竹林の愚人  WAREHOUSE

Doblogで綴っていたものを納めています。

朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点

2005-04-25 21:38:13 | BOOKS
近藤 康太郎 「朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点」講談社+α新書 2004.11.20.

はた迷惑な「俗流プラグマティズム」
 アメリカ人は、どんなに混迷が続こうが、ひとたびそれが「現実」になると、四の五の言わずに「現実」を受け止める心性がある。これを「俗流プラグマティズム」という。 真理や正義なるものが、現実にどう役立つのかがポイントだ。 一方でアメリカ人は、強烈なキリスト教精神があるとも指摘され、神の意志を地上にもたらす運命を自分たちが負っていると強く自覚しているから、ことは複雑になる。建前は真理や善を高くかかげ、やってることは現状追認の現実主義。そんなお国なのだ。
 イラク戦争を始める大義だった大量破壊兵器は、いつまでたっても出てこない。そもそもイラクは備蓄もしていなかったことが分かった。テロリストのアルカイダとイラクを結びつける証拠はどこにもない。確かにフセインは独裁者だったが、こんな独裁者をのさばらせたのはアメリカ自身に原因がある……。つまり、アメリカには、戦争を始める大義はなく、真理もなく、結果として、善でさえなかった。 2004年の大統領選直前、こうした事実は、アメリカ人の前にはっきり提示されていたように思う。
 「プッシュは、『サダムがいなくなったおかげで世界はより安全になった』と言っている。一方でケリーは、『サダムが残っていても世界は安全だったかもしれない』 と言っている。では、ケリーはイラクで死んだ1,000人以上のアメリカ兵に、君らは無駄死にしたとでも言う気なのか~ もし明日にでも戦争をやめるというなら、最後に死んだ兵士に何と説明するつもりなのだ?」 ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストが書いたこのたわごとこそアメリカ俗流プラグマティズムの本領だ。 「最後に死んだイラクの母子に、どう説明するつもりなのだ」という問いは、彼らからは一生出てこない。ったくアメリカ人って奴は……。
 俗流プラグマティズムの人と付き合う上では、こっちもそれなりの俗流処世術が求められる。 自らそうと信じる正義、真理、善を、本当にそうあらしめたいのなら、不正や嘘、悪行の限りを尽くして、アメリカをなだめ、さとし、何としても「現実」になる前に押しとどめなければならない。「現実」になっちゃあ、おしまいだ。