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富士山と岡田紅陽

2020-09-22 04:21:36 | 写真
日本で最も多くの写真を撮られている被写体と言ったら、
それは間違いなく富士山だと思います。

富士山が見える場所に行ってそれを撮らなかったという人の方が少ないと思います。
私も、今までに富士山の写真は数百枚は撮ったと思います。
特に富士山にこだわっている訳ではありませんが、それでも数百枚です。

その富士山ばかりを撮り続けた写真家が居ます。
岡田紅陽です。





岡田紅陽(1895年~1972年)77歳
1914年(大正3年)に借り物のカメラで富士山を撮影したのが始まり。
1925年(昭和元年)東京・麻布に写真スタジオを設立。
1940年(昭和15年)富士写真協会を設立。
1950年(昭和25年)日本観光写真連盟設立。
1952年(昭和27年)日本写真協会を創設。

富士山写真の先駆者と言われる。
生涯に撮影した富士山の写真は40万枚といわれる。



これは、千円札などでお馴染みの富士山で、
富士五湖の中の本栖湖から撮った有名な写真ですね。



これは、西伊豆・大瀬崎からの富士山。



山梨県の忍野八海(おしのはっかい)と思われますが、
これはかなり昔の写真で、今はもう無くなってしまった風景ですね。





忍野八海というと、この茅葺屋根と水車の写真が最も有名ですが、
さて、今でもこれらは残っているのかは分かりません。
岡田紅陽は、「この場所に、この花を前景に撮ったら素晴らしい」と思うと、
そこに花の苗を植えて、翌年花が咲いた時に撮りに行く。
という写真家でしたから、他の写真家にはチョッと真似出来ないですね。

忍野八海では1987年(昭和42年)に、
テレビ取材のカメラマン2人が潜ったまま戻れなくなり亡くなるという悲劇がありました。
足ひれなどで一旦巻き上げた泥は容易に沈まず、
視界を奪われて出口を見失ったそうです。





忍野八海から近い場所に、岡田紅陽写真記念館があります。
私は忍野八海は行った事がありますが、記念館にはまだ行った事がありません。

富士山でもそうですが、
いつだったカタクリの花を見に行った近くの小さな公園の池で、
近在のオヤジカメラマン数人が、
全部で百万円はすると思われる望遠レンズ一式を付けたカメラを大型三脚にセットし、
ある木の枝の止まるであろう小鳥の写真を撮る為に待ち構えていました。

私はそういった風に大勢のカメラマンが集中する様な写真は、
絶対に撮りたくなく、自分だけが見つけた目線で写真を撮るタイプです。
岡田紅陽は、そういった彼等とは一線を画した、富士山写真の最高峰でした。

しかし、富士山というのは、何と言っても日本を代表する景色ですね。
1966年(昭和41年)には、
英国BOACの旅客機が富士山の乱気流に巻き込まれ空中分解し、
124名が犠牲になる事故を起こしています。
イギリス人乗客が多く乗っていた為に、機長は富士山を近くで見せたいと、
サービス精神で行ったのが仇となってしまった悲しい事故でした。









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