摩耶山へ 2010-01-21 | 山のはなし 1月17日(日)は六甲山系の摩耶山に行ってきました。 1月17日が休日だったので、久しぶりに追悼のつどいに出かけました。 となれば、六甲山に登らないわけにはいきません。 そんなわけで六甲山系の摩耶山へ。 摩耶山は神戸に住んでいた頃、一番よく登った山です。 よく家から歩いて登ったもんです。 いい天気です。15年前もいい天気でした もう15年。時の速さにただ驚くばかりです « 明神平であけまして | トップ | 極寒の大峰・ところがどっこ... »
8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (監督) 2010-01-22 17:24:31 今は昔、自分は麻耶山のふもとにある高校に通ってまして、毎日、海を見下ろしながら下校するのが楽しみでした。学校の山の家が中腹にあって、部活でそこまで走って登らされたりしたこともあって、なんとも懐かしいです。 返信する Unknown (ぜいぜい) 2010-01-22 23:07:15 時の経つのは早いものですね。御霊よ安らかなれと。 返信する 15年たちましたね (うさぎ) 2010-01-23 11:03:34 あの日 私は阪急伊丹駅近くのマンションに住んでいました。駅の姿に絶句し、ベランダから神戸方面に何本も煙が上がってる様子に恐怖が湧き上がりました。なんで、どうしてこんな事に、、、情報も流れてこず ほんとに恐かったです。ホテルオークラに 『ファイト』の文字が浮かび上がったとき 声を上げて泣きました。泣いた後 ガンバんなきゃって思いました。あれから15年 また元の生活にもどったけどあなたたちの分まで強く生きてます!という事忘れてはなりませんね。びすこさん 心に染みいる写真をありがとうございます。○(^-^)oガンバッテマス♪ 返信する 15年 (やまとそば) 2010-01-23 14:31:00 もうそんなになるのですね~。尼崎付近に叔父さん、叔母さんがいて少なからず家屋の影響があったので良く覚えています。最も麻耶山のその倍以上、30年以上も前に登ったきりかな?遅まきながら、お亡くなりになった方や遺族の方々に心から哀悼の意を捧げます。 返信する Unknown (まきくま) 2010-01-23 23:53:44 竹の灯籠 すごい数だ。わたしは、大雪の上越から帰った朝、屋根に雪をのせたスキーバスがくずれた高速道路に引っかかっているのをみて、呆然としたのを覚えています。どうか 安らかに。 返信する Unknown (びすこ) 2010-01-26 18:51:21 >監督 おお~摩耶山のふもとの高校って、あそこですね~。 山の家が中腹に?どこやろ青谷かなあ。 六甲はあちこち歩いたのですが 夏山のトレーニングとして真夏の摩耶山に何回か登ったのが 一番印象に残っています。 >ぜいぜいさん ほんとほんと15年ってあっという間ですよね。 今の中学生以下の子供たちは 震災を知らないなんて…はあ、年を取るワケだ。 >うさぎさん コメントをありがとうございます! そうそう、鉄道とか高速道路とか全部倒壊してて あれは想像の範囲をはるかに超えていましたよね。 情報はラジオしかなかったので 私はその後、携帯ラジオを買いました。 それが今、山を縦走する時の必需品になっていますよ。 >やまとそばさん 30年前の六甲山かあ~、やまとそばさんの山歴って凄すぎ! その頃の神戸ってまだ港町情緒漂っていたのでしょうか。 この前、久しぶりに山頂から見た神戸の街は 高層ビルが増えたなという印象です。 >まきたたらん おお~なんか忙しいのに、メール何回も送ってごめんよ~ 震度がすごかったとはいえ、ほんの15秒の揺れで 都市を崩壊させるなんて、私は15年経った今でも未だに信じられないんですよ。 私たちが考えているより自然は恐ろしいもんなんですね。って今更だけど。 返信する はじめまして (きらら) 2010-01-31 17:11:53 はじめまして「ビスコ?」様冬の鹿島槍ヶ岳を検索していたら「本家サイト」にヒットしHPを楽しく拝見させていただきました。「女らくがき道」はオモロゥ~!今年は是非復活!させてください。楽しみにしております。では失礼いたします。 返信する Unknown (びすこ) 2010-02-02 21:01:51 >きららさんどうもはじめまして!コメントをありがとうございます。冬の鹿島槍ですか~。きららさんはやまやさんなのですね。らくがきですが、なかなかネタがなくてごぶさたなのですが今年はまた復活させたいです。気長~にお待ちくださいませ。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
駅の姿に絶句し、ベランダから神戸方面に何本も煙が上がってる様子に恐怖が湧き上がりました。
なんで、どうしてこんな事に、、、
情報も流れてこず ほんとに恐かったです。
ホテルオークラに 『ファイト』の文字が浮かび上がったとき 声を上げて泣きました。
泣いた後 ガンバんなきゃって思いました。
あれから15年 また元の生活にもどったけど
あなたたちの分まで強く生きてます!という事
忘れてはなりませんね。
びすこさん 心に染みいる写真をありがとうございます。○(^-^)oガンバッテマス♪
尼崎付近に叔父さん、叔母さんがいて少なからず家屋の影響があったので良く覚えています。
最も麻耶山のその倍以上、30年以上も前に登ったきりかな?
遅まきながら、お亡くなりになった方や遺族の方々に心から哀悼の意を捧げます。
わたしは、大雪の上越から帰った朝、屋根に雪をのせたスキーバスがくずれた高速道路に引っかかっているのをみて、呆然としたのを覚えています。
どうか 安らかに。
>監督
おお~摩耶山のふもとの高校って、あそこですね~。
山の家が中腹に?どこやろ青谷かなあ。
六甲はあちこち歩いたのですが
夏山のトレーニングとして真夏の摩耶山に何回か登ったのが
一番印象に残っています。
>ぜいぜいさん
ほんとほんと15年ってあっという間ですよね。
今の中学生以下の子供たちは
震災を知らないなんて…はあ、年を取るワケだ。
>うさぎさん
コメントをありがとうございます!
そうそう、鉄道とか高速道路とか全部倒壊してて
あれは想像の範囲をはるかに超えていましたよね。
情報はラジオしかなかったので
私はその後、携帯ラジオを買いました。
それが今、山を縦走する時の必需品になっていますよ。
>やまとそばさん
30年前の六甲山かあ~、やまとそばさんの山歴って凄すぎ!
その頃の神戸ってまだ港町情緒漂っていたのでしょうか。
この前、久しぶりに山頂から見た神戸の街は
高層ビルが増えたなという印象です。
>まきたたらん
おお~なんか忙しいのに、メール何回も送ってごめんよ~
震度がすごかったとはいえ、ほんの15秒の揺れで
都市を崩壊させるなんて、私は15年経った今でも未だに信じられないんですよ。
私たちが考えているより自然は恐ろしいもんなんですね。って今更だけど。
冬の鹿島槍ヶ岳を検索していたら「本家サイト」にヒットしHPを楽しく拝見させていただきました。
「女らくがき道」はオモロゥ~!
今年は是非復活!させてください。
楽しみにしております。
では失礼いたします。
どうもはじめまして!コメントをありがとうございます。
冬の鹿島槍ですか~。きららさんはやまやさんなのですね。
らくがきですが、なかなかネタがなくてごぶさたなのですが
今年はまた復活させたいです。気長~にお待ちくださいませ。