パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ゴールデンタイムの番組から想像する報道の質の低下

2021年05月18日 09時38分34秒 | あれこれ考えること

少し腹の立つ話(最近は精神状態がよくないかもしれない)

テレビが一人一台の時代になって久しいが、
最近はゴールデンタイムにテレビを見ることは少ない
まず見ようとする気分にさせる番組が見当たらない
新聞の番組表を見て、今日もパスだなと決めて
自分のペースで過ごせる時間の過ごし方に移る

テレビ局の方々は、本気であれで視聴率を取ろうとしているのか?
と疑問に思えて仕方ない
タレントさんをひな壇に並べて、どの局も同じようなクイズとかおしゃべりを展開する
(こうした番組に良いところはあるとしたら、途中からでも見られるし、途中で見るのをやめても気にならないことか)

番組をつくる方とか出演する方も、この形の方が効率がいいらしい
ドラマは台本、演出、セット、それに稽古による拘束時間など手間が多い
それと比べると、多少の台本はあったとしても、ちゃちゃっとできそうな予想はつく
出演者もセリフを覚えなくてもいいし、ちょいと出るだけでそれなりの金額を得られるのなら
ありがたいと感じる人もいるようだ
しかし、それは作りての立場で、見る方のこちらは十把一絡げでつまらないと判断してしまう
そしてそれは現在のテレビ局の力の低下を現していると想像する

テレビ局はバラエティだけでなく、報道の番組もある
ゴールデンタイムの番組の質の低下があるのなら、報道番組にも質の低下があるかもしれない
と考えるのは自然の成り行きで、最近はこれを強く実感する

工業製品の検査は出来上がった製品の一部をピックアップして取り出しそれをチェックして
製品の不具合を確認するらしい(統計的な方法)
つまり一部を見れば全体が見える、、ということだ

ゴールデンタイムの番組の質を見れば、報道番組の質も想像できる
それを感じるのは「誰かがこう言った」とする伝え方が異様に多いと思えるからだ
このあたりは上西充子氏の「政治と報道」にもその危険性が指摘されているが
報道の業界で当たり前になっていることが、実は当たり前ではないのではないか

若い人はテレビなど見ない、ネットで充分とする人がいる
しかしそのネットのニュースもそのソースは、テレビ番組や新聞記事に依存しているので
現実は旧媒体の影響を知らず識らず受けていることになる

報道には報道されていることと、大事なことなのに報道されていないことがある
直近では東京の新型コロナ陽性者数は伝えられるが、検査数は報道されない
これに違和感を感じる人は少なくないと思われる
ならばメディアが独自に調査して発表すれば良いことだけだが
何故かそれはなされずに、みんなが同じような伝え方ばかりをする

そこに政治的な意図があるとかどうとか、という問題ではなく
敏感な人が感じる違和感に対してメディアが平気でいられるという点が問題だ

最近、気の滅入ることが多い
質問に答えないあの人の会見に、それで良しとしている特別な立場(記者クラブ)の人たち
中には真面目な人もいるだろうに、それが形となって出てきていないのが、とても不安で不満だ



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 例外が多い場合はなにか怪しい | トップ | ジーニアスに合わせる?それ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

あれこれ考えること」カテゴリの最新記事