パンセ(みたいなものを目指して)

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終わりまであと少し!「全体主義の起源」3

2016年03月17日 19時39分07秒 | 

シンドラーのリストという映画があった
収容所で全く偶然の選択で銃殺される人物、されない人物が分けられ
無機質に銃が撃たれるシーンはショックを受けた
ひとが人をまるで何事もないかのように命を奪っていく
それはとても気持ち悪く吐き気がしたが、人はそこまでやってしまうことが
空恐ろしいと思ったものだ 

それが何度も繰り返されると不思議に思ったことがある
収容所に入れられた人びとは何故、みんなで一緒になって蜂起して
抵抗しなかったんだろうか
たとえ無駄かもしれないが少しでも可能性があるのなら
何もしないで死を待つよりはましなのではないか
一人でも道連れにしたほうが自分の感情にも折り合いがつくのではないのか
そんなことをずっと思い続けながら見ていた

ところがこの疑問というか話題が、最近読んでいる「全体主義の起源」3
ハンナ・アーレントの本の中にも実例として書かれていた
抵抗しないどころか、連合国軍が勝利して収容所が開放された時に
普通の感情なら今までの仕返しとしてSSの連中に暴行を起こしそうなものだが
それが何もしなかったというのだ

ハンナ・アーレントはここに大きな問題点を感じている
自発性の欠如、個体性の破壊ということは、自発性のー
つまり環境や事件に対する反応では説明され得ないある新しいものを
自らすすんで創始する能力のー抹殺に他ならないのである
その後に残るのは、生身の人間の顔を与えられているが故にかえって不気味な
例外なしに死に至るまで唯々諾々と反応をー反応のみをーつづけるパブロフの犬と
同様に振る舞うあの操り人形なのだ

つまり収容所では人は自発性という人間のもつ能力を
反抗とか仕返しとかいった感情さえ持つことができないくらいに 
破壊されてしまったということ
そしてこの機械的なシステムこそが全体主義のシステムというわけだ

正直、この「全体主義の起源」は恐ろしく難解だ
ページ数はやっと終わりに近づいてきているが、その内容を理解しているとは
とても言いがたい
この本のハンナ・アーレントの文章は一つがとても長い
そしてやたらと挿入文が多いので(途中で関心がそれて)全体としてわかりづらくなる
それにこの手の本の思考方法に慣れていないしボルシェビキ等の歴史も知らない
だからとてもしんどい

しかし確実に感じることがある
それは、これはとても大事なというか需要なことが記されているという実感
理解できようができまいが、これは読み終えなければいけないという思い
しかも全神経を集中して
確かに地方都市の何の力もないおっさんが読んだところで
世の中が変わるわけでもない
でも、何故かこれはそうしなければならないと感じる

この本を読まなければいけないと思うのは
今の日本が危ない方向に進みつつあると心の奥底で感じているから
なのだろうか?
 

 

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