桜も咲いて、スモモも咲いて、山にも花が咲き出した。花見季節もボチボチ到来。
しかし、今年は、岡山でも花見は自粛傾向である。
イベント縮小で後楽園(旭川)の夜桜ライトアップは中止。(仮設トイレ等の設備が出払ったとか物理的側面もありますが)
日本人って、何かと自粛好きだよなぁ。
米紙ニューヨーク・タイムズは28日付で「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」との見出しを載せている。
私見であるけれど、「自粛」を言っている人々って、比較的お年を召された方々が多いような気がするなぁ。
そして、不要不急の買占めもその層が多いような気がする。
「こんな時に浮かれちゃイカンのだ!」という弔意を示している事なんだろうけれど、どちらかというと上から目線なんだよな。
自粛する事で被災者との連帯を感じて「何か良いことをしている」気分になれるという錯覚では? 自分で現状分析をせずに気分や感情で動いているのでは? 本当に同じ目線?
実際に自粛による波及効果まで、あまり考えていないと思うなぁ。要は自己満足。
過剰な自粛では経済が縮こまる。
酒屋、弁当屋、イベント屋だけでなく、派生的に色々と販売機会のロス。
あと、ガタロー商売だって……ひいては代書屋も落語家も困ろう。(これは、困らないな)
前にも書いたけれど、これは『迷惑な善意』のひとつ。善意も厚意も自粛も他人に強要するのはダメ。
一見、正しく見える同調圧力に負けてはいけない。
「No!自粛」
自粛がもたらすマイナス経済効果で復興支援が遅れる事を、被災者側は肌で感じている。
経済的な二次被害・風評被害は、はっきりと人災である。
つまり、自粛勧告は人災を招く。
今は、個人発信の情報ツールが増えたので、デマがあると追っかけて是正情報が出てくるので、以前よりも正しい情報を得やすくなった。実際、ツイッターなどは典型的。
ただ、こういうソーシャルメディアに入れていない情報弱者との差が開くという別問題もあるけれど。
時間が経つと、被災者側は情報以外の癒しも必要になってくる。辛い情報ばかりでは人は前を向けない。
そして善意同様、癒しが何かは人それぞれ。癒しの強要もダメですぞ。
「欲する所に寄り添おう」と思う。
備前焼の制作活動ではそれが見えにくいので、チャリティーや作家個人の募金とかになりがちなんだけど。
次、何が出来るだろうか?
ひとまず、東北のお酒を呑もう。そして、花見をしながら考えよう。
そうです。
小生は我が家で花見をします! お酒でも団子でも~~、花が無くても(……は違うな)。
「No自粛! Do手酌!」
そして、花見をしている人を見かけたら、心の中で「復興支援、お疲れ様!」と敬意を表します。
(ただし、酔っ払っての歌舞音曲は別として……ね。ゴミも持って帰ろうね。)
さて、東北の酒蔵からのメッセージ。
「自粛していただくよりお花見を」という被災者の生の声ですぞ。 ( →自粛好きの方々)
【youtube】
『南部美人』(二戸市)・『あさ開(あさびらき)』(盛岡市)・『月の輪』(柴波町)です。
どれも美味しいですなぁ。復興を願う。
遅くなりましたが「イルカの広場」でのチャリティーの成功、おめでとうございます。今回は行かれなかったので、次回を楽しみにしています♪
東北のおいしい地酒の紹介、ありがとうございます。どれもおいしそうで、迷ってしまいますね。
さっそくThe New York Timesで自粛の記事をチェックしました。知りませんでした。今度、外国人の友達に、どう思うか、きいてみます。
忙しくされているようなので、ご自愛ください。
ちっぽけな地域情報誌を発行しているところでバイトしていると、周りが自粛するからうちも自粛ってなところが多いです。
地産地消も必要ですが、これからは「東北産東北消」にしてみます。
世界中で、日本の為に活動してくださっている方々に深謝。有難い事です。
酒呑みを自認する方々は、時々、東北のお酒を呑みましょう!(という運動はしませんが……)
「また、手に入りにくくなると困るなぁ」というジレンマもあったり、なかったり……です。
ウチの近所も多いです。自粛の連鎖。
「自粛じゃ→不謹慎じゃ→非国民じゃ」までは、さほど距離がないような感じです。
その反面、水、オムツを買い占めた事を自慢気に話していたり。納豆を箱買いしているのには、目がテンでした。
まぁ、何処かに送るのでしょう……。(と期待)