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人類史のなかの定住革命

2007-07-21 00:17:36 | BOOKS
西田正規 「人類史のなかの定住革命」 講談社文庫 2007.03.10. 

人類は、長く続いた遊動生活の伝統のなかで、ヒト以前の遠い祖先からホモ・サピエンスまで進化してきた。とすれば、この間に人類が獲得してきた肉体的、心理的、社会的能力や行動様式は遊動生活にこそ適したものであった。そのような人類が遊動生活の伝統を捨てて定住することになったとすれば、定住生活は、むしろ遊動生活を維持することが破綻した結果として出現したという視点が成立する。この視点に立てば、定住化の過程は、人類の肉体的、心理的、社会的能力や行動様式のすべてを定住生活に向けて再編成した、革命的な出来事であったと評価できる。 人類史の後期になって始まった魚類資源の利用は、およそ1万年前に出現した定置漁具の使用によって、漁獲の効率と安定性を高めた。しかしそれは携帯性を犠牲にした、遊動生活にそぐわない活動だった。 定住の動機として次に重視しなければならないのは食料の大量貯蔵だ。低緯度地域の遊動狩猟採集民は、その日に必要な食料をその日に集めるのが原則だ。高緯度地帯の狩猟民は、漁や狩で大量の肉が手に入れば保存するが、資源の季節や年による変動が大きく、高い移動能力を保持していなければならない。 ヨーロッパ、西アジア、日本、北米など、定住生活者が出現してきた中緯度環境では、食料の入手の最も困難な季節は冬であり、貯蔵食料が消費されたのも冬と考えてよいだろう。また漁撈活動は、普通は温暖な季節の活動だろう。そして、定置漁具にかかる魚類を消費しつつ稼いだ余剰の労働力を食料の大量保存に投下しようとするなら、定置漁具をかけた漁場の近くに定住集落を構えることが望ましい。アイヌ、北米の北西海岸やカリフォルニアの諸民族、「大河流域の漁撈民」などは、いずれも定置漁具と食料の大量貯蔵を組み合わせたこの戦略によって定住生活を営んだ。そしてこれは、日本を初め、北米、ヨーロッパ、西アジアなど、中緯度地帯における初期の定住者が採用した戦略でもあった。 ところが、人間が定住すれば、村の周囲の環境は、人間の影響を長期にわたって受け続ける。村の近くの森は、薪や建築材のための伐採によって破壊され続け、そこには、開けた明るい場所を好む陽生植物が繁茂して、もとの森とは異なる植生に変化する。 日本の縄文時代の村には、こうして生じた二次植生中に、彼らの主要な食料であったクリやクルミがはえていたし、ヨーロッパの中石器時代にはハシバミが増加し、西アジアの森林植生中には、コムギやオオムギ、ハシバミ、アーモンドが増加する。これらの植物は、いずれも、伐採後の明るい場所に好んではえる陽生植物であり、しかも、食料として高い価値を持っている。人間の影響下に生長してきた植物を人間が利用する共生関係であり、栽培や農耕にほかならない。食料生産の出現は、火を使う人間が、定住したことによって、ほぼ自動的に派生した、意外で、しかも人類史上、きわめて重要な現象であった。