明暦3年の神無月の旅で、綱政侯は、大井川の川渡しの人足に、「いく瀬の波に心ゆるすな」と呼びかけたのでしたが、更に、その6年後の寛文3年の江戸からの参勤交代の時にもこの大井川で歌を次のような歌を詠でいます。
「暮れかかるころ、大井川を渡るに水は浅く侍れども、尋常の川にはあらず、おそろしき波いはんかたなし
吾妻路の 大井の渡り 幾度か なれてもやすき 心こそせね
四瀬ことゆへなく渡りて、金谷のみまやにやどりぬ・・・・。
面白いのは綱政侯は自分が泊った宿を「みまや」といっています。ここでも下世話に通じている一面をのぞかせています。
綱政侯の、明暦の東海道下りは金谷では泊らず、菊川から小夜の中山を越えます。
越えゆけば 猶とほざかる故郷を 夢にも見せよ 小夜の中山
西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」が、又「あづま路の小夜の中山なかなかになにしか人を思ひそめけん」と言う紀友則の歌も、当然この綱政の歌の裏には、あったことだろうと思います。
自分は西行のように年を取ってはいない。これから何回となく小夜の中山は通ることになるだろう。自分の生まれた江戸の人々、恋しいあの人が、せめて夢の中にでも出てくれれば、ますます元気が出るのだがなあ、というくらいの人生の希望が満ちあふれている青春の歌です。
「暮れかかるころ、大井川を渡るに水は浅く侍れども、尋常の川にはあらず、おそろしき波いはんかたなし
吾妻路の 大井の渡り 幾度か なれてもやすき 心こそせね
四瀬ことゆへなく渡りて、金谷のみまやにやどりぬ・・・・。
面白いのは綱政侯は自分が泊った宿を「みまや」といっています。ここでも下世話に通じている一面をのぞかせています。
綱政侯の、明暦の東海道下りは金谷では泊らず、菊川から小夜の中山を越えます。
越えゆけば 猶とほざかる故郷を 夢にも見せよ 小夜の中山
西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」が、又「あづま路の小夜の中山なかなかになにしか人を思ひそめけん」と言う紀友則の歌も、当然この綱政の歌の裏には、あったことだろうと思います。
自分は西行のように年を取ってはいない。これから何回となく小夜の中山は通ることになるだろう。自分の生まれた江戸の人々、恋しいあの人が、せめて夢の中にでも出てくれれば、ますます元気が出るのだがなあ、というくらいの人生の希望が満ちあふれている青春の歌です。
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