竹林の愚人  WAREHOUSE

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筆跡鑑定ハンドブック

2007-07-24 06:21:25 | BOOKS
魚住和晃 「筆跡鑑定ハンドブック」 三省堂 2007.07.15. 

世界のすべての国が、サインをもって自己を証明する手段としている中で、日本だけが印鑑を、自己を証明するための最重要事に位置づけている。銀行で預金をおろすための書類では、サインは同一でなくても印鑑が一致すれば有効となり、別人であっても通帳と印鑑さえあれば、預金を引き出せるしくみになっている。 では、この印鑑の真贋を銀行はいかに鑑定しているのであろうか。実は、銀行員が銀行の原簿に控えられた届け印と同一であるかどうか照合しているだけで、きわどい真贋の見分けなどは、全く意中になく、印鑑鑑定士も存在しない。 最近、ある裁判に提出された筆跡鑑定書に付された鑑定者の経歴書を見て驚いた。その鑑定者は昭和37年4月に大阪府警察本部科学捜査研究所に配属され、昭和61年に退職するまで事件に関する文書鑑定の業務に専従。その24年間に4,000件以上の筆跡、印影、印刷、不明文字検出などの文書鑑定に携わったという。1年平均166件強、2日に1件以上のペースだ。 科捜研を退職後、民事事件の文書鑑定を専門とする民間業者となり、平成14年7月までの16年間に約1,400件の鑑定に携わったという。1年平均87件、1件を4日で処理していたことになる。 そもそも筆跡鑑定士に国家試験などの資格制度はなく、鑑定の仕方にもなんら制度的な規準は定められていない。つまり法廷における筆跡をめぐる裁判は、国家資格に拠らない筆跡鑑定士が、国家規準に拠らない各自の方法で作成した鑑定書によって争われているのが日本の実情だ。 たとえばDNA検査であれば、一部の不一致を見るだけで、これを異なると判定し、声紋にしても一部の差異が認められれば、そこに疑念が注がれるに違いない。実際、四文字による署名があったとして、その中で一文字でも筆跡原則の異なる字が混じっていれば、本人筆跡とは断じがたい。しかし、裁判官は四文字中の二文字が合えば五分五分と見るのである。こんな馬鹿なことがあっていいのか。人間の個々の筆跡には必ず個々に不一致があるわけだが、本末転倒の判決が下される可能性を、現行の裁判は少なからず残している。 今日の法廷では、証拠資料はことごとく裁判所に提出されて、コピーでの鑑定では筆圧とその変化、線質など多様な要素が劣化してしまう。筆跡にかかわる裁判においては、裁判所が筆跡をデジタル化した資料を、原告、被告両者に提供するなど制度を緊急に改善すべきだ。そして、鑑定が同じ方法と条件によってなされることが必要であって、鑑定士の力関係によって軍配が上がるようなことはあってはならない。



(コメント)今マスコミで話題になっている京都の老舗、一澤帆布のお家騒動は、故人となった先代一澤信夫翁が生前に弁護士に託した遺言書と、その2年余り後に長子が先代から託されたという遺言書の内容が著しく異なることから、次子が長子所有の遺言書を偽造として訴えた事件である。 この2つの遺言書は、いずれも先代が脳梗塞を発した後、次第にその症状が深まる経過の中で書かれたもので、脳梗塞による身体的障害がいかに筆跡に影響を与えていくかが鍵を握る筆跡裁判である。 S氏が鑑定対象とした筆跡は、一澤信夫翁が満81歳(平成9年)から84歳(平成12年)にかけて書かれたもので、しかも信夫翁は平成8年2月に軽い脳梗塞を起こし、平成10年6月にS状結腸癌の手術を受けてから体調が低下して、平成13年3月15日に他界している。平成12年の筆跡とは3月9日付で書かれた一澤信太郎氏提出の遺言書である。これを「40歳、50歳を過ぎた年輩者では、ほとんど筆跡特徴は変わらない」との理由で、平成9年12月12日付の遺言書と同筆であると見なしている。信夫翁は同年8月25日と10月23日に記した筆跡を最後として信夫翁は筆を絶つ。信夫翁は長期間にわたって日記を書き続けており、また達筆で知られていた。運筆が蛇行し震えわななくようになっていることから見て、この10月23日以降の筆跡が全くないということは、筆跡を書する能力がこの時点を境に失われたと見なすことができよう。 ところがS氏はこれらを「従って、記載時期の違いによって運筆特徴が変わっているのではないかという危惧は全く不要である」と断言している。S氏は平成12年3月9日付の筆跡と8月25日付および10月23日付筆跡との明白な相違をどう説明するのであろうか。事実、京都府科捜研のT氏は鑑定書において、これをさえ類似筆跡と見なしている。 科捜研では、日夜このような常識で鑑定を行なっているのであろうか。ふつう40~50歳といえば働きざかりだが、80歳ともなればぐっと体力が落ちる。しかも、この書者は脳梗塞をはじめ、S状結腸癌の手術をし、平成11年2月には歩行障害が発し、5月には嚥下障害、7月には陳旧性多発性脳梗塞を発症している。つまり、最晩年に見られた運筆の震えやわななきは、大脳運動野の変異を表しており、まさしく筆跡の内在性の変異以外の何ものでもなく、科捜研の筆跡鑑定に疑問をもたざるをえない。