竹林の愚人  WAREHOUSE

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地図にない川へ

2007-01-11 23:06:14 | BOOKS
沢渡麗二 「地図にない川へ」 朔風社 2005.10.17. 

地図は炙ってみなければわからない。眼に炎を燃やしてじっと源流部の地図に見入る。そして青のペンを持つ。流れを示す青線が途切れたところからさらに等高線の凹みにしたがって青い線を奥へ奥へと引いていくと、知られざる伏流が姿をあらわす! 釣り人たちがときおり足を運ぶ山岳渓流の多くは、まったく地図に記載されないか、あるいは中途で断ち切られてしまう。おかげで、最源流のイワナたちは狭いながらも安住の地を得られ、強運の釣り人はあらぬところで僥倖にめぐまれる。 そんなことにあらためて思い及んだのは庚申川を3度目に訪れたときだ。 庚申川は、栃木県足尾町を流れる流程25kmほどの川である。本流は栃木・群馬県境をなす両毛山脈のなかの鋸山に源を発し、ほぼ南東に流れて渡良瀬川の右岸に注いでいる。川の名は庚申山(標高1892m)に由来する。庚申川本流の中・上流部には20あまりの滝がある。また滝のような落ち込みが数え切れない。それゆえ、中流のイワナは上流に遡ることができず、上流のイワナは源流に遡ることがかなわない。もちろん、冬季に下流へ落ちていったイワナはそれっきり戻ることはない。 このように下流からの遡上が滝や落ち込みにさえぎられているにもかかわらず、イワナたちはどんな滝の上にもまったく際限がないと思えるほど生息していた。なぜか? それが大きな謎であった。イワナの濃い川は種沢、つまりイワナの産卵に適した枝沢を数多く擁しているものだが、ここには2本しかなく、いずれも本流との出合い付近に小滝をかけている。産卵にのぞむ本流のイワナたちは、大雨が降って水流が斜めにならないかぎりそこを越えられない。 残る可能性は上から下への移動しかない。狭くて過密な源流から比較的容量の大きい上流、中流への分散である。細身のイワナたちが群れる源流のありさまを目の当たりにして、そのことに思いあたった。庚申川源流で生まれたイワナは餌と住みかを求めて次々と上流へ中流へと降下し、それぞれが見いだした適地に棲みついてきた。いわば、源流部は再生産の基地として、中・上流部は生育の場として「使い分け」をしてきたように見受けられる。それがこの川を事実上、魚止めのない川にしてきたのではないか。 足尾銅山が栄えていた明治・大正期には、今では想像もできないほど多くの人が庚申山一帯に出入りしていたという。上流域では銅山で用いる燃料として大量の木炭が作られ、庚申山はもとより両毛山脈の群馬側でも広範囲に伐採が行われた。庚申川を初めて「魚止めのない川」にしたのは当時の杣人たちであろう。中流部辺りの肥えたイワナを採捕し、仕事場におもむくその足で上流へ源流へと運び上げて放流したか、峠越えで移植したか。いずれにしても、源流部はその稚魚で溢れたはずだ。 杣人にとってイワナは大切な食料である。彼らがこの山に住みつづけるかぎり、それはいつでも獲れるものでなければならない。それゆえ、繁殖をうながす必要がある。その最適の場所が流れの緩い本流の源流域であったと思われる。源流域のイワナはかくして人為的に定着したものだと推測する。そして往時の杣人たちは、ただ単に食料としてそれを増やしたのではなく、川にイワナを放ち、その命がみなぎるのを見ることで、ある種の歓びを味わっていたのだとも考える。それは、自然と人が溶け合ったようなこの山の雰囲気に似つかわしい、ひそやかで狂おしい営みであったに違いない。


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