国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

名鉄8000系のお話

2016-05-29 21:26:18 | 国鉄思いで夜話

名鉄にはかつて8500系という特急気動車が存在し名鉄名古屋から犬山線経由で美濃太田から単独高山線に乗り入れ運転がされていましたが、名鉄の歴史はかなり古く名古屋鉄道の前身である「名岐鉄道」時代の1932年(昭和7年)10月から週末に、名古屋から下呂まで直通運転を行う列車を運転したと言う記録があります。
その後戦争が激しくなりこの乗入は中止となり長らく乗入行われませんでした。

1960年頃から観光開発の目的で国鉄への乗り入れ再開が望まれましたがなかなか実現しませんでしたが、昭和40年、名鉄築港線によって担われてきた東名古屋港駅からの貨車輸送が国鉄が出資した第3セクター鉄道名古屋臨海鉄道に無理やり変更したことへの見返りとして高山への乗り入れが認められて高山本線への直通運転が認められたと言われています。
実際に、この臨港鉄道に関しては国鉄の方がかなり強引に取り上げたようで、既得権を持つ名鉄にしてみれば大きな収入減となることもありその補償的意味合いが強かったと聞いています。

そして乗入用に作られた気動車が8000系気動車でした。
当時の7000系と同じ完全冷房で固定窓でありながら準急という破格な待遇でスタートしました。
更に特筆すべきことは、1等車も製造されていたそうですが、昭和44年には早々と普通車に改造されているようですね。

スキャナーで見えない部分を拡大してみました。

当初は「準急たかやま」としてデビューしますが、その後国鉄の施策で準急という区分が廃止になると急行たかやまに、その後昭和45年の改正では「北アルプス」の名称を見る事が出来ます。

昭和45年の時刻表から

その後昭和50年には、国鉄の増収施策の一環として、車両はそのままで「特急北アルプス」に格上げ?という出世?を遂げることとなりました。

おそらく、私鉄乗入の列車で最初に特急となった例だと思われます。


その後、JRキハ85とも併結可能なキハ8500が製造されましたが長続きせずにそのまま廃車という運目を辿ったのはご存じのとおりです。


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