国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

知鉄話 日本国有鉄道史 第16話 組織改変論議と国鉄 国鉄を民営化せよ?「日本国有鉄道経営調査会」と国鉄

2021-11-29 07:58:06 | youtube

知鉄話 日本国有鉄道史 第16話 組織改変論議と国鉄 国鉄を民営化せよ?「日本国有鉄道経営調査会」と国鉄

国鉄は、昭和62年に民営化されましたが、それより遙か30年ほど前にも、国鉄を民営化すべきではないかという提案がなされました。
小林一三、五島慶太という私鉄界の二大巨頭も参加した審議会では、こうした意見も飛び出したそうです。
結果的には、国鉄は民営化されることはありませんでしたが、国鉄が公社化された時期が早すぎたと言うのも国鉄にとっては不幸であったと言えそうです。
歴史にIFは有りませんが。

関連blogも併せてご覧ください。

国鉄があった時代、日本国有鉄道史

https://jp.bloguru.com/jnrerablackcat/310256/2017-11-10
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国鉄が行った、こんな割引、あんな割引

2021-11-27 12:28:47 | 国鉄思いで夜話

現在身障者割引や学割と呼ばれるものがありますが、国鉄時代の割引を調べてみますと以下のような割引があったようです。

  • 定期割引関係
    • 通勤定期割引
    • 通学定期
  • 学生旅客運賃割引(学割)
  • 身体障害者者割引
  • 戦没者家族割引
  • 被救護者割引
  • 戦傷病者割引(唯一国鉄が負担することがない割引)
  • 勤労者割引(昭和41年10月追加)

 

定期運賃割引とは、?割引の割引率は、50%までだが

  • 定期割引関係

定期運賃の割引は、法律第百十二号(昭二三・七・七) 

国有鉄道運賃法に以下のように定められています。

第五条 定期旅客運賃は、左の各号の規定に従い、運輸大臣がこれを定める。

 一 通用期間一箇月又は三箇月の定期旅客運賃は、普通旅客運賃の百分の五十に相当する額をこえることができない。

 二 通用期間六箇月の定期旅客運賃は、普通旅客運賃の百分の四十に相当する額をこえることができない。

となっており、、定期運賃は一ヶ月、三ヶ月運賃割引は50%六ヶ月定期運賃は60%迄の割引とされていますが、実際には、政策的な面から、通勤定期で最高83%引、学生にあっては実に92%引きになっており、この超過分が国鉄による独自の負担分と言うことになります。

昭和三三年の実績で、その負担額は年間約308億円もの高額に上ります

なお、定期運賃の割引率は、その後随時改定されており、法定運賃にプラスして、右記のように、中学にあっては更に30%を付加した割引、高等学校等にあっては、更に10%を付加した割引となっています。

ただし、国鉄としては赤字財政であることから、こうした割引に対して、更なる割引等を求める場合は、財政の支援を求めるとされていましたが、残念ながら積極的な財政支援は行われなかったようです。

学割とはこんな割引

  • 学生旅客運賃割引(学割)

学生割引は、戦前から行われている割引制度で、学生の帰省旅行の援助策として制定されたもので、戦前は二割引でしたが、戦後は昭和23年(1948)に大幅値上げの際に考慮されて50%割引となったそうです。
その後は20%割引に変更されていますが、負担額は昭和33年(1958)で、約28億円にもなっていました。昭和34年(1959)10月から制度が改められ、101km以上であれば全区間に渡って割り引いていたものを、101km以上の区間のみ割り引くこととに計算方法が変更されたと書かれています。これにより8億円ほど負担が減るとしていましたが、学生割引証の発行枚数を増やしたので、全体では変わらないとも言われています。



身体障がい者割引とはこんな割引

  • 身体障害者者割引

身体障がい者割引は、定期割引の規定が準用され、昭和34年国鉄線という記事を参照しますと、第一種障がい(概ね一級~三級)までは、国鉄運賃法第五条に基づき割引、第二種障がい(4級以下)は国鉄の独自の施策として運賃五割引を行うとしています。
(個々の障がい等級は別個に確認してください)

歴史的な流れを見ていきますと、厚生省(旧名称・現在の厚生労働省)が、昭和27年(1952)4月4日社乙発第七一号本職通知「身体障害者に対する日本国有鉄道等の旅客運賃の割引について」周知され、身体障害者旅客運賃割引規則(昭和27年4月8日国鉄公示第一二一号)により、具体的な取扱が定められ、現在JR各社並びに私鉄も、身体障害者旅客運賃割引規則に則り、その割引が行われています。



参考:障害等級表

戦没者遺族割引は割引とはこんな割引

  • 戦没者家族割引

戦没者割引とは、靖国神社に新たに合祀される、旧軍人軍属の戦没者の遺族が参拝のため日本国有鉄道の鉄道及び連絡船に乗車船する場合、運賃割引等の措置を講ずるよう要望するというもので、

第15回国会 衆議院運輸委員会 第26号 昭和28(1953)年3月13日に、決定の経緯が記録されています。

戦没者遺族の国鉄運賃割引に関する件

として動議がかけられたもので、影の運輸大臣と揶揄された自民党所属党人派議員の關谷勝利議員で運輸族の一人です。

概要は、当時の新聞に「靖国神社参拝者に対して、国鉄が運賃の五割引をすると意思があると言う記事が出ていたので確認すると、国鉄でもその意思があるとして、これを運輸委員会の決議としたいとして、委員会に諮ったものです。

ということで、新たに合祀される旧軍人軍属の戦没者の遺族が参拝のため日本国有鉄道の鉄道及び連絡船に乗車船する場合、その乗車船に対しては日本国有鉄道においてさしあたり運賃割引等の措置を講ずるよう要望する。としています。

この動議に対して、特段反対はなく、運輸省の鉄道監督局長(植田純一)氏が下記のように答弁しています。

同じくこの割引をするのでありますならば、そういうふうな時期的に適切に間に合うようにしなければならないと存じまするので、この委員会において、これが早急に実現いたしまするように要望書を提出いたしたいと思つて、動議を提出いたします。

○植田政府委員 日本国有鉄道といたしましても、国民全般の輿論に基きますこういう方々の輸送について、昭和28年度(1952)におきましては、五割引(50%引き)で輸送するということになりましたような次第。実施時期は、極力早く実施するようにいたしたいとと回答しており、国鉄当局に対しましても決議の趣旨を十分伝え督励すると回答しています。
この割引が、翌年度以降も行われたか否かは不明ですが、昭和34年にもこの
割引が出ていますので、継続はしていたものと思われます。

参考:議事録該当部分の全文は、「第15回国会衆議院運輸委員会 第26号 昭和28年3月13日」を参照

戦傷病者等割引とはこんな割引

  • 戦傷病者割引(唯一国鉄が負担することがない割引)

 

この割引は、唯一、国鉄による負担がなかった割引で、戦傷病者等が鉄道を利用する場合、無償でその利用を認めるとしたものです。

日本国有鉄道無賃乗車に関する法律

この法律は、以下の趣旨にあるように、旧軍人軍属たる戦傷病者の援護として、増加恩給、傷痍年金または傷病賜金を支給されている旧軍人、旧軍属等で、障がいを有する者及び政令で定める介護者が、日本国有鉄道の鉄道及び連絡船を使用するとき、政令で定める回数、等級、区間に限り、運賃を支払わないで乗車または乗船することができるとしたもので、国が鉄道及び連絡船の運賃に相当する金額を負担するもので、昭和31(1956)年4月1日から施行され、ました。なお、この法律は、戦傷病者特別援護法制定昭和38(1963)年8月3日法律第168号に制定されたことから、現在は廃止されています。

この割引は、無賃乗車に関するもので唯一、政府から補償を受けているもので。現在も、戦傷病者特別援護法第九条で、JRに引き継がれ。 「鉄道及び連絡船への乗車及び乗船についての無賃取扱い」として規定されています。

参考:戦傷病者等の日本国有鉄道無賃乗車等に関する法律

被救護者割引とはこんな割引

  • 被救護者割引

被救護者割引は、生活困窮者が施設等に移動する場合に、国鉄の定める旅客運賃割引証をもって、その取扱をすることとなっているもので、運賃が50%割引となるものでした。
 制度としては、昭和33年(1958)に改正され、救護施設からの証明書印が要るといった内容に変更になったようですが、こうした切符の偽造(救護者割引の印を消して金額も改ざんして正規運賃に書き直し、その差額を掠めると言った詐欺が横行していたという記述もあります。)
 元々生活困窮者が、施設等に移動するに際して、被救護者施設の代表者が被救護者旅客運賃割引証を発行する際に、に区間等を指定して発行される切符でした。
 普通車のみ利用可能で列車種別の指定はありませんが、特急・急行料金は割引の対象外ですので自ずと普通列車のみの利用となります。

さらに、こんな割引も・・・勤労者割引

  • 勤労者割引(昭和41年10月追加)

学割とは別に、勤労者割引なるものがあった。

学生には割引があって、勤労青年には割引がないのは不公平ではないかと言うことで、昭和41年7月15日から以下のような制度が設けらました。
当時は、大学進学率が20%程度であり、中学卒業後集団就職などで東京・大阪・名古屋などに約100本の集団就職列車が運転されていた時代。
大学は、経済的に恵まれた人だけが進学できた時代であり、学生には学割がある反面。勤労青少年にはそうした割引がなく、帰郷するための費用負担を少しでも軽くしようと言うことで、行われた施策であり、国鉄の負担も少ないものではありませんでした。

手続きは面倒と言う声もあったが

この割引では、事業者が事前に申請するなど、手続きが煩雑で、面倒という声がありましたが、普通車(当時は二等)の運賃が二割引と言うことで、学割と同じ割引が適用されることとなりました。

国鉄線 昭和41年8月号から引用

この記事を見ていますと、この割引のおかげで、5年ぶりに帰省できるという声もあるなど、国鉄にとっては救われることだろうと締めくくられています。
なお、この制度の提唱も私の記憶に間違いが無ければ、田中角栄の発言からだったと記憶しています。

ちなみに、この勤労青少年旅客運賃割引規程は、2003年まで存続していたようですが、交通手段の多様化等により、利用実績もごく僅かとなり、所期の使命を終えました。。
「勤労青少年旅客運賃割引制度」の廃止について

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知鉄話 日本国有鉄道史 第15話 第二次五カ年計画と石田総裁誕生

2021-11-24 12:20:42 | youtube

知鉄話 日本国有鉄道史 第15話 第二次五カ年計画と石田総裁誕生

今回も地味な内容ではありますが、第二次五カ年計画策定当時の国鉄が置かれた立場を中心に、石田礼助総裁誕生までのお話をさせていただこうと思います。 石田総裁が誕生した背景には、政治家による駆け引きもあったそうです。 関連blogも併せてご覧ください。

国鉄があった時代、日本国有鉄道史 https://jp.bloguru.com/jnrerablackcat... 

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国鉄時代に開発された、ボルスタレス台車のお話し

2021-11-21 09:00:17 | youtube

国鉄時代に開発された、ボルスタレス台車のお話し

今回は、205系で採用され現在はJRでも数多く採用されているボルスタレス台車のお話しをさせていただきました。
ボルスタレス台車と関連して、ボルスタ台車についても併せて解説させていただきます。

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偉人伝 石田礼助総裁物語 第10話 たばこを巻く仕事と国鉄の仕事は違う・・・あ、言っちゃった。物議を醸したあの発言

2021-11-18 11:03:05 | youtube

偉人伝 石田礼助総裁物語 第10話 たばこを巻く仕事と国鉄の仕事は違う・・・あ、言っちゃった。物議を醸したあの発言

石田総裁のお話し第10話目ですが、この話はご存じの方も多いのではないでしょうか。
専売公社の職員と国鉄の職員の給与が殆ど同じなのはおかしいではないかと発言したわけですが、これに対しては専売公社の組合からっクレームは来たものの、国鉄職員は大いに溜飲を下げたと言われています。
石田総裁らしい発言であろうと思いますが、こうした点にも人間的魅力を感じてしますのです。

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偉人伝 石田礼助総裁物語 第12話 持たせ切りを止めさせた石田総裁

2021-11-14 19:37:37 | 国鉄総裁

持たせ切を止めさせた、石田総裁

現在は改札へは交通系ICカードをタッチするだけが一般的となり、あの便利さは正直使い出すと癖になりますね。

最近では市中の買い物も交通系ICカードで支払えるので、ついついチャージして、それで買い物をするものですからすぐ無くなるなんてことの繰り返しをしています。

しかし、自動改札が普及するまでは、駅員がいない駅から乗った場合は車掌から補充券を発行して貰う以外は、駅で切符を購入して、改札口で入鋏して貰うことが一般的でした。

駅員が一枚一枚切符を確認して入鋏してくれるわけですが、ラッシュ時などではさばくのが大変と言うことで、長らく乗客に切符を持たせたまま駅員が切符を切るという持たせ切りが横行していました。

これを全面的に止めさせたと石田総裁が幹部に伝えたとして、朝日新聞が特ダネとしてアップした後、各社が後追いしたそうです

石田総裁は就任直後から、ずっと持たせ切り廃止を提唱していた

持たせ切りの開始に関しては石田総裁が就任直後から気にしていたようで、国鉄部内紙、国鉄線1964年6月号の「旅客サービス向上運動について」と言う記事を参照しますと、導入部分から当時の国鉄の様子が窺えます。

当時の様子を、国鉄部内紙の1966年5月号「世論アラカルト」という記事では以下のように書かれています。

利用者の国鉄に対する不満は、大きくわけて特急券、寝台券等がなかなか手に入らないとか通勤電車が殺人的混雑をするとかいう、国鉄の基礎的輸送力不足、投資不足に起因する物的サ
ービス面と、出札係が、つり銭を投げたとか、改札係が不親切であったとかいう人的サービス面、つまりフロントサービスの二つにわけれる。
中略
後者の人的サービスについては目立った改善がなされておらず、旅客の国鉄に対する苦情不満は依然あとを絶たない。

と有りますように、もちろん親切な出札係や改札係がいたとしても、概ね世論の論調はこんな雰囲気でした。

そこで、フロントサービス向上と言うことで、サービス向上運動が発達するわけですが、これによりますと駅での接客、特に乗車券類の販売などに時間が取られがち(当時はマルスは殆ど導入されて居らず)で、長い時間を待たせることになるので、これを改善させたいとしています。

特に改札における持たせ切については総裁からも特に注意されているとして以下のように特に記述しています。

窓口の整備強化、座席予約の自動化等を促進する必要がある。また改札のいわゆる「持たせ切り」については総裁からもとくに注意をうけている。

と有るように、就任直後の頃から特にこうした行為に関しては総裁は意識していたことが窺えます。

世論は、持たせ切廃止よりももっと接客サービスをよくして欲しいと注文

石田総裁は、国鉄運賃の改定を行ったこともあり、更なるサービスの改善と言うことで、特に持たせ切り廃止を強く厳命したのでしょう。
国鉄線1966年5月号に掲載されていましたので、少し長いですが、引用してみたいと思います。

『・・・・・まるでお客を数でこなすような改札態度には、折り目正しい明治人としてハラハラする。ことに大幅値上げ後、サービス向上によけい心をつかう総裁は、気になって仕方がなかったらしい。営業関係の幹部を呼んで注意した。
幹部たちも知らないわけではなかった。しかし現場にも事情がある。
ラッシュ時の駅では、人手の少ない改札係が一人で両側の改札口を受持たねばならない。ハサミを持つ手の側のお客から、いちいち別の手で切符を受取っていたのでは、どうにも間に合わないことがある。
それがクセになって、ついズルズルにーーという説明を問いても、石田さんは承知しなかった。
「事がらは小さいかもしれんが、お客に対する態度の基本に関することじゃないか。人手のやりくりには、まだ工夫の余地があるだろう。」・・・・

国鉄線 1966年5月号 世論アラカルト

と言うことで、それまで慣例となっていた持たせ切りを石田総裁は止めさせようとしたのですが、実際持たせ切りとはどんなイメージなのでしょうか。

簡単にいえば、乗客は切符を手に持って改札が係の駅員の入鋏ハサミの前付近に持っていく、駅員は乗客が持ったままの切符に入鋏するもので、入鋏ハサミが常に動作しているので、誤って乗客の指の怪我をさせると言うこともあり得るわけで、評判としてはあまり良くなかったのも事実ですが、利用客としてもやむを得ないという思いはあったようです。

それが、以下の内容のなるのですが。

接客職員のフロントサービスがいつの場合でもジャーナリズムや国民全般から批判の的となっている。改札掛の持たせ切りは今までも何回か投書などにとりあげられていたが、要員、作業方法などで完全廃止はむつかしいとされていた。
今回の総裁指示の「持たせ切り廃止」は、朝日新聞の特ダネの形で報道されたが、その後、読売・東京新聞のコラムでとりあげられており、産経は国電主要駅に取材して、その効果を調べあげている。

と書かれていますが、世論としては持たせ切りが必ずしも悪いと思っていないようで、

持たせ切りのイラスト、国鉄線 1966年5月号 世論アラカルトから引用

産経新聞の朝刊には、以下のように載っていたと記述されています。

三月二十二日付産経〔朝刊〕の記事によりますと、旅客の多いラッシュアワー時には持たせ切りのほうが早いし、旅客の中も承知の上でキップを切リやすいように差出す人もいるわけで。

『やめてほしいが、混雑するときはムリかもしれない』とか、『急いでいるときは持たせ切りをしやすいようにキップをだしています。問題はそれより駅員の心構えではないですか。キップをいちいち受取る駅員でも横柄な感じの人は多いし』・・・・という言葉をのせている。

とあるように、国民の間では朝ラッシュ時などの持たせ切りはやむを得ないと思うが、それ以上に駅員の態度が横柄であったりするのは何ともならないものかということで、この頃世論としては、真のサービス向上は、国民の望みであったと言えそうです。

そして、国鉄に対しては、明治以降の官設鉄道の頃からの「乗せてやる」「運んでやる」という意識が根強く残っているのではないかという意見も有ったようです。

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車掌のお話、車掌長って何時誕生したの?車掌という名称は何時誰が決めたの?

2021-11-14 05:21:13 | youtube

車掌のお話、車掌長って何時誕生したの?車掌という名称は何時誰が決めたの?

今回は、車掌に関する雑学です。 車掌という名称は、誰が付けたのでしょうか。 あと、車掌長という名称は何時誕生したのでしょうか。 資料を基に読み解く、よもやま話シリーズ

 

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鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 寝台列車の増加と窃盗犯

2021-11-07 23:07:49 | youtube

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 寝台列車の増加と窃盗犯

今回も鉄道公安官に関するお話し、第5回目になります。 今回は、寝台列車増発と、増加する窃盗犯と言うことで、昭和35年から40年にかけて改定が行われた公安官のお話などが中心になります。 公安官は、多様な鉄道犯罪に対処することになりますが、その多くは寝台列車盗への対応が多かったようです。 陸上輸送の移動をほぼ独占していた昭和30年代、国鉄では多数の乗客を輸送する反面、招かざる客(所謂窃盗犯)も多数乗り込む結果となりました。 今回も、なんだか講義のようなイメージで面白みはないのですが、あまり知られていない鉄道公安官について色々と判る範囲で書かせていただきましたので、是非とも参考にしていただければと思います。
 
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知鉄話 日本国有鉄道史 第14話 復旧から発展 当時の世相概略

2021-11-05 11:00:55 | youtube

知鉄話 日本国有鉄道史 第14話 復旧から発展 当時の世相概略

今回も地味な内容ではありますが、第一次五カ年計画策定当時の国鉄が置かれた立場を中心にお話をさせていただこうと思います。
第一次五カ年計画当時、国鉄が置かれていた立場は貨車がないという事で、世論からも規模しく指弾されるそんな時代でした。

関連blogも併せてご覧ください。

国鉄があった時代、日本国有鉄道史

https://jp.bloguru.com/jnrerablackcat/310117/2017-11-08

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知ってる?ED75形機関車の話 交流電機の標準機

2021-10-31 22:49:47 | youtube

知ってる?ED75形機関車の話 交流電機の標準機

ED75は、常磐線平以北の機関車として開発されましたが、将来的には東北線全線での運用を考慮しており、その派生形式500番代や700番代で、奥羽・羽越本線や、北海道更には、300番代として九州でも活躍することとなりました。 実質的に、交流機関車の標準機と言える地位を確立しましたが、パワーエレクトロニクスが発達する前でしたので、サイリスタ制御ではなく、磁気増幅器による連続制御というアナログ制御で、サイリスタ制御のような位相制御を実現していました。(ED75-500番代は、サイリスタ制御を採用した唯一の例) 他にも、700番代は塩害防止対策として機器類を屋内にいれることで、屋根上をすっきりさせることに成功しています。
 

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知鉄話 日本国有鉄道史 第13話 復旧から発展 当時の世相概略

2021-10-31 19:41:19 | JRと労働問題

知鉄話 日本国有鉄道史 第13話 復旧から発展 当時の世相概略

戦後開発が進められた、大形ディーゼル機関車ですが、純国産形といえるDD51形が安定するまでは、外国からの輸入エンジンを使用されましたが、重量面などの問題もあり、当時の貧弱な軌道に馴染む機関車の開発がい急がれていました。 本稿では、戦前の気動車キハ43000と同時期に開発されたDB10形、更にはキハ43000のエンジンをベースに新設計されたDMF31が、その後のDD51のベースとなったこと、更に戦後のDD50~DF50までのお話しを中心にさせていただきました。 別途機会を見つけて技術発達史として、DD13~DD51迄と言うことで記述をしたいと思います。
 
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知鉄話 日本国有鉄道史 第12話 大型ディーゼル機関車開発 その経緯など

2021-10-25 22:16:41 | youtube

知鉄話 日本国有鉄道史 第12話 大型ディーゼル機関車開発 その経緯など

 

戦後開発が進められた、大形ディーゼル機関車ですが、純国産形といえるDD51形が安定するまでは、外国からの輸入エンジンを使用されましたが、重量面などの問題もあり、当時の貧弱な軌道に馴染む機関車の開発がい急がれていました。 本稿では、戦前の気動車キハ43000と同時期に開発されたDB10形、更にはキハ43000のエンジンをベースに新設計されたDMF31が、その後のDD51のベースとなったこと、更に戦後のDD50~DF50までのお話しを中心にさせていただきました。 別途機会を見つけて技術発達史として、DD13~DD51迄と言うことで記述をしたいと思います。 関連blogも併せてご覧ください。
 
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知ってた? キハ82が日本全国を9日間かけて試運転した話

2021-10-23 18:50:38 | JRと労働問題

知ってた? キハ82が日本全国を9日間かけて試運転した話

キハ82形気動車は、キハ81系の運用を経て改良が図られた気動車で、前面貫通形のスタイルとともに、名車として長く記憶に残る車両として活躍しました。

そんな、キハ82系気動車ですが、落成後基礎試験を経た後、PRを兼ねて日本全国(北海道・四国は除く)を走破しました。
当時の資料などを参照しながら、振り返ってみたいと思います。


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知ってた? キハ82が日本全国を9日間かけて試運転した話

2021-10-23 18:50:38 | youtube

知ってた? キハ82が日本全国を9日間かけて試運転した話

キハ82形気動車は、キハ81系の運用を経て改良が図られた気動車で、前面貫通形のスタイルとともに、名車として長く記憶に残る車両として活躍しました。

そんな、キハ82系気動車ですが、落成後基礎試験を経た後、PRを兼ねて日本全国(北海道・四国は除く)を走破しました。
当時の資料などを参照しながら、振り返ってみたいと思います。


よろしければお願いします、資料の購入に充てさせていただきます。
https://ofuse.me/blackcat0610

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偉人伝 石田礼助総裁物語 第11話 国鉄バス参入に対して、民間バス会社との攻防

2021-10-17 21:38:48 | 国鉄総裁

国鉄バスの実情をよく理解していた石田禮助総裁

石田禮介総裁の逸話は、色々ありますが、今回はハイウエイバスに関するお話しです。

国鉄では、名神高速道路開通に伴い、高速バスへの参入を認められたわけですが、この参入を認めるために、石田礼助総裁と磯崎副総裁による尽力が大変大きかったと言われています。

その背景には、石田禮助氏が監査委員長時代に国鉄バスとしての問題を把握していたことも大きいと言えそうです。
1962年7月号の 国鉄線という雑誌の座談会 石田監査委員長を囲んでと言う記事で、以下のような発言があったのですが、非常に興味深いことですので、一部抜粋してアップしたいと思います。

名神国道は国鉄全体の問題

前略 
石田 監査委員会の人たちと紀州に行って尾鷲から三五キロの山道を国鉄バスで通ったんですが、そのときに運転手の後で見ていて、実にうまいものだと思いましたね。なにも運転が上手ということでなく、実に細心の注意を払っているんです。ほんとうに敬意を表しました。聞いてみると開業以来一七、八年になるけれど一回も事故はないということでした。
わたしは帰って来てさっそく総裁に、こういうことがあるんだ、あなたの記憶にとどめておいて機会があったらほめてやらなければいけない、と言ったんです。
 国鉄自動車の営業面において今一番の問題はなにかというと、例の名神国道に乗入れることで、国鉄全体としても大きな問題です。これはぜひやらなければなない。ところが運輸省は許すかどうかはっきりしないんですね。それでわたしは自動車局長にいうんですよ。名神国道でおなじ条件で国鉄とほかの自動車会社が営業したら、どっちにお客さんが乗るかきいてみろ、必らず国鉄に乗るというに違いない。
それだったら、世論をバックにして運輸省に話したらどうかということです。
 先週、経団連の顧問会議がありましてね、その席上でこう言ったんです。名神高速道路ができるが、これができると国鉄にとって非常な脅威である。しかも東海道は国鉄の宝庫であるから、そこへ民間の自動車に乗り込まれることは、国鉄としてえらいことである。輸送量としては東海道路線の二割しかないそうだ、が、二割を取られることは国鉄の大問題だ。国鉄擁護のために国鉄自動車を走らせることがぜひ必要で、普通の電鉄会社も沿線にパスを経営しているのに、国鉄だけがいかんというのは変じゃないか、それよりお客さんはどっちの自動車に乗ることを希望するか、もし諸君だったらどっちに乗るか。これをきいたら、みな国鉄自動車に乗るというんですね。
 今度、国鉄は大きな事故(三河島事故)を起したけれども、それでも国鉄の安全性については非常な信用がある。自動車局は運輸省に対してこういう声があることを話すべきであって、運輸省がそれを蹴るとしたら相当の勇気がいるんですよ。

と発言をしてるわけですが、こうした発言が根底にあったからこそ、リップサービスに終わらずに、粘り強く交渉して、国鉄バスが名神高速で、自動車事業に参入できたと言えそうです。

国鉄バスは、以下に示すように元々は鉄道路線の先行や代行などが主であるため、山間僻地などを走る場合が多く、戦後はいち早く独立採算制が導入されて、収支係数も改善したものの黒字には至らないままでしたので、国鉄バスの高速バス参入は自動車局にして見れば悲願であったと言えそうです。

国鉄バスの使命とは・・・

  • 先行    鉄道敷設法に記された予定線などの鉄道路線を敷設する計画がある区間において、鉄道が完成するまでの暫定的な交通手段として国鉄バスを運行する形態を
  • 代行    先行線に似ているが、鉄道路線を敷設する計画がある区間において鉄道としての採算が見込めないことから鉄道の代わりとして運行するもの
  • 培養    旅客や貨物を集めることを目的に、鉄道駅から離れた町と鉄道駅を結んだもの
  • 短絡    鉄道利用では遠回りとなる2駅間にバス路線を設け、ルートの短絡を図ったもの
    国鉄バスの使命は、この四つが原則であったが、昭和34年の第31回国会、「参議院予算委員会 第15号 昭和34年3月20日」において、今後は都市間の中距離も鉄道の補助、補完のために自動車で経営していきたいということを考えております。
    と、十河総裁が発言しており、この頃から。新たな国鉄バスの使命として、以下の
  • 補完    国鉄の鉄道線の並行道路上の路線。あるいは鉄道と共に組み合わされて幹線交通網の一環を成すべき路線

    と言う概念が、取り入れられました。
    以下は、参議院予算委員会での当該部分を抜粋したものです。

参考:参議院予算委員会 第15号 昭和34年3月20日
中村(正雄)委員 国鉄は省営自動車を経営いたしておりますが、国鉄の省営自動車の路線の新設に対しまする基本的な一つの方針を伺いたいと思います。
説明員(十河総裁)線路建設に代行いたす場合、あるいは先行いたす場合、あるいは培養の場合もしくは短絡と申しまして短かく連絡のできるような、大体そういうことを主にして考えておりますが、最近には都市の膨張が非常に急激に進んで参りまして、同時にまた道路が相当よくなって参りましたから、都市間の中距離も鉄道の補助、補完のために自動車で経営していきたいということを考えております。
中村(正雄)委員今国鉄から発表になりました国鉄の経営いたします自動車の方針は、運輸省としてもこれを承認いたしておるのかどうか、運輸大臣にお聞きしたい。
国務大臣(永野護君) 承認いたしております。

中村正雄議員は、日本社会党の参議院議員で、元国鉄職員であったと記録が残されています。

国鉄総裁がトップセールスで、国鉄に高速バス参入の権利を獲得

そして、国鉄が数ある競願の中から、名神高速への高速バス参入を果たしたのは、石田禮助総裁と、磯崎叡副総裁のトップが積極的に動いた結果でした。

以下に簡単ですが、その概要を書かせていただくとともに、改めて詳細は別の機会にさせていいただきます。
日本初の高速道路、名神高速開通に向けて、(名古屋鉄道・阪急電鉄・京阪電気鉄道・近江鉄道を中心として、日本急行バス)が設立されますが、全国の高速道路上にバス網を展開するという、実質政府主導で行われたことから、バス事業者が加盟する日本乗合自動車協会【現在の日本バス協会】加盟バス会社も参加したとされています。日本急行バスは、高速道上のみの運行を行う会社として申請しており、高速のバスターミナル等で乗客は、地元のバス会社に乗り換えて貰うという考え方をとっていました。
これに対して、国鉄は高速道路を線路に見立てて、新たな路線として運転するというもので、昭和36年に申請し、同時に試作車も導入していました。
当時の資料が出てこないのですが、全体に丸みのあるスタイルで、その後の高速バスのスタイルとは異なるものでした。

国鉄線 昭和38年8月号から引用させていただきました。
バスは、昭和37年に試作された、いすゞBU20PA改の国鉄専用の形式のようです。
塗装は、赤色とクリーム色だったようです。
実際には、営業に供されることはなかったようですが、152km/hを記録したと記述されています。

さらに、名鉄・近鉄なども単独で名神高速道路への高速バスの参入を求めて、混戦状態となり国鉄を含めた11社が競合する形となりました。
当初は、日本急行バスに国鉄が出資する形で、「新日本急行バス」を提案されますが、国鉄側が拒否したことで紛糾し。最終的には、

最終的には、運輸審議会による聴聞が行われることとなり、民間バス事業者は、国鉄の高速バス事業は日本国有鉄道法に照らして、国鉄の業務外であるとして反論しますが、昭和34年3月の参議院予算委員会で、国鉄バスに関しては、「補完    国鉄の鉄道線の並行道路上の路線。あるいは鉄道と共に組み合わされて幹線交通網の一環を成すべき路線」を保有することを運輸大臣も前述の通り承認していることから、石田総裁と、磯崎総裁はそれを受けて以下の趣旨で反論したそうです。

  • 高速道路上のパス経営は日鉄法第三条の「鉄道事業に関連する自動車事業」の範囲内である。
  • 国鉄は国民の共有財産である。
  • 国鉄はバス事業を兼営して総合的な運輸業へ発展することが必要であり、現状のままでバスの鉄道に及ぼす影響を放置すれば大き
    な国民的負担を招来する。
    民業を圧迫するものではない。国鉄は独占を主張しているのではない。国鉄バスは税制面での有利さはあるが一方多大の赤字路
    線の経営を行なわねばならず、民営との競争条件でとくに有利であるわけではない。

以上の反論を石田礼助総裁はするのですが、ここから先が石田総裁の石田総裁たる堂々としたところであり、その部分は、昭和39年 9月号、国鉄線という冊子から引用させていただこうと思います。

以下、引用開始

こまで総裁は、あらかじめ提出された公述書通りの公述を行なって来たが、最後に、民間資本の圧迫という意見は一見耳に入りやすいが、つきつめれば営利追求に立った反対のための反対であると激しくきめつける。ここでそれまで大公聴会の雰囲気にのまれてか静粛を保っていた傍聴席から思わずという感じで拍手がわく。
続けて総裁は「国鉄は行政当局である運輸省の見解に従うべきで、さもなければ法治国家としての秩序が保たれないというような極端な意見を吐く人がいる。しかし別に運輸省だって神様でないんだ。時には誤ることもある」と、ずばり。
ここでまた傍聴席から爆笑と拍手。列席していた運輸省幹部も思わず苦笑。
「誤った時には堂々と正しきことを主張するのが物の道理というものだ。それが国鉄の管理者たるわれわれの責任であり義務であると堅く信ずる」
との結びに会場はしんとなって最後に激しい拍手でクライマックスに達する。

とあるように、最後は石田総裁らしい発言で締めているのが理解いただけると思います。答弁内容は副総裁であった磯崎氏が中心になってまとめたものでしょうが、最後のこうした発言を、審議会の前で堂々と言えるのは、石田氏だけではなかったでしょうか。

国鉄は国民の財産であり、民業圧迫というのはいわば、「営利追求に立った反対のための反対であると激しくきめつける。」

まぁ、多少強引とも取れますが、こうした発言があればこそ、国鉄バスが、高速道路に参入できたわけで、現在のドリーム号に限らず、多くの高速バスをJRが運用できるその礎を気付いた第一歩であったと言えます。

実際には、中国道の開通で津山まで高速バスを補完という名目で走らせたところ、在来ローカル線よりも速くて快適ということで、肝心の姫新・因美線の急行が廃止に追い込まれるなどの逆転現象が生じてしまいました。

最終的には、国鉄バス並びに、日本高速自動車(近鉄が主導)、日本急行バス(最終的に名鉄が主導)に免許が交付されることとなりました。

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