パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

淡々と決められていくお金に係ること

2023年06月10日 10時03分24秒 | あれこれ考えること

一月ほど前、水道料金の値上げの説明会が市内の10箇所で行われた
この10箇所は新城市が採用している「地域自治区」ごとに会場が選ばれて
自分の属する東郷地区は説明会の最終日だった

説明会に対する市民参加は、ものすごく少ない!という話は聞いていた
直近の会場では2人ほどで(平均は5人位?)
自分らの時は自分ともう一人の二人だった(説明の行政側は5人だった)

新城市の水道料金は、近隣の自治体と比べて高い!
と一部の人から批判の声が出ているが、その声を直接行政に伝えるほど
市民の関心はないのかもしれない

「水道事業は設備産業」から始まるパワーポイントを使った説明が淡々と行われる
設備の老朽化、カバーする面積の広さ、基本的にこの分野で独立採算で
やっていかなければならない(会計は市の財源から補填はしないようにして)
とする説明を聞けば値上げは仕方ないとの気持ちになると思われる

そこで素朴な疑問
やらないよりやった方がいいこうした説明会
今回は、議会で値上げの方針が議決された後で行っているが
市民生活に直接影響のあることだから
決まった後の説明ではなくて、決まる前に市民の声を聞く
という形で行ったらどうなのかとの思いが浮かんだ

だが行政は「市民の声を聞く」という作業は
市民の代表者からなる「審議会」を数回開催して十分に検討し
そこで「値上げやむなし」との結論が出たそうだ
(審議会のメンバーが真に市民の代表か?は疑問があるが
 審議会の議事録は市のホームページにアップされているらしい)

少し驚いたのはこうした審議会は、3年毎に開かれる制度になっていたことで
その度に「値上げやむなし」のお墨付きがなされるようだ

一部の人からは、近隣の他市との比較すると新城市は水道料金が高いから
新城市への移住が進まない!との極端な意見が聞かれる
また、市民感覚からすればライフラインの料金は安いに越したことはない

つまりは、水道料金はどうやったら値上げをしないで済ませられるか?
を考えることとなる
その案として市の一般財源からの補填を考える人が出てきても不思議ではない
つまりは、市のお金の使い方を無駄なところはやめる工夫して
こうした生活に直結する分野に回したほうが良いとする考え方だ
(だがこうした提案をしても、予算編成権は首長にあり
 議員や市民は首長の提案した案に反対をするしか手段はないのかもしれない)

市の会計は一般財源と市民病院とか水道事業は別になっていて
基本的には補填等はしないことになっているらしい
(だが、市民病院は過去に一般財源から補填を受けたことがある)

そして一般市民は、そうした制度的なことは知らないし
その年の予算の細かいところなどは知らない(知ろうとしない)

市民が自分たちの生活に影響すると思われることにはできるだけ関与して
自分たちの意見を反映できるようにするというのは
概念上は良きものと思われるが、実効性の問題としては
今回の圧倒的に少ない参加者のことを思うと、ちょいと無理かなと思えてならない

結局は今の世の中は「誰かに決めてもらう」制度になっていて
その決める誰かを、一般人は選挙で選抜している
この方法が良いかどうかは、現実問題として疑問が消えることはないが
それに変わる方法も思いつかないので、これをうまく活用するしかないのかもしれない

こんなふうに思ってしまうのは、大きく構えて国の例では
入管法やLGBT法案は結局は国会上の議決数では多いが
必ずしも国民全体の意思とかの数字を反映しているとは思えない議員さんの
数の力で決まってしまう!という現実が少しばかり残念なことだ

ところで国民とか市民は正しい選択をいつもなしうるか?
というのは、実は大いに疑問で、かつてドイツは多くの人が
ヒトラーを支持した歴史がある

アメリカでもロシアでも、国民はなんでこんな人を選んでしまったのか?
と思われるような起きている
そして日本でもガーシー氏を選んでしまうようなことが起きている

世の中は軽くなっている!
と不安を覚えてしまうこの頃

あれこれ話が飛んで、例のごとくまとまらない話!

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おしゃべりの時間は楽しい!

2023年06月09日 09時18分43秒 | 子どもたちのこと

雨は夜のうちにしっかり降って、朝は大した降りではなかった
朝の天気がつい気になってしまうのは、登校する小学生の子どもたちが
傘をさして、それでも濡れてしまいそうなのが可愛そうだからだ

通学中に長靴を履いた子どもが、わざわざドブにはいって行くのは
自分らの子供時代も同じで、周りの迷惑を顧みず傘を回して
水滴を飛ばすのも多分似たようなものだろう

窓から覗いた今朝の子どもたちの登校の列は
学校までに衣服が濡れることはなさそうで、少し安心したところだ

先日、少し我儘になってきた女の子が聞いてきた
「ねえおじさん、どうしてこうやって一緒に歩くようになったの?」
「それはね、知ってる人がこういう運動(あいさつ推進運動)があるから
 参加してみない!と勧められたからと、校門までウォーキングできるからと」
「運動になるもんね」
「もう一つ、こうやって君たちをおしゃべりするのが楽しいからだよ」

「そうだよね、おしゃべり楽しいもんね
 喋っていると退屈しないので時間がすぐに進んで行くみたい」
それから彼女はおしゃべりをして時間経過が速い例をいくつか挙げた

そこに口を挟むのは、忘れ物の心配なひとつ上の男の子
「話の邪魔しないで、、!」
彼は既に彼女に仕切られる立場になっている

「学校楽しい?」
今年1年の女の子に入学してすぐの頃聞いたことがあった
「イヤ!」
シンプルな返事だが、こども園の頃の自由さから
小学校の規則正しい生活は、最初はそんなものかもしれない

時間が経過して、最近もう一度聞いてみた
「学校、楽しい?」
「うん」
小学校生活もだいぶ慣れてきたようだ
女の子でもこの子は、聞かれたことを答えるだけで
自分からはあまりおしゃべりしない

小学校の校門までの時間は、行きはおしゃべりで時間が速く進んでいくが
帰りは退屈で、少し長く感じてしまう(普通の経験と違う)

月曜と木曜日のあいさつ推進運動の時間は
無邪気な子どもたちとのおしゃべりで心の健康が保たれる
素晴らしい時間だ
(いつも振替休日の月曜日は物足りなく感じてしまう)



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腰痛と天気

2023年06月08日 16時51分21秒 | 徒然なるままに

腰が痛い(朝から)
午後から雨予報のこんな天気だからと思われる
天気と腰痛は関係ないとする説もあるようだが、実感として
そして祖母も雨が近づいて来る時はいろいろ調子が悪かった

ということで、今日は何もせずに音無しの構えにしたかった

だが頼まれて恒例の豊橋のお墓の草取りに出かけた
先日の雨で道路が通れなくなっていないか心配していたが
昨日ネットで調べると渋滞はなさそうだった

しかし、いつも通る道は工程の半分くらいに
「工事中」の文字で進めなくなっていた
工事の理由が雨のせいなのか、それとも通常の工事のためなのかはわからない

仕方ない、別の道に逃げた
その道も気持ち混んでいる
ある三叉路でに来た時、利用したことのある抜け道のようなのを選んだ
この道を知ってる人は同じようにこのコースを選んで後ろに続いてきた
しかし、これが失敗だった
この道は狭くて車同士がすれ違うには苦労する
カーブになっているところは注意を要する
このカーブのところで向こうから来る車
こちらから行く車で自然渋滞ができてしまった
(信号もないからドライバー同士の譲り合いに任せるしかなかった)

こういう時は、「急がば回れ」の諺通りにしたほうが良いと反省する
結局は本通りが遅いようでも早く着く

目的地までの所要時間はいつもより20分多かった
車に乗ってる間は腰痛は感じなかったが
降りた時から腰痛を思い出した

困るな、腰痛
草取りの格好も結構しんどかった

結局、今日はゴソゴソ動くのはこれで終了
イマイチの一日だった

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広島駅にいる夢を見た(そこからいろいろ考えてみた)

2023年06月07日 09時35分02秒 | 徒然なるままに

夢は不思議だが、思い返すとその夢を見た理由がわかることがある
昨夜は広島に行った夢を見た
広島駅に立つ前は別の都市にいたが、何故か少し経つと広島駅にいた
そこで見かけた人に平和公園に行く道を聞こうとした

広島は修学旅行と、転勤していた妹夫婦を訪ねていったことがある
だが何も覚えていない
覚えているのは市電が走っていたことくらいだ

何故か不親切な人は話しかけに応じなかったが
ちょいと冗談を言ったら教えてくれた
その時、不意に頭に浮かんだのは
帰るのに間に合うだろうか?
ということで、広島駅にいる前にいた都市に戻らなければならなかった

何やらの交通機関に乗った
屋根のない変な乗り物だったが、夢はそこで消えた

起きてからこの夢を見た理由を考えてみた
その答えは容易に想像がついた
実は尊敬べき知人が8月5日に映画「ひろしま」を
市の文化会館で上映する計画をしていて
その観客動員等の手伝いをしていたからだった

映画「ひろしま」は原子爆弾の被害を受けた人々の書き残したものを元に
素人の広島市民の協力者を得て作り上げた白黒の映画で
最近デジタルリマスター化されて、それを多くの人に見てもらいたいと
知り合いは考えたのだった

大した協力はできないでいたが、どうやら心の中には引っかかっていたようだ
この映画「ひろしま」は各種団体の協賛を得るべく知り合いは行動した
新聞社、市の教育委員会、ライオンズクラブ、ロータリークラブ等などだが
一つ象徴的な出来事があった
それは新聞社にこの企画の後援を求めたのだが
地元東三河のローカル紙、中日新聞、朝日新聞、毎日新聞は了解を得たのだが
読売新聞は「今回は、、、」と協力を得られなかった

偏見を持つつもりはないが、やはり、、と感じたのは事実だ
読売新聞は数年前、安保関連法案に対する国会前の大きなデモが行われた時
(自分も参加してその規模とか熱気は実感している)
中日新聞、朝日新聞、毎日新聞は翌日の一面に
飛行機から撮影した写真を載せて大きく扱ったのだが
読売新聞は一面に扱わず、中の紙面で小さく扱われていたのだった
(これは市の図書館で各紙を比較するために確認した)

新聞の公平中立というのは、現実はそうではないと思われる
媒体の成り立ちとか立ち位置で、アメリカのCNNとFOXのような対立は
既に日本でも当たり前のように存在するようだ
もっとも、メディアが肝とする公平中立性は経済団体である組織としてのメディアが
保持し続けられるかが大いに疑問だと思うが

人々は日々接する情報で自らの考えを作ると思っているかもしれないが
実は情報に(感化されて)無意識にある考えや方向性を誘導されているかもしれない
まずはそのことを前提にしておかないと、人は間違った道をまたもや選んでしまうかもしれない

最近つくづく思うのは自分で考える、判断することの大切さで
将棋の藤井聡太さんの強さを感心するのは良いが
どこまでも考え抜く姿勢を見習ってほしいとも思う
(と言っても、自分も途中で面倒になっていい加減な判断をすることが多いが)

ということで、偶然見た夢からまとまりのない妄想が浮かんだということ


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日本語は不自由?

2023年06月06日 12時03分45秒 | あれこれ考えること

22−23のサッカースペインリーグでの久保の活躍は目を見張るものだった
9得点、4アシスト、MOMが9回
大手メディアの選ぶスペインリーグのシーズンベストイレブンにも選ばれている
サッカーの好きなものからすれば、日本でもう少し騒がれてもいいと思うが
現実は大谷の活躍の報道の影に隠れている

そのことはインタビューで久保も口にしている
日本では野球が一番の人気スポーツで、サッカーももっと注目されてほしい!と

いろんな人がいるというものの、久保の評価が日本国内では否定的な人もいる
イングランド・プレミアリーグの三笘薫と比較して大したことはないというもので
ワールドカップのあの三笘の1ミリ以後、三笘はいろんな意味で話題になった
その勢いをそのまま受け継いで確かに数試合はスーパーなプレイを続けた

だが、その時も久保はそれなりに活躍していた
不思議なことに、ふたりとも頑張っているという見方をしない人が少なからずいるようで
三笘を応援する人は久保を否定しがちで、You Tubeのコメント欄にも
全否定のようなものが見られた

日本の国内のメディアの三笘のブーム乗らず、久保も良いと言い切るのは
大勢の中で違う意見を口にすることの難しさを示しているかもしれない

久保の地元ラジオ局のインタビュー動画で興味深いもの見た
それはインタビュアーが、スペイン語と日本語で話す時の
内容の違いについて聞いた時のことだ

久保はスペイン語が何不自由なく話すことができる
子どもの時からスペインにいて、バルサのジュニアチームに入っていたからで
聞かれたこと対して、とても早口で、しばしば笑いもとるほどの対応力を示し
現地でも面白いやつ、、との印象は持たれているようだ

その久保は、日本語で答える時とスペイン語で答える時の違いを
スペイン語の時は自由に好き勝手に話すことができるが
日本語の場合は(日本人記者の場合は)少し考えてフォーマルな言い方を
しなければならないと口にしている

思ったことを口にすると、それを良しとしない雰囲気が
日本にはあるということだろう
それは確かにそうかも知れない、、と感じてしまうのは思い込みすぎだろうか

日本語と外国語の感覚はだいぶ違う
大谷のホームランを解説するアメリカ人の言葉は
日本では絶対使わない大げさなもので
我々からすると少し恥ずかしいとさえ思えるものだ

でもそれは言葉の違いだけではなく、そこにある空気・環境の為せる技と思われる
つまり日本は大げさな表現はしないとか
自信をもって断定するような発言をしないのを良しとする
多くの人の共通認識があるのではないか、、

長い間、海外にいた久保はそのことを肌で感じているのではないだろうか

いろいろ気を使うことの多い日本の社会
日本のインタビューのほうが思っていることをストレートに話せない
というのは、少し考えてみる必要があるかもしれない


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鳥居強右衛門と亀姫(昨日のどうする家康)

2023年06月05日 09時31分51秒 | 新城・地元に関すること

昨日の大河ドラマ「どうする家康」は「長篠を救え!走れ強右衛門!云々」で
新城が舞台となっていた
視聴率を調査したならきっと新城市は飛び抜けて高かったに違いない

この日の放送を控えて、昨日午前中に出かけたのが「長篠城址・史跡保存館」
ドラマ放送のあと短い時間で紹介された場所だ

地元だからここへは何回か来たことがある
あまり覚えていないのが情けないが、昨日は「何かを見るため」に出かけた
その何かは少し前に中日新聞で紹介されていた展示物だった
しかし、その「何か」が何だったのか忘れてしまっていた
だが、展示品を見ていて思い出した
それは「映画 鳥居強右衛門」の台本だった

地元のローカルスターと思っていた鳥居強右衛門は
既に一時期映画の主人公となっていたのだ
今回の放送で、瞬間的には鳥居強右衛門は全国区の人物になるかもしれないが
それ以前に、このような映画があったとは、、

だがこれは喜んで良いのかどうかは、、少し問題があるかもしれない
台本は宮本武蔵で知られた吉川英治で、それなりの人の作品だが
これが作られた時期は「主君のために身を捧げる」といった空気の醸成に
使われてしまったのだ
この扱われ方は忠臣蔵と似ているかもしれない

こうした威勢のいい話はちょいと引いて考えるほうが良い
威勢のいい話よりも、褌姿の磔の強右衛門の絵を旗指し物に描いたのは
武田方の落合佐平次であった事実のほうが自分は気に入っている
敵だろうが味方だろうが良いものは良い!
と人として評価しているところが素晴らしい

台本は小さな字で書かれており、老眼の自分は読みにくい
映画の作成動機は感心しないが、延々と続く会話の連続を見ると
役者さんはセリフを覚えるのに大変だろうな、、
と本質と関係ないところに感心してしまった

昨日のドラマのもう一つの主人公は亀姫だった
家康の長女で新城の城主と結婚した女性だ
市の中心部には亀姫通りという場所があって
その通りの真ん中辺りに亀姫が建立したという大善寺がある

先日のJA愛知東の歴史講座では亀姫にあてた家康の手紙が紹介された
どのタイミングでの手紙だったか分からないが(築山御前の死の前か後か?)
その手紙では、家康が新城に立ち寄ると約束していたのが
忙しくて行けないと亀姫に謝っていて
どの時代も親も同じなんだなとホッとするような内容だ

鉄砲隊が活躍する設楽原の戦いは次の日曜に扱われ
二週続けて新城が舞台となる
教科書にも載る馬防柵のある設楽原の戦いの絵をよく見ると
織田軍は最前線で戦っていないそうだ
リスクの多い最前線で銃を構えているのは徳川の人々らしい
そんなことを思うと、昨日のドラマの織田と徳川の
何処かギクシャクした関係も納得がいくような気もする

ということで、新城市はこの機会をフルに活かして
観光客を増やしてもらいたいものだ

ところで番組後のショートコーナーでは、短い時間だが
鳥居強右衛門が走った岡崎から長篠までの65キロを走ってみよう
と試みた人々の話が紹介されていた
この強右衛門マラソンの主催者は知り合いで、第一回目のときに
少しお手伝いをしたことがあった

こうした試みは警察に許可を取らないと実施できないようで
競争してはいけない、同時に多くの人がスタートしてはいけない
信号は守らなければいけない、、終わったあとは報告書を提出するなどの
規則があったそうだ
自分が手伝ったのは10キロごと(だったと思う)の水分補給とか
エネルギー補給で、車で先に休憩所に行って準備して待つ役割だった

第一回目は、鳥居強右衛門の家系の子孫をあるきっかけで知っていたので
ゴールの長篠城で待っていてもらった

それにしても65キロの長距離を走る人ってのは、呆れることに結構いるもので
今年は女性ランナーも多かったようだ

ところで次の日曜日(11日)には鳥居強右衛門役の岡崎体育氏と
亀姫役の當真あみさんのトークショーが文化会館で行われる
応募多数のため抽選となっているが、果たして自分は当たっているか、、





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今週と来週は新城が舞台(どうする家康)

2023年06月04日 09時08分08秒 | 新城・地元に関すること

今日の新聞のテレビ番組欄の「どうする家康」は、このように紹介されていた

JRの鳥居駅の名前の由来ともなっている鳥居強右衛門が登場するようだ
ドラマ的には後の築山御前の事件に関連するほうが中心の話題らしいが
新城市民としては、どうしてもこちらの方が気になってしまう

今日4日と来週の11日は、設楽原歴史資料館で
大河ドラマのパブリックビューイングが行われるようだ
藤井名人の誕生を待つ瀬戸市民の気持ちがわかるかもしれない
(自分は行く予定はないが)

大河ドラマで新城が舞台になるのは幸運で、
この機会を活かすべくいろんな取り組みがなされている

名古屋地区からの観光客を見込んで、ドラマ放送期間に
新東名高速道路経由の新城長久手直通バスが割安になっている


このバスは運行自体に問題点が多く、あまり賛成できない事業だが
運行している現実を活かすべく方法は必要だと思う
(この方法はありかな!という感じ、ただしこの結果の検証は大事)

そしてもう一つのイベントは観光協会のHPでこんなふうになっている


応募受けつけスタートの日に応募したが、明日明後日のうちに抽選の結果がわかるかも

ということで、現場からの報告でした

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設楽原決戦場まつり(明日は「どうする家康」で新城が舞台)

2023年06月03日 17時35分37秒 | 新城・地元に関すること

昨日の線状降水帯の被害は隣町の豊川市、豊橋市ではテレビでも取り上げられたが
新城市の我が家のあたりは幸い大したことはなかった

土曜日の今日、気になったのは天気で野外のイベントが心配だった
今週と来週、大河ドラマ「どうする家康」で取り上げられるのがこの新城市絡みで
一つは長篠の戦いの鳥居強右衛門、そして馬防柵の設楽原の戦いだ
そして今日は設楽原の馬防柵付近で「設楽原決戦場まつり」が行われることになっていた



7年ほど前に見たことがあったが、流石に今年は気になって再び現場に足を運んだ
だが見物客は多くなかった
東名高速も新東名も通行止めになっていたり、雨の被害でそれどころではない人が
多かったせいかもしれない
「高速道路が使えなかったので下の道で来たから一時間余分にかかった」
と一部のイベントに間に合わなかった人が嘆いていた

知り合いのスタッフは、自分の川沿いの土地が雨で崩れて本当は祭りどころじゃない
と話しかけてきた

設楽原決戦場まつりは、人を殺す火縄銃の演武だけがメインではない
2枚目のイベントスケジュールにもあるが、戦いで亡くなった人の法要も行われる
自分が以前このイベントを見にきた時は、甲府から信玄に関係する人たちが
やってきて法要に列席していた
今年はこんな天候だったせいか、それともコロナを気にしてか、、
どうやら来なかった雰囲気(?)

馬防柵はこんな感じのもの



ここで1575年有名な戦いが行われた


行われたのは旧暦5月21日で今の暦にすると7月のころだ


火縄銃の演武はこんな感じ 
今年はうまく撮影できなかったので前に撮ったものだ

今年は

多くの人が亡くなった戦いなので、勇ましい姿だけに注目されるのは良くない
亡くなった人の魂を鎮めるためにお盆に行われるのが、信玄塚の火踊り(ひおんどり)
やはり戦いは良くない

だが、現実的に新城の知名度をあげているのは「長篠の戦い」と織田徳川連合軍が
火縄銃の攻撃で無敵の武田軍を破った「設楽原の戦い」で
これこそが地味な新城市がアピールできる全国区の出来事なのは間違いない

現場には知り合いの顔がチラホラ見られた
子どもが武者行列に参加するので見に来た親御さんもいたが
多くはお年を召したボランティアの人たち
このような人のお陰でイベントや施設の管理がなされている

これで明日になれば「どうする家康」では長篠の戦いで
鳥居強右衛門が登場するらしい

例の大河ドラマ出演者によるトークショーは、現状1500ほどの応募があり
一人2名までだから3000名が入場の権利を待っているとのこと
ここまで多ければ、抽選に外れても喜ばしい気持ちになれる感じ
(と言っても当たったほうが良いのは当然だが)

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負けた人の人間性(応援したくなる渡辺明さん)

2023年06月02日 09時16分59秒 | 徒然なるままに

今日は新聞の一面、昨日は号外まで出た藤井聡太さんの名人位獲得
これで将棋界の8大タイトルのうち7つを手にした
愛知県人としては誇らしいが(瀬戸市の人はもっとだろうが)
こうした天才の活躍をリアルタイムで見られるのは幸せなことだ
(ただし将棋の中身ではなく現象面だけだが)

同時代に生きる人間としてメッシの全盛期を見ることのできたのも
若い時にビートルズの活動をリアルタイムで感じられたのは
後世の人よりもラッキーかも知れない
(未来にもとんでもない才能の持ち主が現れるかもしれないが)

ところで、渡辺明さんは損な役回りだ
保持していたタイトルは全部藤井聡太さんに奪われている
藤井聡太さんが登場するまでは最強とされていたのが
今は全く引き立て役しか演じられていない

強いものが勝つのが勝負の世界だが、この極端に偏った結果は
少し同情してしまう

自分は勝った人より負けた人、どこか運のない人が気になる性格で
大津皇子、土方歳三、小栗忠順、村山たかなどの味わった苦悩が
気になってしかたない

将棋の渡辺明さんはツイッターを利用していて今回の名人位失冠について
以下のようなツイートをしている

今回もこのような結果になったのは残念というか、実力不足が
情けないというか、、、(特に第4局、第5局)
△46角〜△66角は全く読めてなかったし、
こういう複雑な局面での正答率が本局もそうだけどシリーズ全体
というか、2020年以降、この3年の戦いでの差となりました。
無冠になったことについては、いざこの時を迎えてみると
一言では言い表せません。
でも、今までもこの3年間も今日まで前向きに取り組んではきました。
無冠になったことで将棋への向き合い方が変わる訳では
ないんですが、このタイミングで一度、お礼を言わせてください。
長い間、タイトル保持者として充実した時間を過ごすことができたのは
将棋ファンのみなさまのおかげです。
ありがとうございました。

言いたいこと、悔やむこと、自己嫌悪の陥りそうなことを
すべて受け入れた上でのこの短い挨拶に人間性が感じられて、
少し心が動いてしまう

渡辺さんは自分を大山・中原・羽生から藤井聡太さんへ続く橋渡し
みたいな役割の人間だと発言したのを何処かで見た気がするが
この真面目な人柄を見ると、今度はリベンジする姿を見たいとも思う

現実を認めるのは想像以上につらいこと思われる
だが、そこからしか物事は始まっていかない


渡辺さんは奥さんが漫画家でYoutubeでとても面白いエピソードが紹介されている
ここでも、いい人だな、、と感じさせられるので
いつか彼の努力が報われることを願ってしまう

【ボイコミ】渡辺明VS.藤井聡太!渡辺くんが見た藤井くんの強さの秘密は?『将棋の渡辺くん』その②

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リタイア組と仕事についている人の心臓病のリスクは、、、

2023年06月01日 09時25分27秒 | あれこれ考えること

小耳に挟んだニュースに、リタイアした人は(同年代の)仕事を続けている人よりも
心臓病になるリスクが少ないというのがあった
日本だけでなく世界中で行われた調査から明らかになったとのこと

いつまでも仕事がある生活が強いられたり
それを良しとする風潮の日本社会では好ましくない結果かもしれない

第一感は、仕事のストレスから解放されるからと思いついた
ニュースではそのこともあげられていたが、現実的には
リタイア組は健康維持のために適度な運動をする時間が取れるから
と合わせて紹介されていた

確かにジムに行くと年配者が圧倒的だ
コンビニの利用者は年配者が多いのと同様に
ジムは年寄りのための施設のようだ

そこでフト思うのは、心臓病になる確率の少ないリタイア生活は
(かつては悠々自適の生活と呼ばれていた)
どのくらい実現されているのだろうか?という点

仕事が生きがいになっている人は別として
収入のために(あるいは時間つぶしのために)働くという行為を
選択しなければならない人は、自分の時間を自分で使えないことになる

もっとも、有り余る悠々自適の時間が幸せかといえばこれも疑問があって
先日読んだ「暇と退屈の倫理学」国分功一郎著には
暇とか退屈(とか孤独)が耐えられなず、なにかに追われている方が楽でいい
とする人の多いことが紹介されている

最近思うことは、自分でいろいろ決めるのは
日本人はあまり得意ではないのではないか?ということ
すべきことも誰かに言われる方が楽ちん!
と思っているのではないか
それは結果的に強いものの追従しがちな、権威主義的な傾向のように思える

ただ心臓病のリスクのこの報道から見れば
自分のことは自分でコントロールする社会のほうが
良いものだと考えることもできる

現実社会では悠々自適の生活とか高等遊民と言われる人の生活は
社会的・経済的には何も生産しないかもしれない
(文化・芸術は生み出したようだ)
だが社会に縛られていないだけに公平な判断もできると思う

つまり選挙においても損得の視点からだけでなく
人生経験から身につけたある種の理想を掲げ
その信念にそって判断できる層が社会には必要と思われる

こうした層を安定的に確保するのが
求められるべき社会のような気もする

またもや、まとまらない話!

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