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親戚って何だろう・・

2018-08-03 07:35:24 | 日記
私の親戚というのは、全部が母方です。
父方の親戚というのは、完全に縁が途絶えています。

私の父親は、私が2歳半の時に亡くなりました。
その時、姉は4歳半でしたが、
姉は父親の姿を覚えているそうですが、
2歳半だった私に父の姿は、まるで記憶にありません。
我が子の記憶にも残らなかった親というのは、きっと悲しかったと思います。

何故、その父方の親戚と縁が切れたかというと、
戦後の、日本人みんなが食べる事すら大変だった時に、
私の母は夫に先立たれ、
女手ひとつで2人の子供を育てなければなりませんでした。
藁にもすがりたいそんな時期に、
父方の親戚は何の援助もしてくれなかったそうです。

それが母には耐えがたい、許せない事だったみたいです。
故に母は父方の親戚と縁を切る様になったみたいです。

父には弟が居ました。
千葉に住んで居る、その弟からは毎年年賀状が来ていました。
私の父は軍人でしたが、写真で見ると威張りくさった、
私と同じ顔をした父でした。
その父よりイケメンの弟の写真は今でも覚えていますが、
勿論、もうとっくに亡くなっています。

年賀状が来なくなったのは何時だったかは分かりませんが、
とに角、それっきり完全に縁は切れたのでした。

私は、最初から父方の親戚というのは、
古い写真と年賀状だけの世界でしたので、
縁が切れたと言っても、それほどの気持ちもありませんでした。


さて、私の親戚である母方の親戚ですが・・・

母は7人姉弟でした。
母は上から2番目でした。
女6人、男1人という構成です。

女6人の内、一人は30歳の時に結核で亡くなりました。
昭和20年代のまだ戦争の後遺症が色濃く残っている大変な時代で、
物もあまり無かったのでしょうね。

その(私から見ればおばさん)はまだ30歳。
「まだ死にたくない」と言って子供を一人残して死んでいきました。
最後に何か食べたい者はある?と訊いたら、
「アイスクリームが食べたい」と言ったので、
大急ぎでアイスクリームを買いに走ったそうです。
その話を母から聞いた時は可愛そうで泣きました。
30歳・・どれほど死にたくなかった事でしょう。

残った6人は全員が長命でした。
一番上の伯母さんは95歳だったか・・
母は96歳でした。
次の叔母さんは現在、多分90歳くらい。
その弟は2年くらい前に80代後半で亡くなりました。
一番下の妹たちは健在で、80代です。

十数年前だったか、
一年に一度、皆で集まろうよという話になりました。
姉妹会と言ってました。
一番上の姉。母。弟。妹3人の6人。
そして、姉の子供2人。母の子供2人(私と姉)。妹の子供1人。
全員が集まっても11人ですが、
全員が集まるという事はありませんでした。

それでも、数年間はこういった事をやっていました。
その内、一人、二人と物故者が当然、出てきます。

叔父さん、叔母さんの子供では、
まるで幼い頃に一度程度は会った事があるけど、
成人してからは一度も会った事は無い。
それより、その存在は写真とかで見ていても、
一度として会った事が無い、という子供達が何人もいます。

そうなると、もう親戚とか言っても、
その関係が復活するという事は、あり得ないというのが悲しい現実です。
姉妹会の復活はもうありません。
後は個人的に数人で会うくらいですね。

私は以前の妻との間に女の子が一人居ます。
悲しい事ですが、連絡もままならず、これは一生の悩みです。
現在の妻には勿論、孫も居ての親戚関係があります。
妻のそういった事に私は深入りしませんが、
親戚って一体何なんだろう?
そういった気持ちが、この年齢になるとつくづく思うのです。






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