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悲劇の洞爺丸

2020-06-19 07:09:22 | 船舶
国鉄 洞爺丸 沈没事故


1954(昭和29年)9月26日。
青函連絡船・洞爺丸の沈没事故が起こりました。
それは日本海難事故最大の事故となりました。





現在は本州・青森と北海道・函館を結ぶには青函トンネルがありますが、
当時は青函連絡船以外の方法は他にはありませんでした。

洞爺丸は3898トン、全長118メートル、全幅15,8メートル。
国鉄が所有する、
乗客932名、乗組員128名、合計1060名。
速力は時速32キロの船で、
国鉄車両18両を積載する事ができ、青森~函館間を4時間半で運行していました。

運命の9月26日。
午後4時のNHKニュースで函館気象台発表の台風情報として、
15時現在、台風15号は青森市西方100キロに在り、
中心気圧968ミリバール、時速110キロで北東に進行中。
今夜、北海道を通過するものと思われる、と放送しました。



函館では17時頃より急に風が弱まり晴れ間も出てきました。
それは誰もが台風の目に入ったと信じたのでした。

近藤船長は18時30分の出港を決定します。
この船長はベテランであり、気象判断に詳しく、
「天気図」とあだ名されるされる程だったのですが、
この時の気象図は寒冷前線と温暖前線が微妙にからまり、
人々に(偽りの台風の目)と信じ込ませる状況が出来上がっていたのです。



洞爺丸は4時間遅れの18時39分に函館港を出港しました。
しかし、間もなく40メートルにもなる強風を受けた為に、
航行は困難と考え、19時01分、函館港外に投錨(錨を下す)。
船首を風上に向け、船位の維持に努めました。

しかし、風は一向に収まらず、波は更に高くなり、
19時30分頃より後部の車両積み込み扉から海水をすくい込む様になり、
船内への流入が始まってしまいます。



この時の波高は6メートル。波長は120メートルと推定され、
水線長(船体の喫水線の長さ)115,5メートルの洞爺丸は、
波に船首が持ち上げられると、後尾の車両乗り入れ口は海面下になり、
海水を飲み込んでいったのです。

21時40分頃には船体は左舷に20度ほど傾斜します。
これは後には右舷傾斜に変わって行きますが。
洞爺丸の様々な機械類が停止し、
船体は走錨(錨を引きずったまま走り出す)し、操船が不能になってしまいました。

船体の傾斜は40度にも達し、船体は大波に翻弄され、
水深12,4メートルあるにもかかわらず(本来なら余裕のある深さ)、
船底が海底に接触する強い衝撃が繰り替えされます。



その後の調べで洞爺丸のビルジキールは、その際の接触により、
全て失われていたそうです。



22時39分、SOSが発信されます。
しかし、その直後の22時43分に洞爺丸は横倒し状態で沈没します。

死者は1155名。救助者は159名という大惨事となってしまいました。
近藤船長は船と運命を共にして亡くなってしまいました。







この時には2800トンクラスの連絡貨物船4隻も沈没し、
275名の方が亡くなられています。
全部で1430名という尊い命が失われ、
この時の台風15号は、洞爺丸台風と名前を変えたのでした。





この事件は映画にもなりました。
1954年(昭和29年)11月封切り。
主演の近藤船長を演じたのは、宇佐見淳也でした。



現在、洞爺丸が沈没した浜には慰霊碑が設けられています。






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