パンセ(みたいなものを目指して)

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言い出しっぺに、右にならえ?

2007年02月05日 20時40分31秒 | Weblog
昨日の選挙で2敗しなかったから(?)
どうやら今のところ、柳沢厚労相の進退問題は
お預けになるらしいとか

しかし、参議院選挙の前哨戦とはいえ
なんで地方の選挙結果にそれらが絡んでくるのだろう

今日も、あるラジオ番組では
「マスコミ全体が、何の疑いもなく、選挙で負けるような事があれば
 一挙に進退問題に火がつく」
とした報道はおかしい、と言っていたが
全くだ。

地方政治と国会を一緒にするなというのではない
それよりも、誰かが何の気なし(?)に言った言葉
発言されてしまった言葉に
すぐに相乗りするこの国のマスコミに多いに疑問を感じるのだ

だいたいにおいて、多くの人がいれば多くの考え方があるわけで
地方の選挙と進退問題とは関係ないという人がいたって
何も変どころかむしろ普通だろう
なのに、やはりこの国はNHKも民放も同じトーンで解説する

そもそも一番最初にそのように発言したのは誰で
どんな根拠が有ったというのだろう

ありそうなのは評論家という連中が言った言葉に
そのまま何の疑いも持たずに、
まるで自分の意見の様に報道した
というのが現実ではないだろうか

これは昔、町で見かけたある光景に似ている
商店街を3人くらいの派手目の服装をした女子高生が歩いていた
ちょうど彼女らの進行方向から、変な格好をした青年がやってきた
「格好いい」(「格好わるい!」)
どちらだったか忘れてしまったが一番最初に歩いていた女の子が言った
すると、後ろに歩いていた女の子も同じように
「格好いい」(「格好わるい!」)と相づちをうった
その時自分は、先頭の女の子は、実は
「格好いい」(「格好わるい!」)のどちらでもよかったのではないか
ただ、発言してしまったから、以後はそれを言い通して
いくしかないとなってしまったのではないか
つまり、後ろの子は、
最初に発せられた言葉に反論する気分(勇気)がなくて
(すれば仲間はずれにされる?)
従ったに過ぎないように思える

誰かが言った
そしてそれを引用する
人の言葉だから自分は責任を持たずにいられるので
気楽に知ったかぶりができる
こんなことが、いたるところで行われているのではないか

イラクの捕虜となった人たちに対する自己責任の報道のトーン
偽メール事件も辞める辞めないに終始してしまったこと

それらはもっと別の報道の仕方や見方はなかったのだろうかと
今でも残念に思ってしまう


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