竹林の愚人  WAREHOUSE

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阪神大震災 流通戦士の48時間

2005-06-16 21:49:27 | BOOKS
流通科学大学震災研究会 編「阪神大震災 流通戦士の48時間」 -街の明かりを消したらあかん- メタモ出版 2005.01.20.

「神戸が震度6…」 神戸は創始者・中内功の生誕の地ということの他に、大阪の千林商店街の小さな個人商店から新生ダイエーとして本格的にスタートしたダイエーイズムの発祥の地である。ダイエーマンの言わば聖地であり、ダイエーを象徴する場所なのだ。その神戸がかつてない規模の大震災の直中にある。
三宮界隈は倒壊したビルが道路に重なって倒れ、至るところで車や人の行く手を阻んでいた。夕暮れ間近、男たちは19店の前に立った。無言で自分たちのシンボルを眺めた。ビルの中央が屋上から下の階に向かって激しく潰れ落ち、店舗としてすべての機能を消失した姿。その痛々しさは、男たちの心にもまた大きな痛 みを与えた。 
震災当日からダイエーとローソンは、できる限り店を開けた。倒壊した店は、軒先で商売を始めた。彼らが用意した商品は被災 者にとってなくてはならないものばかりだった。地震による停電は当初260万軒に及んだが、72時間後には11万軒に減少した。ダイエーは電力の復旧から 直ぐに各店舗の照明を24時間点灯し、被災者に復興へのエールを送り続けた。
中内功は「タダで配るのは国の仕事だ、我々小売は店を開けていつもの値段で販売し続け安心感を与えることが使命だ」と言った。電気、水道、ガス、電話、それだけじゃなく、販売も大事なライフラインだ。プロとしてライフラインを守れ。
ダイエーはいち早くヘリを確保し、地震発生から極めて早い段階で神戸に入ることができた。初動が早かったから物資の到着もどこよりも早かった。政府の災害対策本部設置より3時間も早く対策本部が設置され、地震発生から間髪入れずに中部、関東から要員や商品を送った。
『すべてはお客様のために』、『地域のお客様に喜ばれる店をつくろう』という歴史を積み上げた企業理念、『お客様に喜ばれるダイエーになる』という経営理念が あったから、地震が起ころうが火事が起ころうが何があろうが、どんな状況でも商品をちゃんと準備して、店を開けて、正しく売った。24時間体制での営業の 中、ダイエーマンは必死に働き、使命感を感じ、この会社にいてよかったと思った。