竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

きものという農業

2007-06-22 06:45:22 | BOOKS
中谷比佐子 「きものという農業」 三五館 2007.05.30. 

初夏を迎えると、天皇陛下が稲をお手植えし、皇后陛下が宮中の桑園から桑の葉を採集し、蚕に直接与えられる。稲作において休眠反が増え、養蚕農家が日々姿を消してゆくなか、皇室は稲づくりや養蚕に力をそそいでいる。それは不思議な光景である。 養蚕は明治の文明開化をささえた産業で、日本の絹は海外から最も質が良い高級品との評価を受け、蚕糸業は日本の外貨獲得の要だった。この時代背景を受け、明治天皇の妃・昭憲皇后は、養蚕を次代に受け継いでゆくとの覚悟のもと、「皇后御親蚕」として歴代の皇后のお役目にされた。さまざまな蚕が飼育され、明治38(1905)年、ときの皇太子妃(後の貞明皇后)が小石丸をお気に召され、現皇后陛下も「日本の純粋種を絶やさず」にと、今日まで小石丸の飼育が続いている。 麻は苧麻と大麻の2種類ある。苧麻は別名からむしと呼ばれるイラクサ科の多年草。大麻糸より細い糸は上質な布が織れるということで、“上布”という名が誕生した。大麻は衣服の素材だけでなく、この茎・花穂・種・実から生まれる製品は5万種類以上にも及ぶ。さらに麻には霊が宿り身の穢れを浄化するとして、神の前に出るときの神衣となっている。 大麻の栽培場所はしっかりと囲われている。その理由は「大麻取締法」による規制で、第二次世界大戦に敗れた日本は、昭和23年7月に、アメリカのGHQによって、一方的に大麻の栽培が禁止され今日に至っている。表向きは、幻覚症状をもたらす植物の廃止だが、アメリカの石油繊維の消費をうながし、さらには日本の神道をないがしろにした。地球上で大麻を育てられないのは日本のみで、国産の麻は高額となり、禁止したアメリカの麻が輸入されている。 ワタには、「棉」と「綿」の二文字があり、植物として畑にある間、収穫して種がついている段階までを「棉」とし、繊維になった段階から「綿」と呼んでいる。日本に棉の種がインドから輸入されたのは、平安時代の始まり頃。いったん中断され、室町時代に再度棉種が輸入されてからは棉の栽培は全国規模で盛んになり、庶民の着るきものや寝具、調度品、風呂敷、おむつにいたるまで、木綿が愛用され、江戸時代には稲作と肩を並べ、東北以南の農村の重要な農作物となった。 しかし明治時代になると、“富国強兵・殖産興業”の国策により、綿を中国から輸入しての紡績産業となり、化学繊維が全盛になると、日本で生産する綿のきものは姿を消し、今は一100%輸入の綿糸のものが店頭に並んでいる。