私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

湯浅元禎の母

2010-06-03 20:36:58 | Weblog
 婦女鑑にある湯浅元禎の母ですが、名は「瑠璃子」です。
 父に従って幼き時に江戸に下り、岡山に帰ったのは8歳の時でした。鋭い観察力が幼時から身に備え付いていたと言われます。この8歳の時の江戸から岡山までの道中で出会った各地の山川の景色や宿駅の様子など目にしたことを総て、大人でさえそれほどまでにはと思えるような細部に至るまで、正確に記憶していたと言われます。

 瑠璃子が28歳の時、これは当時としては相当な晩婚でしたが、湯浅 英と結婚しています。その夫は藩の目付職について、しばしば江戸に行っていたのですが、夫の留守中、元禎等の子供を育てながら、家事をこまめに尽くして立派に家を盛りたてたのです。
 その後、夫英が病に倒れ。6年後に亡くなります。裁縫は、勿論、家事一切を切り盛りして、時には歌を詠み、箏を弾く余裕すら見せる生活だったようです。そんな生活の余裕も元禎等の子供の教育にも大きな影響を与えます。
 そして、何時も浪費をはぶき質素に心がけた生活でしたが、近所に困った人あれば十分な施しもしていました。

 元禎が外で遊んで帰ってきたとき、必ず、その遊びについて尋ねます。その結果、よい遊びなら十分に褒め、よくない遊びなら、どうしてそれがいけないのかよく言って聞かせるなどして、子供の教育に心を常に砕いていたのです。
 ある時こんな話を元禎にしたのだそうです。
 例の清少納言の香炉峯の雪の例を上げ、
 「古の女は、婦女ですらこんな知識を持っていたのです。男たるもの幼き時より学問の道に精を出すのは当然です。いいですか、読み書きなどの勉強に励まなくてはならないのですよ」
 と、教えたのだそうです。

 その自分も年老いても、貝原益軒の「岐岨路の記」を常に手元に置いて読んでいたのだそうです。

 こんな母の元に湯浅元禎は育つのです。

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