昨日、端午の節句について、書き忘れていたことがありましたので、今日、書きます。これって「六日のあやめ十日の菊」だと思いますが。
まあ、こう書いておきますと、あの宝泥氏からの厳しい攻撃はないと思いますので。
それは「粽」のことです。我が家では、毎年、新潟から粽を送っていただいています。
と、いう事からではないのですが、端午の節句と粽がどんな関係があるのか知っておいでですか。それについて調べてみましたので書いておきます。
伝説によると、昔、中国の楚の国に屈原という人が五月五日に河に身を投げて自殺します。人々が屈原を憐れんで、五月五日の厄日ごとに竹筒に米を詰めて、その川に投じて霊に供したのが始まりだと言われています。
室町時代ごろから、宮中で使う粽を納めるお店が決まっていたのだそうです、その名は「川端道喜」です。ちなみに今日までも、このお店はあります。やはり粽が名物です。
これが宮中に納めていた川端道喜の「ちまき」です。現在は、こんな形をしているのかどうかは分かりませんが。これも念のために。餅を包みこんでいる材料はイ草です。
吉備の国では、あの吉備団子が有名ですが、此の粽は、今では一般には「かしはもち」が用いられており粽は大変珍しくなっています。五月五日は、この「かしはもち」を食べるのが普通のように思われているのではないでしょうか。
でも、わが家では、何時も、五月のお餅は、前に申した通り、新潟のクマザサにくるんだ粽を頂いております。
まあ、こう書いておきますと、あの宝泥氏からの厳しい攻撃はないと思いますので。
それは「粽」のことです。我が家では、毎年、新潟から粽を送っていただいています。
と、いう事からではないのですが、端午の節句と粽がどんな関係があるのか知っておいでですか。それについて調べてみましたので書いておきます。
伝説によると、昔、中国の楚の国に屈原という人が五月五日に河に身を投げて自殺します。人々が屈原を憐れんで、五月五日の厄日ごとに竹筒に米を詰めて、その川に投じて霊に供したのが始まりだと言われています。
室町時代ごろから、宮中で使う粽を納めるお店が決まっていたのだそうです、その名は「川端道喜」です。ちなみに今日までも、このお店はあります。やはり粽が名物です。
これが宮中に納めていた川端道喜の「ちまき」です。現在は、こんな形をしているのかどうかは分かりませんが。これも念のために。餅を包みこんでいる材料はイ草です。
吉備の国では、あの吉備団子が有名ですが、此の粽は、今では一般には「かしはもち」が用いられており粽は大変珍しくなっています。五月五日は、この「かしはもち」を食べるのが普通のように思われているのではないでしょうか。
でも、わが家では、何時も、五月のお餅は、前に申した通り、新潟のクマザサにくるんだ粽を頂いております。
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