大人不信を身近で植えつける。こんな大事な問題や、他にも沢山考えるべき事があるだろ。毎年毎年、卒業式の頃になると同じ事を考える。

>「処分をちらつかせて少数者を排除するのは許せない」

 少数者?少し安心。

 朝日新聞の記事は、少数者に全面的に加担し、多数者にはまったく配慮せず、少数者の態度に朝日新聞読者の全てが賛同している事を前提に書かれているようだ。不思議だ。

>昨春は悩んだ末、立たなかった。式の後、外国籍の卒業生に「うれしかった。先生、芯があるね」と言われた。

 そりゃ先生は嬉しかったのかもしれないが、なんか、なんと言うか、違うだろ

>「間違いだと思うことには声をあげるよう教えてきた。それを身をもって示したかった」と話す。

 それは教育現場に思想を持ち込んでいるという事じゃないの? そんなことがやりたければ、市民運動家か、政治家にでもなってからやってくれ。それなら何も文句は無い。勝手にやってくれ。

 ちなみに普通の先生方の名誉の為に書いておくと、確認された「不起立」の教職員は、

 195校中の10校で12人だそうだ。

 この数字だけみると、朝日新聞が大袈裟なだけ?

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 先週は1日のアクセスが50ipほど有った。エントリーらしいエントリーもろくに無い、私のつまらないブログ。多すぎる。まったく見てもらえないのも寂しいが、つまらない独り言のエントリーをするには勇気が出ない多さだった(笑)。

 幸い昨日のアクセスは10ipまで減ってきた。チャンスだ。

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 久しくエントリーを書いていない。エントリー文章の構成とか考えていたが、面倒なので今日は忘れる。適当に独り言を書いてみる。何かを人に言いたい訳ではない。独り言。

 ブログの書き方についてちょっと考えていた。自分で書いたエントリーを読み返してみたり、人のエントリーを読んで、その表現に感心してみたり、時にはそのエントリーに腹が立ったり、頭に来たり、勘違いしたり、気付かされたり、心動かされたり。

 そして「自分で書ける事って何だろう。」と考えているうちに何と無く気が緩み、つまらない事に考えが廻った。自分って何だろう。自分の人生ってどうだったんだろう。良かったのかなあ。駄目だったのかなあ。頑張ったかなあ。良く耐えたなあ。あの時の決心が一番大きかったんだなあ。考えないようにしていた事を少し考えた。まあいいか。

 私は自分の過去の判断を後悔しない事に小さな誇りを思っている。心の拠り所にして来たし、今もしている。これからもそうありたい。

 人生の踊り場。ちょいと早いが、早過ぎる事も無い。結婚して子供が出来た。やりたい事も有ったし、チャレンジしたい事も有った。でも結局は平凡な暮らしを選んだ。それは一大決心であり、多くの諦めを伴った。それ以来、考える事を意識の奥底にわずかに見える程度にしまい込んだ。忘れてはいないけれど、家族の平凡で穏やかな生活が大事だった。家内の愚痴を聞き、子供の成長を喜び、その健やかな成長の為に気を配り、小技を使いながら見守った。前向きに人生を変える為の有難いお誘いも何度か有ったが、これで良かったと思う。子供も自分で考える事が出来る年齢になった。年齢というより、そう育ってくれた。良かった。そして気が付くと、もう考える事を封じ込めておく必要は無くなっていた。そう、種としての責任は果たした。

 若い頃の私は「考える事」が好きだった。人より神経質に「有り方」について考えた。同時にもう一人の私は「遊ぶ事」が大好きだった。友達と遊んだり、悪ぶったり、女友達と毎日のように無駄話をしていた。相反する自分がいて、適度に健全な2重人格だった(笑)。しかし、それも遠い昔になってしまい、今の自分との繋がりがほとんど無くなっている事に、ここ数年寂しさを感じてきていた。しかし、子供の成長には連続性があり、もう少し頑張らなければと思う気持ちでその寂しさを押し殺し、考える事を保留していた。さて。

 ・・・・・

 少し考えたが、この先はまだ考えたくないような気もする。毎日の暮らしの中で少しづつ、若かった頃の自分と今の自分の連続性を取り戻すように考えるべきか。それとも今の自分を出発点として考え、踊り場以降の人生を意味あるものにしようか。そんな事が頭に浮かんだ。でも続きはまた今度考えよう。こんな事を考えたのも、子供達の今と、同じ年齢だった頃の自分を比較する事が多くなったせいかもしれない。

 私の子供達は、私が同年齢だった頃と比べると、可笑しいくらいに「いい子」だ。長男などはそれなりに生意気だが、その頃の私と比べると可愛いものだ。もっと生意気でもかまわないし、もう少し悪でも良いと思ったりもする。流行り言葉で言うと「想定の範囲内」の子供達だ。これで良いんだろう。後は彼らの人生だ。子離れだ。もっと無責任になろう。

 文章の終わり方が分からない(笑)。

 少しだけ本音の独り言。何と無く書いて、書くだけ書いたら気が済んだ。全部消してしまいたいと思ったが、独り言と割り切って投稿する。



 ...その前に、

 頭に浮かんだものの、決心が付かず保留中の独り言。

 「さて、次の踊り場までもう一頑張りするか。」

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 さらに泥沼に踏み込む小倉氏。いったい何を考えているんだろう。

 小倉氏のテクニカルターム「コメントスクラム」が気に入らない人達が「コメントラッシュ」を代替用語として使い始め、広まり始めた。 ん?「コメントラッシュ」。私も小倉氏のブログへのコメントで使ったような?

調べてみると、小倉氏のコメント欄では、私が初出だったようだ。

小倉氏のこのエントリー でのコメント。

Unknown (tombo) 2005-02-18 19:58:12

少なくとも私は「スクラム」は組んではいません。「コメントスクラム」は小倉氏からそう見えるだけです。

事象としては、「コメントラッシュ」とか「コメントパニック」とか言ったほうが的確かと思いますがいかがでしょう?

少なくとも第三者からみて、「コメントスクラム」という表現は適切ではないでしょう。

コメントした人から見れば単なる「単独コメント」です。

つまらないコメントだ。

 ただ、小倉氏が得意げに、「コメントスクラム」が既に認知された用語として連発しているのが、気に食わなかっただけだ。思い付いたと言うより、既に頭の中に有ったのかも知れない。検索してみると既に、「ブログへのたくさんのコメント」という意味でかなり以前から使われている。

今回の小倉氏造語への対抗として広まったのは、

♪炎上系・炎上系・ブログ式♪(色瀬的はてな) 2005-02-20

のエントリー内で、順当な提案と適切な解説が有った為のようだ。


え?それで何が言いたいんだって?

それは....ちょっと嬉しかっただけだ。それだけだ。

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まず、自分の事は棚に上げて置く。
みんなの手が届かないくらい高いところにある棚に上げて置く。

他の人のエントリーを読んでいて、時々思う。
「ふっふっふ、ぬしも若いのう。」

しか~し、

東大生氏、記者氏、小倉氏に共通するキーワードは、

「若さ」 ではなく

幼さ」 だと思う。

・・・・・

完璧だ。

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たくさんのエントリーを読んだ。

なるほど。

なるほど。なるほど。なるほど。
ちょっと違うだろう。
なるほど。なるほど。なるほど。

ふ~ん。

結論。

色んな解釈を理解し、相手の用法に合わせて使う。

以上。

言葉の意味なんてそんなもんだ。

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自分で書いた、文章能力向上の為の一人作戦会議 のエントリーを読み返している時、タイトルのような疑問がふつふつと。そこで、ブログ・エントリーの文章構成について、少し考えてみました。

まずは Yahooの辞書起承転結 を調べてみます。
【起承転結】
1 漢詩、特に絶句の構成法。第一句の起句で詩意を言い起こし、第二句の承句でそれを受け、第三句の転句で素材を転じて発展させ、第四句の結句で全体を結ぶ。起承転合。
2 物事の順序や、組み立て。

ふ~ん。

次は ネット検索

検索結果のサマリーをざっと読んだだけでも、否定的な説明が多い。文章の構成方法と言うより、誰かの話を論評する際に使う常套句として使う用途が多いようです。

ホームページ製作会社の ホームページ用のライティング というページには、
しかしこの起承転結ありほど、ホームページには適していないように感じます。ホームページの場合、とにかく見出しで把握して、興味があれば中身をよむ。その中身に起承転結のイントロ部分があると、もうその段階で他のサイトへ飛びたくなってしまいます。できるだけ結論から書くということですね。ニュースサイトの文書構造もそうなっています。サマリー→内容が把握できる程度の情報の結論→さらに読みたい人用に情報の詳細。
なるほど。ブログの場合、TB先に最初の数行が表示される事が多いので、なおさらこれが言えそうです。

早くも 起承転結 についての結論。 こだわる理由なし。以上。



私のブックマークにある報道系ブログの幾つかをざっと観察してみました。文章構成についての個人的な感想です。

ある編集者の気になるノート
タイトル:ひょうきん系
第一段落:ちょっとニヤッとする感じ。上手い。
【以降本文】
ネットで拾った面白ネタを短い文章で読みやすく。

ガ島通信
タイトル:そのまんま。センス無し。
第一段落:長過ぎ。読む気が失せる。
【以降本文】
そういえば巡回はするが、本文は余り読んだ事が無い(笑)。段落長め。レイアウトも一行の横幅が長いので、さらに読みにくい。
追記:書き方が悪かったと反省。記事自体は、けして嫌いでは有りません。

ネットは新聞を殺すのかblog
タイトル:言葉の組み合わせが上手い。センス良し。
第一段落:本文で何を話すかを説明。
【以降本文】
このエントリー はキッチリと起承転結。でも、確かに読みやすい。起承転結君、やるじゃない。見直したよ。

ブログ時評
タイトル:辛口。まずまず。
第一段落:少し長め。ここだけで一つのエントリー。
【以降本文】
第一段落と関連する話題を色々と紹介。
各段落が一つのエントリーのような感じ。
内容は、どこまでも批判皮肉系。
こんな構成も面白い。


こうして観察してみると、結構面白い。
次のエントリーで自分なりにもう少し考えてみます。

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 文章が上手くなりたい。まずはブログ用の自分スタイルの文章。フィクションを書いてみたいと思う事もあるが、とてもそんな能力は無い。夢だ。白日夢だ。

 人のブログを読み、しゃれた比喩、言い回し、漢語表現などを目にする。その能力を賞賛しながらも軽い嫉妬を抱き、彼がそれを使いこなせるようになるまでの過程を想像したりもするが、よく解らない。

 私はというと、語彙に乏しく、ワンパターンがダラダラと続く。起承転結など習ったような気もするが、何も覚えていない。それどころか人のブログを読んでいて、読めない漢字や熟語が結構ある。恥かしい。いや本当はもっと恥ずかしい事がある。小学生レベルの話しだ。読点を入れるタイミングが判らない。句点を二つ打つ度に前後2文の繋がりに自信が無くなり、うろたえる。「ですます調」と「である調」もごちゃ混ぜだ。「てにおは」だ。「こそあど」だ。まあそんなもんだ。

 この文章能力向上作戦に目的は無い。悲願でもない。コンプレックスが有るからといって、今までそんなに困らなかったし、大きな恥も掻いていない。情けない新入社員の文章を添削もしていた。文学部に通う娘に、就職関係の文章やメールの書き方をコーチした。(我が娘ながら情けない奴だ。何が文学部だ。お父さんは悲しいぞ。)実生活では何の不自由も無い。そりゃそうだ。物書きでも無ければ、本を出す訳でもない。私にとって文章能力向上はただの「遊び」だ。もっと先に解消しなければならないコンプレックスは他にある。

 書きたいことなんか何も無かった。これでは何も始まらない。ここ数週間で色々なブログをたくさん読んだ。少しは書く為の刺激を集める事が出来た。「そろそろ書いてみるか。」とエントリーを幾つか書いてはみたものの投稿はしなかった。

 書いている途中で読み返す。下手糞なのは仕方がないが、書きたい事と内容がずれている。何が言いたいのか判らない。駄目だ。ボツ。最低限、自分のコントロール下に無い文章は駄目だ。そして再びブログの海へ。達人達のブログを観察。そんな事を繰り返していた。風が吹いた。独り言風の面白い文章を見つけた。絶妙なリズムが新鮮だった。ProjectX。

※「た、だ」で文を適当に切ると「ProjectX」と言いたくなる事が解った。読み返し中にProjectXと書いてみた。ついでに「風が吹いた。」と付け加えた。良くあるネタだ。

 昔、夏目漱石が好きだった。全部読んだ。全集も持っている。しかし吾輩は猫ではない。つまらん。すまん、我慢できなかった。私はオヤジだ。フランス文学なども少しは読んだ。カッコつけて。最近読んだのは山村美沙だけだ。彼女は天才だ。夏目漱石よりも読みやすい文章を書く。そうだ、読みやすい文章は素敵だ。読みにくい文章は最低だ。下手糞以下だ。小倉だ。

 いやおかしいぞ。これでは夏目漱石大先生まで下手糞以下になってしまう。失敗だ。夏目漱石は大好きだ。先日、ある短編を読み直した事がある。眠たくなった。申し訳ない。

 カッコ良くなくても、中身があって読みやすい文章が書ければ良いじゃないか。という事が言いたかった。それだけだ。他意は無い。

 文章能力向上の為に特別な時間を使った事は無い。文章を書く必要がある時に、余り恥を掻かない程度に試行錯誤するだけだ。本を買ってまで上手くなりたいとは思わない。いや「仕様書の書き方」、「手紙の書き方」みたいな本は買った事がある。置いてはあるが読んではいない。ネットを探せばそんなサイトも有りそうだが、それも面白くない。他のブログを参考に、自己流で試行錯誤するほうが面白そうだ。

 私は理系というか技術系、もしくは図画工作系の人間だ。プログラミングも少し出来たりする。そこで私なりの文章能力向上作戦を妄想してみた。

 達人ブログの観察、分析、考察を行う。有用なデータを頭の中に蓄積する。自分で書いて実験、評価を繰り返す。パターン化(プログラミング)する。評価。取り敢えずここまで。

 う~ん、大袈裟だ。でもまあ、何かに一から取り組む時ってこんな感じでしょう。人によって表現の仕方は違っても。

 後はエントリーのテーマだ。しかし、政治も経済も詳しくない。歴史も哲学も詳しくない。オタクではない。若くはない。スポーツも詳しくない。料理は作らないし、グルメでもない。困った。本当はほんの少し人より詳しい事柄もあるのだが、それは秘密だ。関係ないし。

 負け惜しみだ。まあネタは何でも良い。適当にやろう。


 この文章、実はあるブログの書き方を参考に、独り言リズムの実験をしてみた。書き易いような気がする。しかし年齢による羞恥心からか、中途半端だ。まあ仕方が無い。こんなものだ。

 本当は、実験的にもっとグチャグチャな文章を書いたのだが、読み返す度に恥かしくなり、かなり手を加えた。なるべく短時間で書くのが目標だった筈が、もの凄く時間がかかった。人に読まれて笑われる事が、やはり気になるのだ。

 ここは「チラシの裏」みたいなものだが、人に読まれるかも知れないというプレッシャーは、文章能力向上の大きな要素である事を再確認。手直しをした後でも、笑われる文章はやはり笑われるのだが、それでも、「このままでは人に見られたくない。」という自分自身の最低評価ラインを発見。そんな大きな羞恥心と小さなプライドがごちゃ混ぜになったボーダラインが、ハッキリと見えた気がする。結局、このボーダラインを引き上げる作業が、私にとっての文章能力向上作戦なのだろう。

作戦会議終了。



 本日の反省点メモ。

  ・何かを本当に伝えたいのなら、伝えたい事を一つに絞る。
  ・「~の~の~の」ってなるべくやらない。
  ・「でも、しかし、いや、といっても、とはいえ」
   みたいなのを使い過ぎない。
   近くの文で連発すると意味が解らなくなってしまう。
  ・「~も、~も、~ながらも」が続く時がある。
  ・書くのに時間が掛かりすぎる。
  ・収まりの良い締めの一文を考える。

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 はむはむさんの このエントリー で小倉氏のブログに触れられていたので、コメントを書き始めたのですが、自分のブログを全然更新していないのでエントリーにしてみました。

 まとめコメント(コメントスクラムと「常識」の押し付け)

 最初にこのエントリーを読んだ時は、またいつものパターンかと思いました。しかし、もう一度読み返してみた時、彼にしては人を見下した部分が「異常」に少ない事に気付く。そしてタイトル。私は理解しました。これは精一杯の敗北宣言、本心の終結希望宣言なのだと。

 ダラダラと屈折し、相変わらず幼稚さを感じる文章ながら、これまでとは明らかに違う注意力を払って書かれているように読めます。

 そして最後の段落などは、投げやりで脱力感を感じます。

 なお、コメンテーターが blog主の職業・社会的地位等について特殊な感情を有している場合、blog主がコメンテーターの「常識」従わない原因を blog主の「プライド」のせいにしてみたり、 blog主がコメンテーターを「見下している」からであるとしてみたりする人が現れる傾向があるようです。これはこれで一種の職業差別のように思います。

 彼の職業上、また仕事としてのブログ上で、間違いを訂正したり素直に負けを認めたりする事は無いでしょうが、もう十分に恥を掻き、既に仕事上のデメリットが発生している事と思います。

 怒りと嘲笑と諦めの気持ちで小倉氏のブログを観察していましたが、このエントリーを読んで、「もう許してあげなさいよ。」と思うのですが、まだ直ぐには収まりそうにないですねえ。

 最後に一言。

 私のように文章が不自由な者の手本にすらならない文章能力の弁護士さんは、けして「先生」などと呼びたくはありません。

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