私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

あせん  98  意地悪な神様と大国主命

2008-08-15 10:31:16 | Weblog
 宮司の祝詞が3人の体を包むように大きく小さく流れてきます。その声は何処までも清らかです。おせんはなんだか自分が自分ではなく、何にもない空っぽの中にいるように思えます。かって祖父から聞いた無の世界とかこんなものではないだろうかとも思います。昨夜見た夢の中の真っ黒な闇の世界に真っ白な毬がとんとんと跳ねていた処のようだと感じました。
 宮司の祝詞が終わります。辺りは全くの静寂です。秋がその静寂を後押ししています。
 とんとんと宮司の階を降ります。神殿の入り口でしばらく佇んだまま3人は、今までの空っぽの世界から解き放たれたように、ほっとして社の秋色を楽しんでいます。2,3段降りられた所で宮司は、振り返りながら3人に話しかけられます。
 「もう少し秋が深まってまいりますと、お園さんのご存知のように、この神殿からの秋の眺めは本当にきれいで、なんといいましょうか、この世の物でははいかのように映ります。今は、まだその入り口ですが。・・・・ここから見る秋の景色は、もう何百年かの昔から、多くの里人だけでなく、ここにお参りする人々に、毎年毎年、感動を与え続けてきているのです。・・・・どうして人は神様にお参りするのかお分かりでしょうか。御利益を頂戴すると為だとか言われていますが、それは間違っています。・・・・・ちょっと横道にそれてお話しして見ます。そこから吉備津神社の秋色を見ながら聞いてください」
 そう言われると宮司は階を上られてみんなの側に来ます。
 「銀杏も暫らくするとまッ黄に色付きます。・・・・神代のお話です。大国主命たちが出雲の国から信濃の国に旅をした時です。大国主命だけが大きな袋を肩に担いで行きました。この袋を背負っていたために皆から遅れてしまい、その途中で、あの因幡の白兎に出会います。その話はまたのことにして。・・・・ほかの兄弟の神様達は何も持たないで手ぶらです。この時、大国主命が担いでいた袋の中身はなんだったかご存知ですか。あれは一緒に旅する命の兄達の荷物が全部入っていたのだそうです。兄達は一番小さい弟大国主命に全部の荷物を預けて持たして、自分達だけは楽々として旅をしたのだそうです。兄達は弟の苦労など少しも考えないで自分達だけが楽な旅をしたのです。意地悪な神さんなのです。神様の中にもこんな悪い神様もいるのです。でも、結局、出雲の国をお治めになられる神様は、悪い心を持ってなかった大国主命なのです。われわれは神様ではないのです。人なのです。だから、誰でも欲を持って生きています。お金持ちになろうとか、偉い人になろうとか欲に絡んだ暮らしをしています。悪は総てこの人の持つ欲が作り出しているのです。誰でも悪心を持って生まれてくるのです。ただ、神様の前で祝詞を聞くとその悪心が消えていきます。というか、神様が人の悪心を取り出してくれるのです。だから、人々は神様にお参りして、自分の心をきれいに掃除してもらっているのです。そんな人々の悪心が神殿の中にはいっぱい詰まっております。それを時々後ろにあるあのおにぎり山に持ち込んで、よい心と交換して貰って、再び、元の人に返しています。そのいっぱい詰まった悪い心を裏にある木戸からおにぎり山に持っていくために出口をここのお宮さんは作っているのだそうです。裏に出口をもうけているお宮さんは全国でも珍しいのです」


お盆です

2008-08-14 09:43:15 | Weblog
 お盆の帰省ラッシュとか。暑い真夏の国民の民族大移動が行われています。
 昨夜は、ご先祖さまをお迎えする「迎え火」を近所に住む孫達と一緒に焚きました。我家では、今でも頑なに私の生まれた故里「美袋」の風習を踏襲しています。 お墓に「ご先祖様、今年もどうぞ我家にお帰りください」と、お迎えに行き、その場で肥え松と呼ばれる松根を焚くのです。今では、昔、我々が子供の時に焚いていたような松根などは高価で、第一、松そのものが松喰い虫のために、手に入りません。仕方なく板切れなどの代用品を使っています。この迎え火になぜ松根を使うのかは、祖母や父に聞いたのですが「ただ、昔からみんなが使っていた」からという説明しか聞くことは出来ませんでした。
 近頃になって、本などに描かれている阿弥陀来迎図等に描かれている仏様が乗っておられる雲とこの松根から出る煙がどことなくなんとなく色や形や匂いが似ているように思われ、そのために松根がお迎え火として選ばれたのではないかと私流に解釈しています。
 そんなことを思うながらお墓のある山から下りてきます。ご近所では、私の故里とは異なって、どの家でも自分の家の玄関脇で迎え火を焚いていました。何かお墓までお迎えに行く方がお盆らしくていいように思うのですが
 墓地で焚くのか、それとも、自分の家の玄関先で焚くのか、真夏の今夜もまた眠れそうにありません。

 なお、我家では、この他裏庭に「水棚さま」をお祭りします。お盆でも行き場のない彷徨える仏様、行き倒れて死んでいった仏、だれもお葬式も出して上げれなかった仏をもお祭りしてあげるのです。それが盆なのです。将に博愛の心の現われである日本独特の心温まる習慣行事なのです。
 

やったね谷本歩実さん

2008-08-13 09:55:12 | Weblog
 北京五輪の柔道で谷本さんがオール1本勝ちで金メタルと、朝からテレビではそれしかないかのように大騒ぎをしています。
 「正々堂々たる柔道」はとっくの昔に日本からも完全に消え去ってしまっていたのかと思っていたのに、この谷本さんの活躍で、そんな旧式?の柔道が、まだ、日本には残っていたということが分り、ちょっと安心した気分にもなりました。
 が、それにしても、中国とはとてつもない大きな不思議な国ですね。これから世界はどう変わっていくのでしょうか。中国を除けにしては、予想すら出来ないような事態だと思います。オリンピックを見ていても、よしに付けあしきにつけ、そんな感じがします。
 この中国は、もう100年も昔の話ですが「眠れる獅子」と呼ばれていたそうですが、このオリンピックを通して猛スピードで、世界の中を走りに走りして行くのではと思われます。政治経済文化総ての面で、それこそアメリカを尻目に「獅子粉塵」の活躍をするのではないでしょうか。何か不気味な感すら覚えます。
 金メタルの数も今一番です。世界が変わっています。予想不可能な未来が来ています。一寸先は本当に闇のような世界が。
 でも、この大きいことだけを追い求める地球が本当に人が追い求める未来への道なのでしょうか。
 この中国流の総て「大きい」ということより、小さくてもよい、もっと「美しさ」を追い求めた日本の谷本さんのような人がうようよといるような世界は必要ないのでしょうか。

 ここまで書いて、ふとテレビを見ると、体操日本もこんな美しさを追い求めていると伝えています。
 まだまだ捨てたもんではないですね、日本も。

おせん 97   拍手

2008-08-12 16:00:28 | Weblog
 「ここの大きな石垣に隠れていた鬼が飛び出して乙女の毬を取ろうとしたのです。おせんさん、ここから今来た回廊を見てくださいな。・・・・じっと目を凝らして、それから目を瞑って、1、2、3で目を開けて。・・・大きな洞穴が現れるでしょう。不思議ですが、これが鬼の通い路なのです」
 「あ。本当どす。昨夜見た夢と同じの洞穴が・・・・・・ここに毬が」
 お園は袂に隠し置いていた毬を取り出し、随神門からその大きな穴の中にそっと転がします。
 「おせんさん。しっかりと見ていてください。あれあれ、あんなに早くころげていきます。・・・・あ・あ・・ああ・もうおらんようになってしもうた」
 回廊をお園が手を放した毬は真っ直ぐに駆け転び行き、やがて穴の奥に消えていきました。大旦那様はじっと感慨深げに2人の後姿を眺めなます。
 「お園さん、おおきに。おせんの目に輝きがでておます。こんな目を見るの久しぶりやねん」
 と。
 じっと毬の行方を見つめていたおせんは
 「どこへ行きはったんでしゃろ。あのおにぎり山の奥底に真っ暗な広場にまで落ち込んでしまはったんでしゃろか・・でも、あの毬、どうてお園さんが・・・」
 「いやいや、昔々この話をしてくれたわたしのおばあさんが作ってくれたのを取っておいたのです。昨夜、思い出して、今日おせんさんと一緒にここから転がそうと思ったのです。あんなに真っ直ぐに転げ落ちるなん思わなかったのですが。うまいこと転がってくれました。きっと吉備津様、いや、もしかしたら吉備津様に退治されたという大昔からいた吉備津の鬼が見つめてくれていたからではないでしょうか。まあ、兎も角として、鬼にせよ、吉備津様は、お参りする人みんなを守ってくれるのです。・・・・もう行きましょう。神殿では、だれが拍手を打っても、とっても爽やかなきれいな音が化粧垂木の野屋根に響きます。・・・ぜひ、その響きも聞いてください。あの毬が転がっていった深い穴の奥底から撥ね返ってくるのだと言われています」
 おせんは、まだ、転げ降りていった毬の事が気になるのか2、3度後ろを振り替ええていましたが、大旦那様の後ろをゆっくりと進みます。
 拝殿に着くと、今朝方お園の父吉兵衛から連絡を受けていた藤井高尚宮司が例の有紋の冠に浅緋の袍という出で立ちに威儀を正して笑顔で3人を待ち受けてくれていました。今朝はおせんのために、特別に祝詞を上げて頂くのです。
 宮司の打つ拍手の音は神々しくかつ凄まじく神殿の中を響き渡っていきます。無心で打つおせんの拍手の音はなんだか遠くの方から遠慮深そうに小さく小さく朝の空気を伝わってきて、あの穴の奥からでも跳ね返って来るように幽かに聞こえてきます。

おせん 96  南随神門

2008-08-11 11:09:43 | Weblog
 「今日は天気もよさそうやないか。そや、お園さんの十八番の説明を聞かしてもらいながら、秋の吉備津様でも拝ましてもいまひょ」
 大旦那様も朝からご機嫌です。
 「是非お園さんの十八番の話し聞きとうおす。あの少女と一緒に毬がころころと転げ落ちていったと言わはる深い地の底にまで続いていると思われる回廊もみとうおす。できたら、お月さんが急にいんでしもうたおにぎり山のてっぺんにまで登ってみとおす・・・あの明るい大きなお月さんまで吸い取るような大きな穴があのお山のてっぺんに開いておいでで、真っ黒い、その中であの少女だけがただ一人毬を突きながらくるりくるりと廻るように遊んでいる夢をみましたんや。不思議な夢でおした。ただ真っ黒い中を真っ白な女の子が舞いを舞っていまねん。何か知らんけど天女の舞みたいな人ではない人のような宙を舞うような舞ですねん。その女の子がしきりにおいでおいでを空からしているようどした。・・・なんかその回廊か、起きた途端に早くお出でと呼んでいるように気がしますねん」
 やや遅い朝食を頂いてから、3人は宿を出ます
 昨夜の喧騒を忘れたかのように静かな街を通り抜けると、そこには大人の人が一抱えもするほどの大きな石の鳥居が立っています。細谷川のせせらぎもちょろちょろと爽やかな瀬音を響かせながら流れていきます。鳥居をくぐるとそこはもう吉備津様です。小さな角を生やしている狛犬さんも左側に座って出迎えてくれます。今日は何時もの表情と違ってまろやかに、にっこりと微笑みかけているようにお園には思えました。
 
 「おせんさん、この狛犬の角にちょっと触ってみてくださいな。なんでも願いがかなうといわれております。この角だけはいつもつるつるに輝いているのもそのためなのです。今日の狛犬さんなんだかご機嫌がよさそうです」
 「おお、そんな話もあるのどすか。どれどれわしも」
 と、大旦那様も何かぶつぶつと唱えながら、角だけでなく鼻や顎の辺りまでを撫で回しておられました。おせんさんはそれでもその角にも触ろうともせず、ずんずんと進みます。
 暫らく行くと、いよいよ回廊に突き当たります。聞いた通りの北に真っ直ぐな長い長い回廊が続いています。その回廊を半町ばかり本殿のほうに上っていきます。お竈殿と書かれている案内板を過ぎると回廊の勾配が途端にきつくなります。 そのきつくなった一番上の辺りの両側に朱色の柱で出来ている随神門が「よくおいでたね」と言うように優しく遠来のお客を出迎えています。
 「このお社が南随神門で、このお宮さんでは一番古い建物だそうです。吉備津様の御家来がお祭りしてあり、今でも敵の襲撃に供えて吉備津様をお守りしているのだそうです。この地方では吉備津様は桃太朗だと信じられてきています。すると、このご門の主は、当然、サル、キジ、イヌの3匹のはずです。でも、ここでお祭りされている主はキジとイヌなのです。後一匹はサルどうなったと思われます。・・・・桃太朗が鬼退治をした時、サルは3匹の中でも一番目覚しい活躍をし、それ以後、桃太朗の特別の信任を受け、いつもすぐお側に仕えていたのだそうです。今も神殿の中の直ぐお側に仕えております。だから、ここにはいないのだそうです。大昔からある古い古いお宮さんだから言い伝えもたくさん伝わっているようです。ちなみみ。このサルの本当のお名前は、ササモリ彦というのだそうです。後に吉備津様のお妃さまになられたモモダユミヤヒメ命のお父さんです」
 

谷さんおつかれさん

2008-08-10 10:54:50 | Weblog
 今朝も北京五輪について、なんとなくすっきりしない気分なので、ちょっとまた愚痴をこぼします
 金の期待の十分あった谷さんが3位だなんて、本当に無念でしたね。
 よくは分らないのですが、テレビを見ている限りでは何かへんてこりんなスポーツ「柔道」になったものですね。
 「柔よく剛を制す」なんて言葉は死んでしまったのでしょうか。「虚よく実を制す」の感あり、どう思っても、今のヨーロッパ的な柔道、嘉納さんが始めた本来の柔道の姿ではないですね。三四郎が見たらどう思うでしょう。反則を誘って相手にそれに乗せて克つなんて。それがスポーツでしょうか。正々堂々なんてどこへいったのですかね。本来の美しいきれいな柔道をあくまでも追い求めて「そんな汚いずるかしこい柔道なんかやーめた」といって日本選手が全員ストライキするのも大人気ないかな。
 でも、谷さん世界で3位なのどすから豪いものですね。
 日本の柔道万歳!!

兵共が夢の跡

2008-08-09 09:30:26 | Weblog
 昨夜、北京五輪の開会式の様子の一部を見ました。中国の威信をかけた一大イベントだけあって壮大な絵巻物が繰り広げ、驚きを持って見ました。鳥の巣と呼ばれるメインスタジアムに溢れんばかりの中国の力を見せ付けていました。凄い凄いと老妻と義母の3人で見ました。演出した監督の意図が大きく描かれていました。きれいだ、ものすごくお金をかけたなとは思いましたが、中国らしい美しさはその中には私には感じられませんでした。ただ、単に大きいだけで、きれいなだけで金ぴかの成り金的な趣味しかその中からは見られなかったように思われました。
 美しいとは何でしょう。唯派手派手しさがあればそれでいいのかというと、決したそうではないと思います。大きいだけでは表せません。陰陽が兼ね備わっていてこそ初めて美しさが東洋的な演出できるのだと思うのですが。
 鳥の巣から流れ来る色彩豊な映像から、芭蕉の“夏草や兵共の夢の跡”の句が、突然に飛びだしてくるような錯覚に陥りました。何かうら悲しいような気分になりました。利休なら、世阿弥なら、とんな演出をするだろうかとも思いました。
 今後、この北京大会を世界がどう評価するか見守っていきたいものだと思いながら途中から寝てしまいました。
 皆さんはどう見られましたか。
 何はともあれ、日本頑張れです。中国国民も同じように中国頑張れだと思います。
 当分の間、「真夏の夜の夢」を見させてくれます。

おせん 95 母と娘

2008-08-08 20:21:53 | Weblog
 その夜、お園は母親の美世と床を並べます。小さい時からの自分のあれやこれやの思いが後から後から思い出され、なかなか寝つけられません。おっかさんとこうやって枕を並べた事はあっただろうか、なんだか初めてのような思いがします。おばあさまと何時も一緒に、端から新しい母親を拒絶していた自分を思い出します。暖かい胸を差し出していたはずの新しい母親を徹底的に拒絶していた自分を思い出します。「ごめんなさいおっかさん」と心の中に幾度となく言ってみます。そんなお園に気が付いているのでしょう
 「お園さん、もうとうの昔にお月さんはおにぎり山から西にいんでいかれました。考えるの止めてはよう寝ましょうな」
 闇の中から母親の声が部屋いっぱいに優しく響きます。
 
 ふと気が付いてみると、母親の美世はいません。遅い朝日が漸くおにぎり山の上に昇ろうとしています。お日奈さんが覗きこむようにお園の顔を見ています
 「よう寝ておられんさったけえなあ。女将さんからお園さんが目を覚ますまで、ほっとくようにいわれんさったけえ。・・・お園さんよくお戻りになられましたんなあ。お元気そうでなによりじゃ。ちょっと太ったんじゃあねえ、久しぶりにお園さんの寝顔をじっくり見させてもろうとりましなのじゃ。安心して見ようたんじゃあ。よう戻られましたなあ」
 と、感激しとしおのお日奈さんです。
 「まあ、お日奈さんのいじわる。私の顔見ていたんでしょう。なんて年取った汚いいやな顔と思って、おかっさんは」
 そんな訳の分らない事を言いながら、故里ってこんなにいいもんだったのかと思いながら起き上がります。そして、お日奈の手をきつくきつく握ります。お日奈の顔はぐちゃぐちゃです。
 まだいっぱい話したい事があるようにしているお日奈ですが、まず、大旦那様とおせんさんに今朝の挨拶をと思い、急いで身支度を整え、大旦那様のお部屋に急ぎます。
 「昨夜のお月様、きれいでおわした。こんなきれいなお月さん初めて見ました。何もかにも忘れて見させて頂きました。お山からお屋根の向こうに消えていかはるまで、こんなにお月さん、遅うまで見させてもろうたんも初めてでおすわ」
 おせんさんは生き生きと言われます。大旦那様は満足そうに二人を眺めています。

おせん 94  母さん

2008-08-07 12:02:36 | Weblog
 はるばる宮内にまで旅して来た3人に対して吉兵衛の心づくしの夕餉の後、お園は母親の美世の手を取るようにして下がります。
 「おっかさん。起きて大丈夫なの。この夏の暑さで大分弱っているとおとっつあんからの便りがあったので心配しておったのに。立ち歩いても大丈夫?ちゃんと直さないと」
 美世の部屋まで連れて行きます。弟浩吉お道夫妻も部屋に来ます。
 「ああ、もう大分よくあってきたのだ。この2,3日の涼しい天気が直してくれたのかしれんが。この頃ちょっと元気がでて安心しとるんじゃ。桜の時分からじゃけん」
 浩吉は安堵したかのようにお園に言います。
 「よかった。おかっさんがこんな元気になられて。・・・おっかさん。ごめんなさいね。福井から離縁されてこの家に帰った時は私は自分のことしか頭になくて我がままばかり言っておっかさんを随分と困らせてしまいました。本当のおっかさんでないから私の心の痛手なんか分ってくれるもんかと、勝手に思い込み、余計に意地悪ばかりしました。それなのにおっかさんは何にも言わないで黙って私のさせたいままのことを見ていて見ぬ振りをしておいででした。おっかさんの心が世間をひねた私には分らなかったのです。そして、おっかさんを継母だから冷たいのだと逆恨みまでしていました。おっかさんの心を考える暇がなかったのです。でも、大坂に来てから、おせんさんのことや他の人のすること見ていたら、あの時おっかさんが本当に私のことを本当の子供以上に思うてくれて親身になって心配してくれた事がよう分ったのです。言葉で言うのではなく、何にも言わないで、ただ見守るということが、これほど人の心を癒す事ができるのだということがよくわかりました。・・・そんなことぐらいの事に気が付かないなんて私は本当に悪い娘でした。だから、今度おっかさんに合ったら、まず初めにそれを誤ろうと心に決めていたのです。おっかさん」
 わあーっと母親の胸の中に飛び込んで子供のように泣くお園でした。たった1年の時間が血の繋がってない親子を恰も本当の親子にすることが出来たのです。
 美世は何にも言わないでしっかとお園をしっかと抱きかかえたままです。
 どのくらい時間が発ったでしょうか、お園には今まで生きてきたより、もっと時は流れたように思われます。
 「お園、私も母ですよ。仮にもあなたの母ですよ。母とはどんなもんか私も分りませんが、あの時、私はあなたの母親になりきりたかっただけです。あなたの母親に、それが人ではないでしょうか。お園。人としてのぬくもりではないかしら。ぬくもり。・・・・おせんさんとやらにあなたのそのぬくもりをかけてやってほしいのです。是非かけてやってください」
 「おっかさん」
 生まれて初めてお園は心を込めて呼んでみました。
 「はい、お園、なんですか」
 今までに一度たりとも聞いた事のないような慈しみのある言葉がお園に届きます。
 「おっかさん」
 より力を込めてお美世にしがみつきます。
 十五夜に近い夕月がおにぎり山の真上から二人を照らしています。 
 

おせん 93   おにぎり山の月

2008-08-06 11:04:24 | Weblog
 翌朝4人は早めに須磨の宿を旅立ちます。室津で平蔵と別れていよいよ備前の国に入ります。船坂峠を上り、峠の茶屋のおじいさんから聞いた峠の側にある沼に住むという河童の話が話題になります。お園は里である宮内の近くにもこれとよく似た話があるのだと言います。さすが大旦那様は歳の甲斐だけあります。お若い時から方々を旅されそれぞれの土地に残る昔話を聞いていたのでしょう。あちらこちらのおもしろい河童話をおせんたちに聞かせます。平蔵と別れて淋しくなったお園を慮っての事かもしれませんが、おせんにとっても寂しさを忘れさせる西への旅になりました。
 岡山の城下を過ぎる頃から夕闇が迫ってきましたが月の明るい夜道を板倉まで行くという行商の夫婦と一緒になり、これまた話題がいっぱいあって十五夜に近い明るい街道を早足で歩きます。おせんの足の達者なのに驚きながら。
とっぷりと秋の空が暮れてゆきます。桃太朗伝説を生んだ笹ヶ瀬川を渡るともうそこは備前と備中の国境です。吉備津神社参道の松並木がおにぎり山を背景に影絵でも見るように田圃の中に続いております。空には夕月が泣きそうに懸かっています。その向こうに喧騒の宮内が不夜城の明るさを空に映し出し、多くの旅人の今宵一夜の楽しみを待ち受けています。板倉に宿すという行商の夫婦とお宮の並木道の入り口で分かれ、宮内にあるお園の立見屋に付きました。
 予め連絡はお園からあったのですが、立見屋では父親の吉兵衛と病の床に突いているはずの母美世の二人して、3人の到着を今か今かと待ち構えていました。ようやくたどり着いた3人の手を取るようにして部屋に案内します。 
 「随分と御ゆっくりで豪く心配しておりました。よくもご無事で。ようこそお出でくださいました」
 と、自分の家なのに、上座に座らされたお園にまで挨拶する父親の吉兵衛にいささか戸惑います。大坂の綿問屋の舟木屋のご3人様ご一行なのでしょう。これが商売というものだろうかと、その難しさを見たように思われます。今までは何にも知らない田舎の娘でしたが、歳を重ねるに従って色々なわずらわしい世間の波が何かのきっかけで分ってくるのです。
 そんなことを考えながら「おせんさんもどうぞ早くあの痛手から、何かのきっかけで」と思います。そんな道が、いとも簡単には見つからないのは分っていますが、せめてこの宮内にいる間にも何か見つけることが出来るならば、この旅を思いつかれた大旦那様にとっても大変意義があるものになることは確かです。何にもないごく普通の田舎ですが、どれだけの効果があるかは知れませんが、まず始に、おにぎり山に懸かっている今の月を見てもらおうと思いつきます。
 それは、自分も打ちひしがれて福井より帰った時、ここからお山に懸かる今日と同じような月を見て何もかも、一時にせよ浮世の事を忘れる事が出来たと思ったからです。だから、旅立つ前からまず「おにぎり山の月をおせんさんに」にと心に懸けてきていたのです。お園は立ち上がって障子戸をあけます。ひんやりとした夜風が入って来ます。でも、まだ山裾にある立見屋にまでは遅い月は姿を表してはいませんでした。群青の空にくっきりお山が立っています。遅い月の出が始まっているのでしょうかその群青の空のおにぎり山のてっぺんの一画だけがほの明るくなって月の出を知らせてくれています。
 「ああきれいだす。闇路を照らす光明が幾重にもなって大空に大きく広がっておます。あの光の後にみ仏がきっとお出ましになられます。見てみいなおせん。なんて大きな月の出でおますやろか。大坂では見ることができへん、宮内だけに繰り広げられるの仏様のうそ偽りのない本当のお姿が拝めます。いや絵巻といった方いいのかも知れへんが。ああ。結構なありがたい眺めだす。来た甲斐がおました。浮世のいやなことが洗われますやろ。見てみいな、おせん。拝ませてもらいまひょ。本当にありがたいことです」
 おせんの目から涙が一筋流れます。この涙が何であるのかお薗には分りませんでした。

おせん 92  須磨の浦波

2008-08-05 20:05:38 | Weblog
 白露も過ぎ漸く秋を身の近くに感じる頃となりました。お店では収穫の秋を控えて小忙しく猫の手も借りたいほどです。平蔵はかねての打ち合わせ通り伊予に旅立ちます。その平蔵の出発に合わせて、おせんたち3人の備中宮内への旅が行われることになりました。この度の平蔵の旅は播磨の室津から船で讃岐に渡り讃州高松を経て伊予に行く予定です。室津までは4人旅になります。備前児島を経てと御寮ンさんお由はしきりに進めたのですが、少しでも早く伊予に尽きたいという平蔵の希望もあって室津から船旅となったのです。
 須磨の旅籠では、大旦那様の独壇場です。お得意の源氏物語の場面をそれは詳しく恰も浄瑠璃をきいているかのようにお語りになられます。
 「須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこしとほけれど、行平の中納言の、「関ふき越ゆる」と言いけむ浦波、夜々は、げに、いと近う聞こえて、またなく、あわれなるものは、かかる処の秋なりけり・・・・・・恋ひわびて 泣く音に紛ふ 浦波は 思う方より 風や吹くらん・・・遠い遠い雅の世界に生きた人たちも物語りでおす。でも、今ここに聞こえてくる浦波も、そのときと同じ憐れに聞こえてくるのがどうじゃ。紫式部というお人はとてつもなく奥深くものを見る目が確かなお人であったということができるのじゃが。この歌でも分るじゃろ・・・あの浦波のものがなしは何に例えんじゃ・・・・」
 じっと耳を澄まして聞いていると、障子の外から遠くかすかに聞こえてくる寄せ手は返す波の音の何ともいえない哀愁を帯びたこの須磨でしか味わえな浦波の音が、大旦那様の説明なさる光源氏の幻影と重なるようにして心の中に響いてきます。
 おせんは思うのです。あの須磨の浦波の音は、おせんにとっては、この歌のように自分の泣く音であるはずがありません。いくら恋詫びてもあの人は決して自分のもとには来る事はありません。余りの悲しさのため泣く事すら忘れてしまっている今なのですもの。あの人はもういないのですから。そんなおせんの心を知ってかしらでか、静かに大旦那様の秋の夜長の物語が続きます。
 おせんには、遠くから聞こえてくる幽かな須磨の浦波は、泣く音に紛うというより、「辛い、会いたい、辛い、会いたい」そんな風に叫んでいる今の自分自身の心の声のようにむなしく聞こえてくるのでした。
 須磨の夜も更けていきます、浦波の音とともに。



おせん 91 呪い殺すことできる?

2008-08-04 08:27:33 | Weblog
 「早速帰っておせんと相談してみなあかんけど。お園さん、よろしゅう頼むは。ええじゃろう平蔵さん」
 いつも「平どん」と呼ばれているのに、この時だけ「平蔵さん」と言われ、何かくすぐったいような誰か他の人が呼びかけられているかのような気にもなるお園でした。
 途中で、お店に帰る二人と別れて、次第に日暮れが早くなっていく街を、それでもおせんのことが気にかかりながら「そんなことぐらいのことで、うまくいってくれるなら。・・・そや、今夜の御飯どうしよう」と、家路に急ぎます。周りを行く人たちの足取りも足早です。

 翌日、そのおせんから「相談があるから」という連絡が届きます。
 部屋に案内されると、おせんと大旦那様と御寮ンさんがお待ちになっておいででした。
 「いつも呼び立ててすまんことでおます。お園さんも忙しかかろうに」
 と、心配顔の御寮ンさんです。
 「あれから帰って、おせんに吉備の国への旅を勧めてみたのじゃ。前々から光源氏を探しに明石辺りに連れて行ってやるわと言ってはおったのやが。でも今度、お園さんの宮内に行こうかと誘ったら、案外とおせんのやつ乗り気になりおって、おにぎりさんの中に入りたいとか、消えていった毬の穴がどうのこうのとか、おかしなこっちゃが、話がうまいことあいましてん、お園さんとなら行ってもかまへんと、こやつぬかしおる」
 自分の思いついた計画がうまくいっているので満更でもないような気分でしょうか大旦那様も何処となく浮ついているようにお園には感じられました。昨年に引き続き二度目の吉備の国への旅ですが、この度は若い娘との3人旅になります。愛しいたった一人っきりの孫娘のためです。「世話かきじいさん」と呼ばれている大旦那様でも張り切りようが違います。「どうしても」という意気込みが違います。藁でも掴むような気持ちで、考えに考え抜いた秘策とは決して言えないような方法ですが、少しでもおせんの心を癒すことが出来ればと思って思いついたことなのです。
 でも、この方法はお園から聞いただけの遠い他国の小さな片田舎に伝わる昔話に過ぎません。今も元気に動き回っている生きている人様をいくらなんでも神の力であってもどうこうすることが出来るはずはありません。まして呪い殺すなんてこの世の中にあるなんてとても信じられない事なのですが、他に何にも打つ手はありません。まあそんなことは出来ないにしても、おせんの気持ちが少しでもと、西国行きをおせんに勧めてみたのです。この山神様のことについては兎も角、これだけはやってもらおうと思っていることが一つだけはありました。お竈殿でのお釜の鳴る音で吉兆を占ってもらうということです。お園と平蔵の時に立ち合っているのでこれだけは確かです。あの鳴る釜の音が今のおせんの高ぶりをいくらかでも沈めてくれそうな感じがしているのです。それからおせんが言う吸い込まれていくという深い穴も、「そんなもん吉備津様にはあったかいな」と思いながら、ご自分でも一度見てみたいとも思いました。
 行ったこともない途方もない遠い国へ旅立つという娘のことを慮って、茲三郎から聞いてはいるのでしょうが、お由は母親としての当然の心配顔が消えません。でも、今は茲三郎の考えに随う他はありません。幸いこの度の旅にはお園も一緒するということで少しは心丈夫に思えるのですが。
 

おせん 90 どかっと大きな石がある

2008-08-03 16:55:51 | Weblog
 お園の心配をよそに大旦那様と平蔵は何かしきりと話されています。お園が知らないお人やお店の名前がぼこぼこと飛び出しています。膳に付いているお酒もなくなったのでしょう、徳利をからからお振りになってから
 「ほナ、帰りまひょ」
 と、大旦那様がお立ち上がりになられます。「男はンの世界どす」と何時かおせんさんから聞いた事があるのですが、今、お二人でなさっておられる会話は、正にそれにちがいありません。女には決してない独特な雰囲気のある男はんの会話なのでしょうかと、大旦那様と平蔵の顔を見比べるように眺めていました。そのお園の好奇に満ちた目と帰りまひょといって立ち上がった大旦那様の目がぶつかるように会います。
 「うん、ちょっと待ってや。あ、そおうだ、いいことを思いついた」と言うと、再び腰をどっかと下ろされます。
 「うん、そうだお園さん。今、お園さんを見て、とっさに思いついたのやが、そうだ、おせんと一緒に吉備津さんへお参りに行くというのはどないやろか。どうして、こんな名案に今までに気付けへんかったのやろ。・・・そうや、この前お園さんから聞かしてもろうていた、なんでおましたか、それ、石がどうしたとか書いてもろうたといっていたそれじゃ。なんでおましたかな・・・」
 「夕立が降る どかっと 大きな石がある、というあれですか。どんでもない大きなお人だと大旦那様が言われたあのお人ですか。それがどうかしましたか」
 「そうだ、それでおます。何と言われたかな。年寄りになるとすぐ忘れてしもうて、年は取りとうおませんな。はははは」
 「はい、土地の人は盲人塚の真承さんと呼んでいます」
 「そうじゃ、その真承さんにおせんを合わしたら、どないやろうかと思いますねん。出来たら・・・ええと、これも名前は忘れてしもうとりますが、何と言ははりましたかな、どこかの山神様にお参りしてついでに願を懸けてもろたらどないやねんと」
 平蔵は、余りにも突飛に大旦那様が吉備津さま、真承さん、向畑の山神様の話を持ち出したので驚くというより、あきれるように大旦那様の顔を見ています。
 「そうじゃ、お園さんには気の毒だが、また、平どんに讃岐伊予までご苦労をお願いしておる。その間といっては何じゃが、一緒に行ってくれはらへんやろか」
 大旦那様は、お園が、あの時、話した郷里の言い伝えをまだ覚えられていて、それによって何か少しでもおせんの気が安らぐ事が出来るならとも思われたのでしょう。それに、今、少しでもこの大坂を離れて旅にでる方が思いつめているおせんの心の癒しにもなるのではないかと考えられたのではないかと思いました。
 「“月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人なり”と言った人もおりはります。みんな旅をしています。おせんも今とんでもない時への旅をしているのでおす。この世の中の仰山あるこまごまとした憂いの中に旅しておりますのや。この旅の中から抜け出すには、別の旅をすることが一番だと思う取りますねん。どないなるかは神さんだけしか知りへんねんけど。お園さんの時、あれは我ながらうまくいってくれはったが。もういっぺん、おせんのことで、吉備津さんに占らのうて貰うというのはどうでっしゃろ。はやいぶんに連れて行ったほうがええのとちがうのやおまへんか。どうどす、お園さん」

おせん 89 出口の無い不安

2008-08-02 10:15:13 | Weblog
 「あれの父親も母親もどうしてやろうにも何も出来しまへん。ただ見守ってやるしかないのどす。政之輔様のことは言ってはあるのどすが。でも、近頃、少しずつおせんが元気をだしてお店の手伝いもしてくれだして皆で安堵しておるのどす」
 それから、大旦那茲三郎と平蔵はお店のことでしょうか何か話されています。
 直ぐ側で話している二人の声が、どうしてかは分らないのですが、何処か遠くの方で幽かにする朧声のようにも響きます。それまで「どうしよ、どうしたらいいのだろうたら」と思っていた「松の葉」での話を大旦那様に聞いていただいて、なにもかにもほっとしてもよさそうなのですが、お園には、まだ先程からなんとなく心の奥底に引っ掛っていた出口のない不安のようなもがもやもやと心の中に立ち込めているようでなんとなく心は晴れません。
 それは、青を一段と深めた弥生の楓が障子窓に映っていたあの締め切ったおせんの部屋で聞いた「死になどしまへん。けっして」という言葉なのです。あの時は何となく耳を通り抜けていったように思えたのですが、その言葉の響きが、どうしては分らないのですが、今は何かお園に重くのしかかっています。
 松の葉の女将から聞いた政之輔の惨殺に関わった中野とか銀児とかという人の名前がおせんの胸の内にどれだけ深く入り込んで行ったかは分らないのですが、素直にすらっと受け止められていたのではと、その時はお園には見えました。ぶそんでの買い物でも往来での二人の話し振りでもも、それにも増してその歩き振りまで、普通の18歳の、普通の乙女そのままのように思われました。だからこそ、その時は、お園は「おせんさは強い」と思ったのです。
 でも、今、今までに感じたのとは、まったく別の心配が、前にも増して新たなる大いなる心配事がお園の胸中に去来してくるのでした。
 それは、あの時、聞いた「死になどしまへん。けっして」という言葉です。この言葉におせんの何かが隠れているようで仕方ありません。何か途方もない大きなおせんの思いが胸深く思い付いていたからこそ、今日のあんな落ち着いた冷静な態度が取れていたのではと、今までには考えも付かなかった新たなる不安にお園を陥れるのです。
 何か心の中に強く思うものがなかったら、あんなに意気消沈していたお人が、松の葉の女将の話から、それも政之輔惨殺の張本人と目される中野とか銀児とかの名前を聞いて、あんなに冷静にしておることができるものでしょうか。もしかして、既に誰かからそんな話をおせんが聞いて何かを思いついていたのではないだろうかと、考えれば考えるほどお園は不安に駆られるのです。そうでなかったら18歳の乙女がぶそんでお土産を買って、宋源寺の山門をちらりと見ながら通り過ぎていくことが出来るでしょうか。そこには、何か深いおせんの思いが隠されているのではないか。そのおせんの思いとは何であるのか見当も付かない自分に苛立たしささえ感じます。

吉備津神社のわくぐり

2008-08-01 10:34:01 | Weblog
 吉備津夏祭りが昨夜ありました。大勢のお参りの人で賑わいを見せていました。
 吉備津神社では拝殿の前に大きな茅でこさえた輪がおいてあり。その中を人々は8の字周りに3回廻るとご利益があると言い伝えられているそうです。
 どうして茅で作られた輪を廻るのでしょう?その起源ははっきりとしてはいないのですが、牛頭天王(インドの神様の名前)とどうも関係があるのではといわれていますが。兎に角、疫病が流行った時に茅の輪をくぐれば災難が逃れることが出来ると言い伝えがあるのあそうです。何時頃から、こんなお祭りが夏越の祓と一緒に行われたたかと言うこともよく分りません。室町頃からもう始まっていたと言う人もおられますが。なお、有識故実の中にも見られません。あくまでも民間の間に流行ったものらしいのです。なお、2礼2拍の参拝のあと、持って行った型代(人形)を神前に捧げます。この人形に自分に付いている諸々の災害邪悪を撫で移して、身に付いている罪科を祓い遣ってもらうのです。これは、平安の昔から宮中でも行われていました
 夏祭りが済むと今朝は8月1日です。例の通り、吉備津様の一日参り(朝詣会)がありました。拝殿で禊を受けた後、近所に住む小学1・3年の孫と3人で吉備津神社の豆御飯を頂きました。鮭の蒸し焼き、金平ゴボウ、インゲン豆の胡麻和え、味噌汁の簡単な朝の直会(なおらい)でした。
 この機会を捉えて、孫への、わが国固有の食文化(茶碗の上げ下ろし方、御飯の食べ方、お箸の持ち方、左手・右手の作法、お茶の飲み方、御飯のお茶碗へのお給仕の仕方、しゃもじの持ち方、ついだ御飯の相手に渡す時の作法、食前食後の礼の作法など)の伝承を試みていますが、さて、どれほどの効果がありますやら、おたのしみです?余りのうるささに、「ニ度とおじいちゃんとは行かな」といわれない程度にはしているつもりです。