竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

日本人にとての東京裁判

2005-11-27 09:53:52 | BOOKS
野村 実 「日本人にとっての東京裁判」 別冊歴史読本23号 「A級裁判―戦勝国は日本をいかに裁いたか」  

日本が第二次世界大戦に参加するまえに、すなわち太平洋戦争に突入するまでに、ドイツの戦争犯罪に対する「報復」が、連合国の戦争目的の一つだと決まっていた。 
さて日本が大戦に参戦すると、ドイツと同じように日本の戦争犯罪に対する裁判が、公然と論議されるようになった。
ニュルンベルク裁判は1945年11月1日に開始され、翌年10月1日に刑の宣告がった。ゲーリングなど24名が起訴され19名が有罪となり、絞首刑は12名。 
東京裁判は1946年5月53に開廷され、48年11月12日に刑の宣告があった。東条英機など28名が起訴され、松岡洋右・永野修身が裁判中に死去し、大川周明が精神異常で裁判から除外されて、残る25名全員が有罪の判決を受けた。絞首刑は7名。 
戦争裁判実施の主導的な役割を演じたのはアメリカである。戦争裁判では、「通例の戦争犯罪」と、殺人を含む非人道的行為・迫害行為を問う「人道に対する罪」と並んで、侵略戦争などの計画・準備・開始・実行とそれらへの共通計画・共同謀議への参加という「平和に対する罪」の概念が持ち込まれ、裁判をきわめてわかりにくく混乱させてしまった。 
結果として裁判は日本人に、それまで知らなかったかずかずの歴史を教えることとなった。 
日本人の一部のみがひそかに「満州某重大事件」として知っていた張作霖爆殺の真相を知らせた。柳条湖における満鉄線路を爆破したのは中国軍だから、満州事変は正義の戦いだと信じていたのに、実際は関東軍の自作自演であったことを知らせた。裁判の進行は、否定しようもない南京・シンガポールをはじめ、ニューギニア・マニラなどにおける残虐行為の存在を知らせた。開戦前の日米交渉で、日本は戦争を避けようとして真剣に取り組んだのに、アメリカは成立の期待をはじめからほとんど持たず、しかも日本の外交暗号が解読されていたことを知らせ、日本側に衝撃を与えた。 
弁護団の弁護方針は、天皇に責任が及ぶことを絶対に回避し、国家の被害を最小にしたうえで被告個人を弁護しょうとするものだった。 
裁判には、アメリカ陸軍省により任命されたアメリカ人弁護人が来日し、日本の弁護士と協力して被告を弁護した。アメリカ主導の政治裁判ではあったが、この弁護人たちは、アメリカ人の正義感の強さと義務に対する忠誠心を示して、しばしば日本人を感動させた。

全国ユニーク鉄道雑学事典

2005-11-27 07:27:43 | BOOKS
川島令三 「全国ユニーク鉄道雑学事典」 PHP研究所 2005.09.05.  

阪急電鉄の新形電車は、バランスが悪いと患えるほど、窓の位置が低い。おしゃれなデザインで知られた会社が、なぜそんなことをしたのだろう。 
阪急の新形車9300系の窓を見ると、下部はずっと低くなり、見た目にはまったく格好が悪い。扉の窓も低くなっている。 
今まではホームの高さよりも車両の床のほうがやや高かった。これを人に優しい車両ということで、車両の床を下げた車両が各社で登場している。車椅子の人にも乗りやすくし、お年寄りも段差がないので乗りやすい。 
だが、車椅子に座っている人の目線からは、扉が閉まっていると車内の状況がよく見えない。そこで車椅子からも車内の状況が見えるように窓の下側を低くしたのである。