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日本地図から歴史を読む方法

2005-06-12 00:43:39 | BOOKS
武光 誠 「日本地図から歴史を読む方法 2」 夢の設計社 2005.02.01. 

大和朝廷の朝鮮半島への進出は4世紀にはじまるが、それ以来、日本は圧倒的な軍事力を背景に朝鮮半島の国々より優位に立ち続けた。 聖徳太子が、「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書をいたす」という国書を送って以来、日本は中国から、中国の文化を慕って国交を求める「化外募礼」の国とされ、中国の属国より上位におかれていた。 
天智2年(636年)の白村江の敗戦で新羅と百済の支配権を失った日本は中国の属国、新羅と同列の扱いとなる。
大宝2年(702年)遣唐使の栗田真人は日本を新羅より上位に位置づける使命を帯びて、新羅の妨害を受けない南路をとった。このとき以来、遣唐使は南路から中国入りするようになり、多くの困難を経験した。 
奈良時代に送られた4回の遣唐使の中で全船無事に帰還できたものは養老元年(717年)の一例のみ。天平4年(731年)では4隻中2隻、天平勝宝2年(750年)では4隻中3隻、宝亀6年(775年)では4隻中3隻が帰っただけ。
約150人を乗せる遣唐使船は、幅約3m、長さ約45mにつくられていた。しかも細長い形をしていたため、前後に折れやすく、中央に帆柱を立てているため、逆風では航行できなかったという。このように多くの犠牲をともなう命がけのものであったが、彼らがもたらした多数の文献が日本文化を高めた。