パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

パパゲーノの文字が目に入った

2022年08月20日 09時15分29秒 | 徒然なるままに

自分のあちらからのコピペ

夜遅いから絶対見ないと思うが、NHKの番組に気になるタイトルのドラマがあるのを知った
「ももさんと7人のパパゲーノ」8月20日 夜11時から0時

自分のこことは別のブログのタイトルは「パパゲーノの夢」だ
パパゲーノはモーツァルトのオペラ「魔笛」の登場人物
このオペラは「魔笛」という響きから想像されるオドロオドロしいものではなくて
「魔法の笛」でイメージされる、子どもも好きそうなメルヘンチックな作品で
どちらかといえばドタバタ喜劇の様相がありながら透明感のある作品で
ゲーテが感激し、その後編の台本を作ろうとしたとか

職業鳥刺しのパパゲーノはいい加減な人物で
人が見ていないと思えば手柄(蛇退治)は自分のものとするし
バレた罰としておしゃべりを禁止されても口を挟みたくなったりする
そして辛抱とか辛いことは大嫌い
恋人女房があればいいのにな、、と愚痴ったりする
そして運がなくて生きていても仕方ないと自殺しようとする羽目になり
自殺までのカウントダウンを始めるが、「3.2、、、」
そのテンポは段々遅くなっていつまでも最後まで行かない
誰か止めてくれ、、と祈るように、、、

結局、彼は救われることになるが、いい加減な人物でも
彼にとって楽しい結末に至ることは、赤塚不二夫ではないが
「それで良いのだ」と肯定的な人生観を「魔笛」からなんとなく実感できる

世の中には「パパゲーノ効果」という言葉があるらしい
ウィキペディアによれば
マスメディアが人生相談や自殺を思い留まり成功した例を挙げることで
大衆の自殺を抑制する効果のことである

魔笛の中で、パパゲーノが思いとどまったように
何らかのきっかけがあれば自殺は抑制できるという考え方だ
コロナ禍で自殺する人が多いと報道されているが
このドラマで少しでも気分転換ができたらと思う

話は飛んで、ブログタイトルの「パパゲーノの夢」に戻ると、夢は具体的には何か?
となりそうだが、実はいい加減なパパゲーノらしく実は何も考えていないというのが実態だ
それで良いのだ、、と言い切るのは多少気が引けたりするが、、、

 

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採決の決まり

2022年08月18日 09時43分27秒 | 市政、市議会に関することなど

世の中にはいろんなルールがある
普通の人が直感的にそう思い込んでいるものが、実はそうでないというものもある
例えば多数決がそれで、3つの選択肢があった場合、一つ一つ採決を行って
その中で一番多かったものが採用すべき答えと思ってしまうが
そんなに簡単なものではないらしい

もう一つ普通の人の思い込みには、採決は一人一回というのがある
3つの選択肢のなかからひつとだけを選んで自分の意思表示とする
これなども、疑いもなく自明なことと信じている

ところが、一般人が少しばかり悩んでしまう採決が新城市の6月議会であった
それは、新城市議会に提出された請願の扱いについてだ
請願は、いろいろ問題となっている給食の共同調理所に関することで
ウクライナ戦争の煽りを受けて建設資材等が高騰している今
安易に計画を推し進めることは市の財政に負担を課すことになる
更に、この計画の進め方に市の失策がいくつか存在する
また、計画自体にも技術的に無理と思われるところがいくつか存在し
この際、一度立ち止まって計画の再検討をしたらどうか、、というものだ
(もう少し緻密な内容の請願だが、大枠の感じはこんな内容)

これは議員6人が属する厚生文教委員会では採択とされ
議会最終日の議員全員で行われる本会議で採決をすることになった

ところが本会議では、採決前の討論という場面で「趣旨採択」という選択肢が新たに提出されたので
「趣旨採択」「採択」「不採択」の3つの選択肢が存在することになった
会議のルールには、採決をする場合は順序があるらしい
一番最初の採決は「趣旨採択」について問うものとなった
その数は7名で、議長を除いて17名の議員の過半数を超えないので趣旨採択は否決された
17人のうち残りの10人の判断はどうなのだろう、、となるが
次に採決されたのは「採択」についてで、その数は5名だった
ここで普通に考えると、不採択は残りの5名になりそうで、
結果的に3つの中で一番多かったのは「趣旨採択」なので
趣旨採択が議決結果になるのかな、、、と思いきや結果は「不採択」という表現のものになった

3つの選択肢のうちどれも過半数を超えることがなかった場合は「不採択」とする
これが議会に存在する決まりらしい
どうも分かりづらいが、最新の議会の広報誌「議会しんしろ」にこのときのルールが
掲載されていた

ここで、注目すべきは※がある部分の文章で
「趣旨採択に賛成した議員も改めて採決をします」とある

つまりは採決は一回だけでなく、もう一度判断できるということになる
なるほど、過半数を超えない場合は有効な判断ではないというのは
フランスの大統領選などで見られるような方法で
採決にはいろんな方法があるものだと理解はするが
問題はこうしたルールを議員は事前に知っていたか、、という点だ

趣旨採択をした人物が心情的には「採択寄りか」「不採択寄りか」を
意思表示する機会があることを知っていたなら(今回はみんな知っていなかったと思うが)
この結果はどうだったのか気になる

ルールとか規則というものは生まれる必然性があるのだが
部外者はそれらを理解するのは難しい
議場で騒がしい傍聴者は排除できるようなルールがあるが
聴いているだけと思われる傍聴者にも、ある手続きを取れば
発言の機会があるような規則もあるようで
これはある会議で自分が実際に経験した
(議長が許可すれば傍聴者にも発言の機会が与えられるというもの)

世の中は確かにいろんなルールのなかで生活をしている
そのルールは直感的に納得できるものが大半と思いたいが
どうもルールを知っている人には使い勝手の良いルールが
存在しているようだ(それができた必然的なプロセスがあったとしても)

ということで、6月にはなんだかな、、
と疑問に思った出来事があったので、
これらのルールの説明でなんとなくスッキリしたということ
(納得はしていないかもしれないが)


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子どもの学力に影響するもの

2022年08月17日 09時17分35秒 | あれこれ考えること

学力に影響するのは遺伝か環境か?
古くて新しいこの問題は、環境が変わってしまった双子の追跡調査で
環境は馬鹿にならないらしい、、と安心できる結果がでたらしい

昨日、これに関連するような面白い読み物を見かけた
「親の学歴・年収より影響が大き良い!?
 子どもの学力が上がった家庭にたくさんおいてあるもの」

気になるたくさん置いてあるものというのは、本のことだ
家に蔵書がある子どものほうが学力は高いらしい
これはこの記事だけでなく
2017年に文部科学省によって実施された全国学力・学習状況調査の結果と、
その対象となった小学6年生および中学3年生の子どもたちの
保護者に対する調査の結果を関連づける調査報告書 でも明らかになっているらしい

だが蔵書が多い家庭というのは、そもそも年収の多い家庭ではないか
と想像されるので、結局は経済格差が学力に影響していると考えられそうだが
年収というより文化的な刺激とかが影響しているらしい

音楽会に行く、美術館に行く
そうしたことが日常的に行われ、文化的な刺激を受け続けた人は
知的好奇心を刺激され、精神的な体験が個性として身につくまでになる

一方、親ガチャに外れたとされて、日々の暮らしに汲々としている人とは
体験すること自体が違う
その影響は大きくブルデューの「ディスタンクシオン」では
詳細なアンケート調査から、個人の嗜好性まで左右するらしい

こうなると「結果平等」と「機会平等」という言葉の重みを実感する
様々な体験をする機会のある人とない人
個性とか価値観を内的に作り上げるのは実感を伴う体験だが
その体験が、読書を含めて家庭環境で大きな差があるとしたら
個人差というだけで片付けられない問題なのかもしれない

と問題を拡大して、難しくしてしまうのは自分の能力を超えているので
ざっくりと実感しようとしたのはシンプルに、蔵書の多い家庭のほうが
学力の高い子どもが育つ可能性が高いということ

これは、なんとなくそうだろうな!と納得できそうだ
ただ本に取り憑かれてしまった人は、その多様な世界を知ったがために
それを知らない人達との円滑な交流はできなくなってしまうかもしれない

自分はあまり物欲はない方だが、満足できる環境というのは本とレコードに囲まれた生活だ
コレクターではなくて、それらを一度でも内的に経験したものと一緒にいられることは、
登った山の地図を見ながら、にそっと満足感を感じるのと似ているかもしれない

でも、本棚に読むのに途中で挫折した本などを見ると
どこか罪悪感とか、落ち込みそうな気持ちを感じてしまうこともある

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ゲーテとベートーヴェンの違い

2022年08月16日 10時50分42秒 | 徒然なるままに

本当か嘘か知らないが、こんな話がある
ゲーテとベートーヴェンがある通り(道)で話していたところ
身分の高い公爵(?)か誰かが通った
その時ゲーテは会釈して挨拶をしたが、ベートーヴェンはそうしなかったというのだ

ベートーヴェンにすれば、人間的に尊敬に値するかどうかわからない人物に
頭を下げるなどということは意味のないことと思い
ゲーテにすれば、無視することで一悶着起きそうなことはしないでおくのが
世間の知恵と考えたのかもしれない

これを現在の社会に置き換えてみると、政治家の人(国会議員)に出会った時
我々はどんな態度を示すだろう
少なくとも彼らを「先生」と呼ぶことは自分はしたくない

尤も、あちらの方も見ず知らずの人間が一人や二人不遜な態度でいたところで
なんの思いも感じないだろうが

ベートーヴェンとゲーテ
自分はベートーヴェンの方に共感を覚えるタイプかな、さて



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片付けながら思うこと

2022年08月16日 10時07分57秒 | 徒然なるままに

行き帰りの道は帰りのほうが短く感じるのが普通
ただし、近所の子供達と校門までのウォーキングは
帰りのほうが退屈で長く感じる

盆提灯等の飾り付けと片付けは
どちらのほうが早くできるか?
掃除機をかける前に、汗をかきながら
盆提灯の片付けをしながら偉い人が口にする

圧倒的に片付けのほうが早く終る
ただし、偉い人はパーツを包んだり袋に入れたりするのが好きなので
その袋なり包み紙を前と同じように利用するのに
ちょいと記憶力が必要となる

盆提灯程度なら大した問題でないが、これが5月人形となると
毎回どのように飾り棚を作ったか?とか
並べる位置はどこだったか?とか
つけ忘れたものはないか?とか
怪しくなりつつ記憶力をモロに実感する

一年に一度しか活躍の機会がないそれらは、二階の納戸にしまってある
そのしまってある場所を理解してるのは自分じゃない
自分は力仕事として、上から下ろす役だけだ

日課は掃除機をかけるだけで大したことをしていないので
こうした細々としたことに取り組んでみると
自分が如何に生活感のない生活をしているかわかる

可燃ごみも、資源回収の瓶、ペットボトル、紙類も
日々ちゃんとしておかねばならないが
そういうことができないというか、やる気のないのは
(任せっぱなしで)イカンなとつくづく思う

生活することは、面倒くさいことを飽きずにすること
なんだか、そんな気がしてきた

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般若心経

2022年08月15日 09時16分04秒 | 徒然なるままに

大好きな祖母が亡くなって以来、仏壇に食事を供えて般若心経を唱えている
心情的に仏教徒ではないが、わざわざ我が家のしきたりに反抗することもないので
良い意味での惰性に従っている

はじめは般若心経を覚えるのは、格好良いくらいの感じだった
同居人も一緒に覚えることになった
「般若心経は無の字が多いね」そんな感想を漏らす同居人
写経をするには、一つ一つの文字の画数が多いので大変だ
(知り合いが写経したものを額装してプレゼントしてくれた)

お盆のこの時期、一年ぶりに我が家に帰ってきたご先祖様に
朝昼晩と般若心経を唱える
いつもは木魚なしなので、ハイスピードで唱えることができるが
今は木魚を叩きながらなので、スピードはいつもよりゆっくりだ

般若心経の内容は、相変わらずわからないままだ
「色即是空、空想是色」が基本概念らしいが
解説文を読んでもよくわからない
というか、それらの理屈がリアリティを持って感じられない

分かっていなくても、毎日続ける
それが日課になると、同居人との一緒の行為・行事で
それが貴重なもののように思われる

我が家に帰ってきた人たちは、何も食べずに今日の晩には
また元の場所に帰っていく
それが単なる思いつきの考えであったとしても
なんかとても優しい思想のように思える

確か明日の朝は、般若心経を唱えなくてもいいとか
(まだ旅の途中だからという理由で)

こうして少しづつ夏が過ぎていく

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抜群の吸収力とパワフルな行動力

2022年08月14日 10時10分53秒 | 徒然なるままに

お盆のこの時期はチビ子ったち(2歳と4歳)がやってくる
少し前までは人見知りで、すぐに不安そうに泣いていた子が
今度は何かを話しかけてきた

白い紙を持って「何も描いてない!」と見せる
確かに何も描いていない

お兄ちゃんは4枚の紙に、落書きを描いている
その一つ一つはスーパー何とかというキャラクターのようだ
無茶苦茶に描いているようでも、どこかそこに彼の英雄がいるようにも見える

妹はお兄ちゃんの真似をする
トイレに行くときもついていきたがる
と笑いながらお母さんの説明がある

お兄ちゃんが目ざとく折り紙で作った傘を見つけてさすような格好をすると
妹のほうは団扇も探し出して、頭にかざす
最初は何してるかわからなかったが、お兄ちゃんの真似!の一言で納得

この前はお話できなかったから、妹がこちらに向かって何かすると
とても微笑ましく思えてくる
特に会話が面白い
とても変だが、どこか理屈があっている

赤ちゃんとか子どもが言葉を覚えるというのは、本当に不思議だ
脳のシナプスが増えて、、、などという物理的な説明よりも
経験で意志の交流ができるようになるのは、本当に不思議だ

子どもたちの吸収力が羨ましいね
自分たちは全然覚えられないし忘れる一方だし
こうしたよく聞かれる会話がまたもや登場した

子どもたちは歩かない
いつも走っている
紙を持って、折った飛行機をもって、傘を持って、団扇をもって
とにかく走る
それもキーキーと声を発しながら

彼らの目に映るのはどんな現実なのだろうか?
と不意に思う
脳の知識の蓄積ではない、あるがままの世界
自分らにもあったことだが、なんだかとても不思議だ

不意に、メルロ・ポンティの「大人から見た子ども」は
やはり面白い本だったと実感する

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台風の前は蒸し暑すぎる

2022年08月12日 09時36分39秒 | 徒然なるままに

蒸し暑い!
雨が降ったり、止んだりで天気が安定しない
台風の前はいつもこんなだ

現代は台風が来るのをほぼ正確にわかるが
野分と言ってた頃は今よりも自然は怖いものだったのだろうな(と思う〉

クイズで昔は台風のことをなんと言っているか?
とやっていたが、源氏物語の「野分」の巻があったのでよく覚えていた
(同居人に自慢気に説明した)

野分に光源氏の自慢の河原院もだいぶこっぴどくやられたようで
そのやられ様は現在でも想像できる

そういえば、源氏物語のしょうもない人物、光源氏にも
一つだけセンスがあるなあ、、と感心したことがあった
それは「蛍」の巻で、夏の夜、蚊帳の中に捕まえてきた蛍を放したシーンだ

暗い蚊帳の中を点滅しながら飛んでいる蛍
想像しただけで、風情があるものに思える

子供の頃は蚊帳がある家だった
四隅に蚊帳を引っ掛ける場所があって、吊るすようにして大きな袋のような
蚊帳が布団を囲んでいた
蚊帳の中に入ることがどこか秘密めいてワクワクしたような記憶がある
あの中に蛍がいたなら、、きっと捕まえたいと思ったに違いない
姉は近くの川に竹箒をもって蛍を捕まえにいった

あの頃の暑さと今はだいぶ違うと思う
エアコンがなくても開けっ放しにしておけばそれで寝られた
(防犯上の心配も必要ない時代だった)

それにしても、昨今の蒸し暑さは何だ
最近の自然の反乱は、まるで傲慢な人間の行いを諌めているかのよう
それ根拠のないことかもしれないが、そのように考えたほうが良いとも思えてしまう

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今日は山の日

2022年08月11日 09時40分32秒 | 徒然なるままに

今日は山の日
盆の時期には山登りしていた頃、後ろ髪を引かれるように下山の一歩を踏み出せないことが多かった
そして下山したあとはいつも、数時間前にはあんなに純粋なところにいたという事実に
何かとても不思議な思いを覚えたのだった

今にしてみれば、もっと写真を撮っておけば良かったと思わないこともないが
カメラを持っていると撮影ばかりが気になって、山を楽しめないような気もして
敢えて目の前の光景と記憶の中の山を楽しもうとしたこともあった

写真には撮っていないが、槍ヶ岳から眺めた笠ヶ岳の方のモルゲンロート
蝶ヶ岳からの圧倒的な量感の槍穂高連峰
裏銀座の圧倒的な静謐感
馬の背を分ける天候の違い
雲海に浮かぶ富士山
そして夜中にはくさるほど多い星の天の川
そうしたものは、思い出そうするとその時の感動した気分も蘇ってくる

それでも客観的な記録としての写真を探していたら
こんなのが見つかった

大好きな常念岳の頂上からの景色だ
常念小屋からの槍穂高連峰の光景はこうだ

山は良いなあ、、と少し後悔の念をもって思う

登山の途中はどんな山も楽ではなくて、必ずしんどい思いをすることがある
特に夜行列車とか夜行バスで登山に向かったときは身体が重くて
「今日は体の調子が普通ではないかもしれない、やめたほうが良いかも」
などという誘惑が頭を過ることがあった
でも行程の半分を過ぎると、戻るのはもったいなくてひたすら登ることに必死になる
そして帽子とかメガネから汗が流れ落ち、ハアハアという余裕のない呼吸音が聞こえると
頭の中は同じ言葉が何回も繰り返す(今でも覚えているのはダケカンバと繰り返したこと)

この余裕のない状態は、自分自身と対面しているようで、実はこの感覚を味わいたくて
山登りをしているのかもしれないと思ったこともあった

山は良いなあ、、
自分自身と向かい合えるから、
そして確かに、山という純粋な世界が間違いなく存在していると実感できるから

※この景色もすごかった(北穂山頂から槍ヶ岳方面を臨む)

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おせっかい

2022年08月10日 08時57分28秒 | 徒然なるままに

ピンク・フロイドの名作「エコーズ」が入ったアルバムタイトルは
「おせっかい」だ
なぜ「おせっかい」と名付けられているかは知らないが
このアルバムは大好きで「原子心母」や「狂気」よりも好きだ

我が家にはおせっかいの人がいる
先日はとうとう我慢できずに、近所の家の伸び放題になっている草を
処分しに出かけた
彼女がいつも買い物に出かける道と家の敷地(塀)の境、
側溝部分には雑草が勢いよく伸びている
「気にならないのかしら」
何度も不平そうにつぶやく
そしてとうとう、我慢できずに朝の涼しい時間、自分がまだ寝ている時間に
鎌を持って草を刈に出かけた
(草を抜くには根が張りすぎて彼女の力ではできないので
 草の部分を刈っただけとした)

大きな透明のビニール袋には刈った草が入ったまま
近所の家の外の片隅に置きっぱなしになっている
「重たいから持ってきて」
と寝ぼけまなこの自分にハイテンションで命令する

はいはい、、
この人のおせっかいぶりは慣れているし
偉いな!と思うこともあるので、素直に従うことにしている

おせっかいのおじさんは近所にもいる
別の場所の草が伸びっぱなしになっているところを
歯のついた草刈機で刈り取っている
この方は資源回収のときもボランティアで手伝っている

世の中は、こうした知られていないが頭の下がる行いをしている人のおかげで
何事も問題なく進んでいるのだと思ったりする

彼女、彼の行動の動機はみんなのためというより
伸び放題になっている草は美しくないから気になって仕方ないかららしい
調味料をテーブルに置くときも、ちゃんとラベルが見えるように、、、
としばしば怒られるが、きれい好きの性格ゆえに
だらしなく見える伸び放題の草は気に入らないのだろう

それに比べて、、自分は?
要反省!


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