国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

幻の和歌山駅改良計画 第3話

2018-04-27 13:26:19 | 国鉄思いで夜話
今回も和歌山市の改良計画についてお話をさせていただこうと思います。
昭和37年には、東和歌山駅を改良して、和歌山市の中心部駅とすることを目指して改良が進められることで合意が図られましたが、昭和40年に再び改良計画が提示され、和歌山駅の東側に設置する予定であった貨物ヤードは、東和歌山駅から南に1.5km程下った場所に設置されることが決定され、実施に移されることになりました。
それ以外の計画は変更はなく、和歌山駅【紀和駅】の貨物扱い廃止、客貨車区の移動などは昭和37年の計画通り進められることになりました。
何故、和歌山駅裏ではなく、現在のビックホエールのある地域に変更になったのかという経緯は、国鉄側に資料では見えてこないのですが、おそらく意都市計画道路の絡みがあったと推測されます。
現在も和歌山駅東口に中途半端になっていますが、有本小雑賀線という都市計画道路と言う記述がありますが、おそらく、平成24年に一部廃止が決定した、「有本田尻線」ですが、この計画の用地買収などが進まなかったことが原因ではないかと推測しています。

都市計画で変更となった、有本田尻線→有本中島線に変更
不自然に和歌山駅東口側が、昭和55年頃まで空き地で残されていたのは、こうした国鉄の用地買収がなされたのではないかと考えてしまいます。この辺はご存じの方おられましたらご教示ください。
なお、当初の計画では、和歌山操駅に隣接して客車区が設置される予定だったようですが、実際には客貨車支区として誕生したものの客車の配置はありませんでした。

さて、国鉄の交通技術、昭和40年4月号を参照しますと、紀伊中ノ島を経由して紀和駅に至る路線を廃止することで東和歌山に集約することとしています。
実際の新在家から、紀伊中ノ島を経由して紀和までの間の路線廃止は諸般の事情で昭和49年10月1日となっています。
昭和40年の修正計画案では、下記のようになっていました。

1)現行の設備では貨物線と阪和線・紀勢本線が平面交差することとなり保安上も問題
がある。
2)阪和線ホーム・紀勢線ホームを見直して、7線、貨物列車通過線1線の8線とする。
3)阪和線ホームは10m×140m【将来は180m】
  紀勢本線・和歌山線ホームは、8m×260m
4)地下道(幅員5m×2本)
5)駅本屋を改築すると共に駅本屋前を和歌山市都市計画事業の一環として整備する。【整備前駅前広場1800㎡→8200㎡】
6)駅本屋が支障するので、駅本屋を建て直すこととし、民衆駅として株式会社東和歌山ステーションビルディング(【その後和歌山ステーションビルディング】に名称変更、現在はJR西日本関連子会社の株式会社和歌山ステーションビルディング)により民衆駅として建設する。


完成当時の和歌山駅 


和歌山駅改良計画

和歌山操車場駅設置計画
なお、和歌山駅の改良計画がほぼ予定通り進んでいった背景には、和歌山市の名誉市民でもある高垣喜一市長の功績がことのほか大きく、現・和歌山駅前の区画整理などを率先して行ってきたことが大きいと言えます。

本人は、その後知事選挙への意欲を持っていたそうですが、68歳の若さで脳溢血で死去されましたが、高垣市長により和歌山市の戦後復興は大きく進んだと言われています。

参考 和歌山市名誉市民


続く
*****************************************************************
取材・記事の執筆等はお気軽にお問い合わせください。
下記、入力フォームからお送りいただけると助かります。
http://jnrera3.webcrow.jp/contact.html

日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代
http://jnrera3.webcrow.jp/index.html
*****************************************************************
『鉄道』 ジャンルのランキング

国鉄があった時代、blogランキングに参加しています。
クリックお願いします。

人気ブログランキング


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幻の和歌山駅改良計画 第2話 | トップ | 東海道新幹線開業までの歩み »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国鉄思いで夜話」カテゴリの最新記事