
前回の更新からだいぶ間が空いてしまいました。
gooブログは2025年11月18日に閉鎖されてしまいます。
それに先立ち10月1日には新規投稿も終了とのこと。引っ越し先は検討中ですので、改めてご案内させてください。
gooにはブログだけではなくメールでもお世話になっていました。
かれこれ20年近く?になるでしょうか。無くなってしまうのが残念でなりません。
さてタイトルの件。
数年前に比叡山を訪れた際、天台真盛宗の総本山明智光秀公の菩提寺である戒光山 西教寺も訪問しました。
そこで、明智光秀自書の「明智光秀供養米寄進状」を見たのですが、良い意味で驚きました。
この供養米は、明智光秀が1573年の今堅田の戦いで戦死した家臣の霊を弔うために西教寺に寄進したもの。
そこには戦死した18名の名前が記されており、身分が低い者であっても記されていました。
また、妻 煕子は、1576年に亡くなっていたことがほぼ確実で、その葬儀に明智光秀も参列したと伝わっています。当時は夫は妻の葬儀に参列しないということが慣習だったそうですが、それを破っての参列でした。
この2つのエピソードが私にとってはとても印象的で、それ以来、家臣思い家族思いの明智光秀の人となりに考えを巡らせ、さらに深く調べていこうと考えるに至ったきっかけになったように思います。
本日はこの辺で失礼します。それでは、また。

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