国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
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紀勢本(東)線の夜行列車、紀州5号のルーツを探ってみる。第2回

2020-11-04 11:14:40 | 国鉄思いで夜話
次回と言いながら4ヶ月ほど放置していました。
早速、進めていきたいと思います、今回は昭和35年~37年頃までを辿ってみたいと思います。
早速手元に有る、昭和35年の時刻表を参照してみたいと思います。
今回参照するのは、昭和35年6月のダイヤ改正の時刻表です。
昭和35年は、実は結構大きな改正と言いますか、それまでの3等級制から2等級制に移行と言うイベントがありました。
実際には、昭和35年の改正で、「特急つばめ・はと」は電車化され、唯一の1等車であった展望車(他に、団体用にマイ38もありましたが定期列車としてはマイテのみ)も運用されていませんでしたし、寝台車にあっては、一足先に昭和30年には全車2等寝台に格下げされています。
2等級制は、一ヶ月後の7月1日に実施され、クロ151が登場後約一ヶ月間は一等の上に二等とかいたカバー付けて走っていたのは写真などで見られた方も多いかと思います。
さて、本題の紀勢(東)線の夜行列車のルーツをみていこうと思います。
昭和34年7月の紀勢本線全通で設定された、準急1907列車ですが、

昭和35年3月には、時刻は変わらないものの、「うしお」と言う愛称が付けられます。
名古屋 23:00 紀伊勝浦5:52で時間は変わりませんが、上り列車1908列車の設定がなくなっています。
設定はしてみたものの、新宮方面から名古屋方面に向かう夜行需要は限りなく少なかったと言うことになります。
実は、昭和36年は2回改正が行われており、3月に一度目の改正が、さらに10月には再び全国ダイヤ改正が行われています。
この時、初めて「南紀観光団体専用列車」が設定されます。

これは、特急はつかりが昭和35年12月に気動車化されたことで、余剰となったスハ44を回転式シートに改造した車両を投入したものでした。


南紀観光団体専用列車運転開始を告げる記事 国鉄線 昭和36年5月号28ページからキャプチャー


回転式に改造された、スハ44の座席、シートピッチは870mmと短かったが、足下を伸ばせるため、さほど窮屈さは向かい合わせにしない限り感じなかったと思われます。
参考:観光団体専用列車のお話、事始め

白紙改正と言われた、昭和36年10月の改正では、名古屋発の時刻が4分繰り下がり23:04となりましたが、紀伊勝浦着は変わっておらず、余裕時分を修正した程度で収まっており。観光団体専用列車が、二見浦を経由するように変更されるなど、若干の修正はありましたが、大きな変更はありませんでした。

なお、紀勢東線区間は開業当初からDF50の一人舞台で有り、一足早く無煙化が達成されていた点は特筆できると思います。

当時は、高速道路なども開通していませんでしたが、紀勢本線の全通は国鉄としても非常に期待していたおり、一番最初に団体観光専用列車が設定されたのも納得できるものでした。
特に、東京から乗り換えなしで南紀まで輸送できることは大きく、更に和歌山線、奈良線を経由して京都に抜けられることは、循環列車を構成できることも大きく、不定期列車といいながらほぼ毎日運転される急行列車として運転されました。
「うしお」の話から大きく外れてしまったので、この辺にしておきましょう。

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