小説「おしん」上下巻を一気に読み終えました。
ずっと読みたくて、読みたくて、 あちこち探し回りましたが見つからず。
そんな中、新潟県内の「相互貸出図書」というシステムを知り、いつも利用している地元の図書館に相談。
新潟市の中央図書館に移転された旧・沼垂図書館の蔵書から貸し出しをして頂くことが出来ました。
ある時、著者、橋田壽賀子さんの元に届いた一通の手紙。
差出人の名前も住所もなく、そのような手紙を手に取り封を開けること自体が「極めて珍しい」ことであったと後に御本人が語っておられます。
それは明治生まれの女性の、人に言えない苦難の半生を原稿用紙にして20枚ほど、病床で書き綴ったものだったそうです。
今でこそ子供や孫に恵まれ、いい生活ができているが、かつて田舎にいた若い頃は現代では考えられないほど貧しく、子供が赤子を子守りする奉公に米一俵で何度も出され、その後女郎にも売られた。
やがて何とか身一つでそこから逃げ出し、ミシンを習って自立。
明日飢え死んでもおかしくない貧しい環境の中にいながら、関東大震災や太平洋戦争など凄まじい大波が容赦なく追い打ちをかけてくる。
時代に翻弄されながら、それでも何とか今日まで生きて来た。
『子供や孫には一生の秘密にしてゆくつもりだが、死ぬ前にそんな時代に生きた女がいたという事を知ってほしかった。』と添えられた一文に大きく著者は突き動かされ、「おしん」を書いたとありました。
著者御本人も、「私自信が『軍国少女』であり、動員で一生懸命に働いた。従って私にも“戦争責任”があり、自分への反省も含め、その点はきっちりと書きたかった」と「あとがき」で仰っている。
「現代を書くことは、いつでも誰かができる。しかし、失われていく時代というのは、今伝えないと忘れ去られてしまうのだ。
・・・・・
明治の女性たちは、自分の時代を話したがらない人が多い。米一俵で売られたなんて、子供や孫には知られたくない。女郎に売られたなんて、恥ずかしくて言えない ―――ー
その気持ちはもちろんよく分かる。
しかし、実際にあった、そうした辛い体験が、なかったことにされてしまっていいはずはない。
今の日本があるのは、苦労の時代があったからこそなのだ。」
当時の日本は少なからず誰しもこれに似たような苦境であったと思う。
奉公での苦労。
満足に食べられない辛さ。
学びたくても学校へ上げさせてもらえなかった悲しさ。
嫁姑の問題。辛くひもじく悲惨な戦争体験。
それでも誠意と恩と義理を忘れることなく、常に真心を持って志強く生きてきた人々が確かにここにいる。
上下全2巻で967頁。
それぞれ4cmほども厚さのある大作でしたが、本当に読んで良かったと思える一冊でした。