Yum Yum Yummy !!

私とBisouとマリモのうまうまノート

2つの鮭の南蛮漬け

2018-09-19 | Yummy!

皆様 ご心配いただいております 北海道胆振東部地震から
2週間が過ぎ、震源近くの厚真町、安平町、鵡川町も
沢山のボランティアに支えられながら 少しずつ環境や
生活を立て直そうと頑張って💪います。

節電の為 札幌市内の観光名所の看板や建物の
ライトアップが控えられていましたが 今夜❗️18時に
再開しましたっ   
   
スーパーマーケットの保冷棚にはアイスクリームや氷菓類も
戻ってきました❗️🍨🍦
牛乳やヨーグルトも 朝一でスーパーへダッシュ🏃しなくても
買えるようになりましたが 家から1番近いマーケットは
牛乳の種類、銘柄のラインナップが ちょっと変わりました。
でも。何となく・・・まだ やっぱり地震前とは違うけれど
少しずつ、戻ろうとしています。

我が家は冷凍庫と冷蔵庫の在庫整理メニュー続行中。
今日は 長時間停電を乗り越えた 時鮭と今、正に
シーズンの秋鮭を使った南蛮漬け。

同じ白鮭ですが時鮭(トキシラズ)は本来、秋に獲れる鮭が
春〜夏に沿岸を回遊しているところを定置網で捕獲したもの。

秋鮭(アキアジ)は9〜11月、産卵の為 川を遡上するのに
戻ってきたところで捕獲されるもの。
産卵間近なので身には脂が少なく締まっています。

うぅーん。やっぱり私は時鮭の方が好き〜〜

身がフワフワで 焼きたて揚げたても とっても美味しくて
南蛮漬けにすると ついつい出来上がるまで待てなくて
食べ始めちゃったりするので いつも自分との葛藤(笑)

でも身に脂があって柔らかいので 冷たく冷やして食べる
南蛮漬けにしても 身が硬くなくて美味しいのです。

今日の南蛮漬けは 柚子果汁とライムのW柑橘使い。
爽やかで美味しく出来て良かったぁ〜 

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がんばろう北海道

2018-09-15 | Yummy!

9月6日未明の地震、そして その後の北海道全体での
ブラックアウトになった停電から1週間あまり。

停電や断水からは 震源近くの厚真町、鵡川町、安平町などを
除いて 殆どの地域が復旧し、スーパーマーケットも
コンビニもドラッグストアも 飲食店も少しずつ元の生活へ
戻ろうと みんな頑張っている北海道。

私の居住区も まだ震度1に満たない微震や ユラ〜ッと
弱く揺れる程度の震度1、ユッサと揺れる震度2、グラグラッと
なる震度3程度の余震が続いています。

頻度も減って間隔も長くなってはいるけれど やっぱり
揺れると どんなに微弱でもビクッとなります。

私、あの地震が起きた後、停電から復旧した夜も含めて
数日間は夜、寝る時にパジャマや部屋着に着替えず、
「いつ何時に大きな揺れで逃げなくてはならなくなっても
すぐに動けるように」と靴下も履き、ジーンズも履いて
靴も枕元に置いて寝ていました。

また寝入っている夜中に大きな揺れが来て 窓ガラスや
室内の割れそうなものが割れて 暗い室内で 着替えや
足元に気を取られずに動けるようにしていないと怖かったので。

そんな数日を過ごし、今は少し気が緩み始め、夜は流石に
靴下とジーンズでは寝なくなりました。

長時間停電を乗り越えた我が家の冷凍庫内のものは
パッと見、霜も付いていなくて何ともなさそうだけれど
一定温度で保ててはいなかった時間があるので 早めに
食べてしまわなければ・・・と只今 在庫処分の
メニューが続いています。

まずは冷凍庫の中心で他の物に囲まれ、守られて
停電を乗り切っても凍ったままだった昨シーズンの
イクラ醤油漬け。
昨シーズンは秋鮭の収量が極端に少なくて 平年の
2倍以上のお値段になって イクラ醤油漬けを作る度に
お財布が軽〜くなった 涙のイクラ醤油漬け。 

今シーズンは昨年より1.5倍ほどは収量の見込みがある様子。
新物を漬け込む前に 在庫処分のイクラ丼。
毎年、1年分を漬け込んで 1回分ずつ小分けして
脱気して冷凍していますが 冷凍期間が長くても
しっかり脱気するせいか 油焼けしている味や香りは
感じません。

そして。イクラ丼の次は 停電中、冷蔵庫から冷凍庫に
移って未開封のまま停電を乗り越えた牛乳。
賞味期限内だったけれど やっぱり そのまま飲むのには
気がひけるし かといって未開封だったので そのまま
流しに捨てるのも気分が進まず 何とか加熱&加工をしても
胃袋に納めるぞと心を決め 全卵を使っての
カスタードプディング 🍮を作りました
・・・と言っても全道的に20%の節電を呼びかけられて
いた期間だったので オーブンは使わずフライパンで
蒸したスティーム プディング。

フライパンで大きなプリン🍮を作るなんて 久しぶりすぎて
「スが入らずに滑らかに出来るかなー」とドキドキしながら
作ったけれど いゃもう、自分でもビックリするほど
素晴らしく良い具合に出来ました。

ここのブログは動画が載せられないのが残念。
出来上がった大きなプディングを揺らした時の
ぷるるぅぅぅ〜ん・・・となる様子が堪らない感じでした。



それをね。こうやって 好きなだけ掬い取って
食べたのだけれど たっぷり作った苦目カラメルソースの海に
フルンフルンの柔らかで滑らかな 甘み控えめのカスタード部分が
もう、飲み物のようでありました。

あぁ もう。停電中は夜、真っ暗なので 寝るしかなくて
早寝早起きで 他の楽しみもないし名実ともに食っちゃ寝の
生活に近かったのもあるし 停電復旧後は在庫処分な食卓で
増量しそうでございますよ、私・・・・💨

そんなご飯モリモリな食生活ですが 地震と停電、断水中は
気が張っていて乗り切れていたのか?! 今頃になって
夜、あまり眠れないし 昼間は寝不足の所為なのか頭痛が
続いていて どうもヨロシクない

でも。私には強力な専属の看護師が おりますの。
ほぼ24時間 つきっきり。



昼間も私の隣で。

頭が痛くて 今日はベッドに横になろうと寝室に行くと
空かさず小走りに付き添ってくれます。

「ママちゃん、早くネンネしニャさいねー」



「見てますニャよー」

・・・・停電でビズが毎朝 飲んでいたヨーグルトが
ダメになりました・・・・。 そして その後、乳製品の
流通はまだ 元に戻っていないので新しいのが入手できず
毎朝のビズのお楽しみも休止中。

こんなに 一生懸命、私に寄り添って癒してくれているので
早くヨーグルトが簡単に買えるように戻って欲しいわ〜。

、、、でも。そんなことより 本当は まず地震がおさまって
震源近くの町の方々も お家に戻って 元の生活が
取り戻せるのが1番。 

頑張ろう、、北海道。
 

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冷蔵庫のお片づけ

2018-09-10 | Yummy!

39時間25分の停電で保冷温度が不安定になってしまった
冷蔵庫と冷凍庫の中身をチェック。

停電になって 冷蔵庫のものを冷凍庫に移したり 
逆に冷凍庫のものを冷蔵庫に移して 保冷状態を なるべく
維持するようにしていたと 冷凍庫は本当にキッチキチの
ギューギューにものが詰まっていたので冷凍庫のものが
思っていた以上に冷凍状態を保っていて驚異的な保存状態。

冷蔵庫も詰めすぎは冷気の循環が悪くなると言われているけれど
本当にキチキチ一杯に詰まっていたので停電復旧時に冷蔵庫の
最下段に入れていた飲み物を飲んだ時に 「あれっ❓冷たい❗️」と
ビックリする状態を維持していた。
夜中に停電になって 朝になって明るくなってすぐ、保冷シートを
冷蔵庫内にカーテン状に貼り付けたのと 冷凍庫にもシートを
上掛けしたのが良かった様子。

野菜室の ほうれん草も小松菜も小ねぎもブロッコリーも
痛むことなく しっかりしていた。
驚異的‼️‼️

・・・とは言っても1度も停電状態にならなかった冷蔵庫の中身と
39時間も停電になった後の冷蔵庫の中身が 全く同じ状態では
ある筈がないので 今の冷蔵庫内の物は早めに食べなければ、、、と
言うことで肉も野菜も お片付け中。

2色の人参はいつものサラダ。中途半端なキャベツと胡瓜は
コールスローに、、、と思ったけれど ポテトサラダを作ったので
同じマヨネーズ味になるのを避けて キャベツ、胡瓜、玉ねぎの
塩もみ。 こうしておくと甘酢で和えても良いし ツナと一緒に
和えても良いので 活用しやすいの。
それから紫キャベツのマリネ。 なんかサラダ三昧(笑)

今日も町内を徘徊(笑)


ご近所の建物の根本。 清田方面の酷い液状化現象みたいには
なっていないけれど うちの近所も歩道や道の端が 隆起したり
陥没したり。 あぁ・・・これは やや液状化的な現象・・・
冬になったら 只でもツルツル凸凹して歩きにくいのに更に
デコボコして歩きにくくなりそう・・・

ご近所の大型スーパーマーケットは野菜や果物も増えてきたけれど
それでも使われていない棚は多くてガラガラ。

そして 全体的に高値。
ほうれん草は1束250円、小松菜は198円。

牛乳が欲しかったので乳製品売場に急いで行った。
ヨーグルトは種類も 個数も沢山あったけれど 牛乳品切れ‼️
「1家庭2本まで」の張り紙だけが残っている状態

お豆腐や 油揚げも棚がガラッガラで残って居なかった。
卵も売り切れ。
パンは 我が家から徒歩1分半のスーパーには 殆どないけれど
こちらの大型スーパーには菓子パンなど そこそこの量が陳列。
でも「1家庭2個まで」の張り紙があって 店員が見張ってた👀

菓子パン2個じゃ家族持ちには話にならないので 圧倒的に皆、
食パンやフランスパン、ロールパンなどの量がある物を手に
取るので食パンも残り僅かになっていた・・・・。

お米は❓❓❓・・・と思ったのでお米の売場を覗いてみたが
お米も棚がガラ空きで購入制限付き。
2合や3合、2Kg入りの袋は売り切れ。玄米も無かった‼️

ひょえぇぇ〜〜〜っ。 これじゃ昔の石油ショック後の 
トイレットペーパー戦争のようになりそう・・・

お隣のドラッグストアでは 案の定、トイレットペーパーが
殆ど残っていなかった。
そして。今はどこのお店も(スーパーも100均も電気屋も)
電池が無かった・・・・・💨


そうか。オムツもなんだね・・・・ 赤ちゃん、どの子も
清潔に気持ち良く過ごさせてあげたいなぁ。

今回の停電、断水生活は39時間あまり。台風被害で
和歌山や京都では まだずっと停電しているところも
数千軒あるそうなので それに比べれば一瞬のようなもの。
でも やっぱり不便だったのは言うまでもなくて。

私の災害準備は殆ど無しでした。だから実は懐中電灯が
壊れて使えなくなっていて(電池はあった)夜、本当に家の中が
暗かった。 だから夜、日が暮れて暗くなると 本当に何も
出来なくて ちょっとだけ「北の国から」の中で 純が
「電気がない‼️」と言ったら「だから夜は寝るんです」と
五郎さんが言っていたのを思い出したりしていた。

毎回、ジャーッとトイレが流せないのも 私には結構ストレスだった。
トイレは(汚い話で失礼・・・) 使った紙を便器に入れず
大きなジッパー付き保存袋に捨てていたのも 良かったらしい。

殆ど何も準備はしていなかったけれど 戦争体験者の親に
育てられたからか自分が意外とサバイバーだな、、とも思った(笑)

アルミホイルやラップで食器やまな板を覆っての調理や食事で
お皿や調理器具洗いは あまり必要がなくて 沢山 料理したのに
困ることは無かったし 液体歯磨きは普段から使っているので
歯磨きに困ることも無かった。

ボランティアに行く時の備品として置いていた赤ちゃんの
お尻拭きや アルコール除菌シート、アルコールの入らない
ウェットシートも便利に活用出来た。

お菓子の軽量に使っている紙コップも便利だった。
ガスだけは使えたのは 水さえあれば調理ができるので
停電、断水していても普段と変わりない食事が出来たのも
助かったこと。

レトルトもインスタント食品も 1回も食べずに過ごせた。
あと。1番強く思ったのは 真夏でも真冬でも無かったこと。
真冬だったら 給水所に行けなかったように思う。
そして低体温、変温動物化している私には 真冬なら低体温症の
危険があったし 真夏なら食品の保存が出来なくて大変だったと
予想がつく。

でも。これから先、真冬や真夏に何かが起きる可能性も
あることを考えると やっぱり もっとキチンと
災害対策をしないとダメだなぁ、、、と強く感じた。  

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いろいろ。

2018-09-09 | 日記

ご無沙汰しました。
先月。僅かな時間とはいえ同じ釜の飯を食わせて頂いた 
私からは ずっとずっと雲の上の料理界の星とも言える
ロブション氏が亡くなられ 私は自分の料理人生も
振り返ることが多かった。 
喪に服すわけでは無いけれど 何となくブログに投稿するのは
気持ちが後ろ向きで 暫くの間のお休みをすることにした。

でも その間に全く料理をしなかった訳でもないし
料理の写真を撮らなかった訳でもないのだけど
それを楽しい文章にしてブログにUPする気にはなれなかった。

TOPの写真は夏場のうまうま。😋
フレッシュなトマトとモッツァレラで作った冷製パスタ。
他にも色々 作って食べたけれど それは又 いずれか。

そうこうして1ヶ月が経とうとしていた9月6日の未明、
午前3時8分。 予想外のことが起きてしまいました。

私の住む地域は 震度5強の揺れ。
2時頃 ベッドに潜り込んで眠りに落ちそうになっている時に
ビズがトイレに入って 大っきいのを産み落としている気配を
感じつつ、でも もう眠くて起き上がる気力がなくて
「いいや、明日の朝 お片づけしようっと・・・」と思いつつ
アッと言う間に眠りの国の魔法にかかった。

で。何事もなく朝を迎える筈だった。・・・けれど
そうは行かなかった。
いきなり ドンッ❗️と下から突き上げるような強い揺れに
眠りの国から引き戻された。
「うん❓ビズが飛び乗ったにしては すごい揺れ・・・」と
思っているうちにガタガタガタガタガタ・・・・・と部屋中が
音を立てて酷い揺れが続いた。
長く感じたけれど 割と短い時間。でも その一瞬の間に
先ずは「ビズー❗️」と叫んだ。それから「地震だ❗️
地震だけど 寝室はベッドに倒れて来るような物は何も
置いていないから ここで起き上がるより布団に包まって
酷い揺れが収まるのを待つ方が安全」・・・と考えてベッドの上で
ただ、ただ、身を丸くして、でもベッドの上の天井の電灯が
落ちて来ないだろうか❓、、、と思っていたら ふわ〜んと緩やかに
勝手にクローゼットの扉が開いた。

いよいよ揺れが酷くなり「おおおおおおおおおーっ」と雄叫びしか
挙げられなくなっていた。

その次の瞬間。クローゼット横に立てていた姿見ミラーが
パターッと静かに倒れた。 割れた❓、、、と思った頃
やっと揺れが収まった。 鏡は割れていなかった。
寝室の中は被害なし。ビズが居ない。
たぶん。寝る時は一緒に寝ていたけれど そのあと、最近の
お気に入りの寝場所になっているソファーに移動して
そこで寝ていたに違いない。

寝室の入り口床に置いていた ビズの水入れのお水はビチョビチョに
周りに水を飛び散らせていたけれど ひっくり返ってはいなかった。

リビングに行くと やっぱり部屋の彼方此方に置いたビズの水入れから
水がビシャビシャと溢れまくって床が水浸し。
ビズを探す。 「ビス❗️ビズ❗️」と呼びながらソファーの後ろ側、
壁との隙間を覗く👀 

怯えた顔で小さく丸くなって固まっていた。
「ビズ。大丈夫だよ。 こっちにおいで。」と呼ぶと子猫のような
ピャーと言う声で鳴きながら小走りに足元まで来たので
抱っこは嫌いなビズだけど 抱き上げて寝室に連れて行った。

それから もう1回、リビングの戻って部屋の中を見回す。

マリモの祭壇の1番奥に置いた 1番大きな写真5枚入りの
写真フレームが 何故か祭壇の手前の物を飛び越えてリビング床へ
吹っ飛んでいた。

祭壇の花瓶は倒れて飛んでいるし 祭壇の上もグチャグチャ。

床も祭壇周辺も水がビシャビシャ。

「そうだ、TVつけてニュース見なきゃ」とTVを点け、
これからも続くであろう余震と 揺り返しで 再び物の落下が
あるかも知れないので祭壇から 写真フレームや他の物を
取り除いて テーブル下の床に 下向きに伏せて退避。

震度5強の揺れを初体験して 寝ぼけていたのと相まって
ボーッとしていたけれど 今頃になって強くなってきて
膝が震え始めた。
食器棚を確認。 グラスやガラスコップの棚は棚板から
前にはみ出して 落ちるギリギリの所で辛うじて止まっていた。
他の食器の棚も 食器類は前進して止まっていたので押し戻した。

急いで雑巾を手に 床を拭いて ほぼ、床を拭き終わって
その雑巾を台所シンクで絞っている時、電気がフワ〜ッと
一瞬 暗くなってから また元の明るさに戻った。
「ヤバッ❗️きっと停電する‼️」と咄嗟に思ったので
手元にあるヤカン、鍋、空のペットボトルに手当たり次第に
水を入れた。 最後のペットボトルに水が一杯になる瞬間
TVも含め 全部の電気が消え 部屋が真っ暗になって停電した。

急いでお風呂場へ行って バスタブにお水を貯めようとしたけれど
もうお水はチョロチョロしか出なかった。
それでも 水は有ると無いのとでは大違いなので そのまま
風呂場の蛇口コックを捻って バスタブ内の蛇口下に洗面器を
置いて 僅かな水も最後まで貯めた。

それから真っ暗な中、スマホのライトを頼りに ビズのトイレを
掃除し、ペットシーツとトイレマットも交換した。
トイレ掃除なんて、、、と思うかも知れないけれど さっきの
怯えた顔のビズを見たら これから どの位か分からないけれど
暫くは停電と断水状態が続く訳で 普段と違う状態で生活の様子が
変わってしまって 更なるストレスは与えたくなかった。

トイレ掃除を終えて 真っ暗な中、他にどうする訳にも行かないので
ベッドで寝ることにして ベッドの所へ行くとビズが寄ってきた。
抱っこ嫌いのビズだけど 抱っこすると途端に喉が小さくゴロゴロ
なり始めた。 そのままビズを抱っこして寝たけれど眠れず朝が来た。

5時を過ぎて少し明るくなったので 周囲の様子も知りたくて
着替えて外に出た。 すぐ側の24時間営業のスーパーは
「緊急事態により休業」の張り紙が。

水は貯めたし 幾らかの飲料のストックもあるし食料には
心配はなかったけれど コンビニの様子を見に歩いた。


ガラスが割れた店もあって 信号は全消灯。
1軒目のローソンは休み、セイコーマートも休み、
セブンイレブンは暗い店舗内で 蠢く人の影が見えたので
行ってみると 既にお水はなく、2Lの飲料も無くなっていて
床は便が割れてグチャグチャ、500mlのお茶が数十本、
残っていたので 3本、お茶を買った。nanacoは使えた。 

お茶3本を手に町内の様子を見て歩いた。
ピンポンマムやダリアのような まんまるいヒマワリ🌻が
咲いていた。こう言う まんまるい花をみると やっぱり
うちの子たちを思い浮かべてしまうので 私の心をキュッと
握られる感じ。怖い思いをし、そしてその被害が これから
始まりそうな様子で心細かったけれど 少し元気をもらった。 



私は小学校を卒業するまでは関西育ち。父方の親戚縁者は
関西圏に住んでいるので阪神大震災の時にも震災後、その現場を
目の当たりにすることもあったし 又、自分でも震災ボランティアに
行ったりもしているので 災害の後の体験はあったけれど。

よもや自分が被害を受ける立場になるとは考えてもみなかった。

規模は小さいけれど被災者になってしまった・・・・。
うちの周囲はハザードマップで見ていたが液状化する可能性の
ある地域になっていた。

町内を徘徊して見て歩いたけれど とりあえず大丈夫そう。

避難所、近いのだけど行った方が良いのだろうか❓とも
考えたけれど ビズを連れて行けなさそう。
いゃいゃ。連れて行けたとしても ビズには慣れない場所で
ストレスフル。家も壊れていないし避難所には行かないことにした。

食料は。370Lの冷蔵庫に 丁度、お友達から届いた梨やら
他の果物、作り置きの食材など満員御礼、
冷凍庫も満員御礼なので このまま丸1日くらいは中のものが
お互いがお互いの保冷剤となって冷えた状態を維持しそう、、と
考えて 扉を開ける時には できるだけ短時間で済むようにして
過ごすことにした。

給水所は我が家から徒歩7〜8分。10Lタンクに給水して
抱えて帰る途中、馴染みの八百屋さんがお店を開けてくれていたので
子供の頃からの大好物、青切みかんを買って帰った。


そんな被災1日目。
近所の大型スーパーは入店するのに大行列が出来ていて
入店するまで3時間も4時間もかかりそうな列で
「食料もあるし お水もあるから」と並ぶことはしなかった。
ご飯は 冷蔵庫のものを使って 本当は他のメニューになる筈だった
今シーズンの初物 秋鮭を使ってエノキと秋鮭のホイル焼きと
仕込んであったシメサバに自家製ガリを添えたもの、紫キャベツの
マリネで 停電しても断水でも 美味しい晩餐となった。


 
折角なので 被災も楽しく美味しく乗り切ってやると決めた。

被災2日目のスタートは冷凍庫に切ってストックした
パプリカやインゲンと 冷蔵庫のキャベツ、人参、セロリと
トマト缶で いつもの定番 野菜スープから。



被災1日目の晩。真っ暗で 出歩く人も無く 静かな街の様子に
ちょっと寂しくて心細くて そして少し恐怖を感じたけれど
見上げた空は 素晴らしく美しく星がいつも以上に沢山、
瞬いていて印象的でした。そして その星空を見て少しホッとした。

被災2日目はスマホに充電しに行ったり、万が一の断水長期戦に
備えるべく再び給水所へ行ったり。

冷凍ストックしていた梅は 今の梅シロップを飲みきって
冬になってから 次のシロップを仕込む予定だったけれど
解凍されてダメにするなら 殺菌状態が不十分で
上手に漬けられないかもしれないけれど ダメ元で
梅シロップの仕込みもしました。



明るいうちに晩ご飯を作って食べるのも決めて
早めご飯に冷凍庫の舞茸を 少量の油で天ぷらにしてみた。
 

そうして被災2日目の晩は キャンドルに火を灯し、
「さぁ〜て。今日は何をして 真っ暗な夜を過ごそうか❓
スマホの充電は使いたくないし 今夜は近くの公園まで
オヤツでも持って 星を見に行こうかな❓」と考えていたら
パチパチッと いきなり電気が復旧しました。

9月7日午後6時33分。

電気が復旧した、、、ということは 断水も解消しているのか❓
トイレも流したいけれど トイレから流すとエアポンプ状態で
逆流したり 排水溝が詰まってしまうから まずは家中の
蛇口コックを捻ってまわり 蛇口から汚れた水が出なくなるまで
ジャージャー。




そんな風にして もっと長くかかるかと思った被災者生活は
39時間25分で終わりを迎えた。

短い時間だったけれど あの強い揺れの後、停電に断水という
状況下で暮らしたのは いろいろ考えることも感じることも
多かったし 自分の逞しさも感じて良い時間になりました。
、、、もう体験したくはないけど 良い経験。

まだ震源地に近い地域は 酷い被害状況下にあるし
お亡くなりになった方も多い。
札幌だって まだ大きな余震が来ないと決まった訳では
ないので 注意しながら生活しなくてはならないけれど
南富良野の水害の災害ボランティアに参加してから
丁度2年。 また災害ボランティアに行こうかな・・・・ 

 

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お城の想い出

2018-08-07 | 日記

2018年8月6日。
フレンチの巨匠 ジョエル・ロブション 氏が天に旅立たれた。

いつだったか「癌を患われている」とチラと聞いていたけれど
やはり癌であったらしく スイスのジュネーブでお亡くなりに
なったとニュースがと伝えていた。

私には神々しく雲の上の上の方。
コルドンで学び、アシスタントを経て 恵比寿ガーデンプレイスに
新しくオープンする 彼のお城で働けることになった時の
夢のような出来事に足元がフワフワしている気がしたのを思い出す。

世界的に有名で 有能なフランス料理の巨匠。
恵比寿のお城は上階ではドレスコードもあって 素晴らしい空間、
下界はカジュアルなタイプのレストランになっていた。

コックだけで50名を越す大所帯。
日本で初めての彼のお城のオープンということもあって
オープンから2〜3ヶ月、本当に忙しく 毎日、始発電車で
出勤したら 終電で帰宅するのが当たり前になるような感じだった。

普段は日本人のシェフが総料理長として 全てを統括していて
私が配属されたカジュアルなレストラン部門には若き2番シェフが
居て 彼が統括していた。

2番シェフはチョット(いゃ かなり)意地悪な人で 
要領の悪いタイプや 大人しい性格の人間は気に入らないらしく
何かと意地悪な仕打ちをする人だった。

私も色々、仕打ちを受けた。
コルドンで学び、アシスタントから ロクな修行をせずに
修行を大幅カットして入ってきた女子で おまけに製菓部の
シェフパティシエは コルドンで共に働いていたシェフだった為に
お隣のシェフとは 仲良しなのが気に入らなかったらしい。

嫌がらせは 仏語上級者ではない私には聞き取れない程の
早口で 仏語の指示を捲し立てるように言われるとか
かなり下働のような仕事を申し付けられたり 
サボ(職場で履く 木製底のつっかけ)でギュゥゥと足を
踏まれるとかetc・・・ 

そんな毎日を送っていて でも私の周りの彼以外の人は
結構 みんな親切で何とか乗り越えていた日々。
その時、ご一緒したコックの中には後に札幌のJRタワーホテル
ミクニのシェフになった彼もいて 今思うと 凄い人達に
助けられていたんだなぁ、、、と懐かしくなる。

そんな ある日。本国からいよいよ、ロブション氏が
お城にやって来た。

最初は上階のレストランで 皆の仕事を見て
その後、私のいるカジュアルレストランの厨房にやって来た。

ちょうど、何かのことで2番シェフに チョットした意地悪を
された後で 厨房内の雰囲気も硬くなっていた時。

Bigシェフは敏感だった。
私の仕事は50名以上のコックの中では ごくごく小さく
幾らでも替えの効くような歯車だったけれど それでも
そんな小さな歯車さえ 動きが悪ければ全体の動きが
悪くなるのはロブション氏の本意ではなかったのであろう。

各部門を確認して 各所のコックに直に指示を出して
いよいよ私のいるサラダやアミューズを仕上げる部門にも来て
私たち3人のコックにも アレコレと指示を出してくださった。

もう、その指示を頂くだけでも 有難くて神々しかったけれど
仕上げた皿を「très bien❗️(トレビアン)」とOK
言葉をかけて頂けたのは 毎日、仕事よりも2番シェフの
仕打ちが辛くなっていて逃げ出したくなっていた私には
神の救いの手のようだった。

私がロブション氏に接触できたのは この時が最初で最後。
勿論、私は他のシェフにも コック達にもロブション氏より
遥かに沢山、お世話になり、助けられ困難な道を歩めたので
感謝の気持ちは その方々の方が強いけれど。

でも やっぱりロブション氏は私の恩師の一人。
短い、僅かな期間であっても彼の名の下で働けたことは
私の宝物の時間でした。

シェフ❗️本当にありがとうございました❗️ 

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