一度、確か5月の初め頃だったと思いますが、江漢に付いてのブログは終わりにしますと書いたような記録がありますが、そんなものはどこ吹く風のように長々と書いてきましたが、今日で持って最終にします。昨日ですか、私の家の真正面にある吉備の中山から、甲高い「テッペンカケタカ」の今年のホトトギスの初音を聞きました。5月もあっという間に通り過ぎて行こうとしています。花菖蒲も、漸く、かわいらしい蕾を覗かせました。
そんな5月の日曜日です。江漢の最後として、その著書「春波楼筆記」に書かれている一番後の記述を載せておきます。
「人は限りある命を以て限りなく存在せん事を欲す。百歳の人今日死する事を思はず、実に愚と云ふべし。人の耄碌と衣類家具の古く損じ壊れたる物と同じ。用を為さず。・・・・・・・」
と書いて、世の百歳の齢の者はこの世にとって、誠に、「不用の者乎」と。今なら廻りからこっぴどく攻撃される様な事を平気で書きなぐっています。でも。これには真理はあると思うのですが、どうお思いになられますか。
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