私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

安国寺恵瓊の登場

2010-08-13 12:06:51 | Weblog
 秀吉から「急に逢いたい」と使いをもらった恵瓊は、なにはともあれ、まず、大将の小早川隆景に合い、
 「旧知である秀吉から、急に会いたいと言ってきているのですが如何に計らいましょうか」
 と尋ねます。
 明日は毛利・秀吉両軍の一大決戦です。何かあちらの情報でもと、考えたのでしょうか、それとも秀吉方の和平の交渉かなとも思い、小早川隆景は、恵瓊の秀吉と会談を了承します。
 善は急げとばかり、直ちに、恵瓊は使いの者と一緒に秀吉の陣へ行きます。
 
 その陣では、秀吉が待ち構えていたかのように、席を進めて、親しく話をします。
 秀吉が言います。

 「主君信長侯は、元々毛利輝元公とは、水魚の盟約を取り交わし、天下泰平ならしめんと思っていたのです。ところが、足利将軍義昭公が備後に御下向してから、両家の関係が冷え、兄弟の盟を破って、このような戦闘状況が生じたのだ」
 
 「槊(ほこ)を横へ、矢を飛し、呉越に等しき間となれり」
 と、絵本太平記に記されています。

 秀吉は、続けて言います。
 「今、わが国では万民が困窮して、塗炭のなかに苦しむ事久しい。信長侯はそれを早く解決して、天下泰平の世の中いしたいと願っています。どうかそのことをご承知して、戦いより、以前のように早く両家が和睦して同盟を結び、速く天下平定し、人々の暮らしを平安にしませんか」
 と、云う誘いだったのです。
 更に、秀吉は言います。
 「もし、再び、両家の盟約が結ばれたなら、北は伯耆の国の半分、それに此処を流れている兄部川を境にして、それ以西の地を毛利の領有地と成るよう取り計らいましょう。それが了承されれば、後は、あの清水宗治が切腹すれば、それで総てが終わるのです」
 「宗治の切腹。」
 恵瓊は驚いて秀吉の顔を見つめ、
 「どうしも宗治が切腹しなくてはいけませんか?どうして、それが和平の条件になるのでしょうか。・・・・考えて見てください、毛利軍が此の大軍を率いて、あなたさま、秀吉様と決戦すべしと、覚悟を決めたのは、他にも理由はたくさんあるでしょうが、清水宗治を助けたいと云うがその第一の原因となっているのです。それが「切腹させる」なんて聞けば、毛利方は、到底、それを安易には認めるとは思われません。却って、「秀吉にくし」といきり立って、負けるは百も承知して、戦って負けるのを本望と、毛利方の戦いになります、きっと。それこそ必死の戦いになる事、目に見えて居ります。両軍ともに、今まで経験したことがないような悲惨な結果になりましょう。数えきれないような多数の犠牲者が、幾万と云う数の兵が、この狭い地に無残に散らばることになると思います。どうしても、宗治の切腹を御諦め頂くわけにはいきませんか、秀吉殿」

 「清水宗治を切腹させる」と聞いた恵瓊は、大層驚いて秀吉に詰め寄ります。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿