大黒夷の福神の次に挙げられるのが毘沙門さまです。
聖武天皇の時代に、各国ごとに金光明四天王護国の寺として国分寺が建てられます。この金光明経を読誦すれば、または、この経を聞けば四天王がやってきてこれを護って、天下は安泰太平に、怨敵は退散し、飢饉疾疫も皆除去されて、長寿を保って、安楽を与えてくれると言うのである。
この四天王のうち北の守り神が毘沙門天(多聞天)なのです。
(東大寺戒壇院の多聞天)
元々この神は恐ろしい憤怒の形相をしておられる仏で、福神とはなりがたいような神ですが、7人の内、唯一の軍神(戦いの神)で、人々から貧乏神を退治をしてくれるありがたい神だとして福神の仲間入りしたものらしいのです。室町の頃が始まりだと言われていますが、七福神となったのは江戸になってからのことだそうです。
まあ、考えてみれば、この七福神という福神は、人々の欲が作り出したその場限りのいい加減な作り話ではなかたのではないでしょうか。
聖武天皇の時代に、各国ごとに金光明四天王護国の寺として国分寺が建てられます。この金光明経を読誦すれば、または、この経を聞けば四天王がやってきてこれを護って、天下は安泰太平に、怨敵は退散し、飢饉疾疫も皆除去されて、長寿を保って、安楽を与えてくれると言うのである。
この四天王のうち北の守り神が毘沙門天(多聞天)なのです。
(東大寺戒壇院の多聞天)
元々この神は恐ろしい憤怒の形相をしておられる仏で、福神とはなりがたいような神ですが、7人の内、唯一の軍神(戦いの神)で、人々から貧乏神を退治をしてくれるありがたい神だとして福神の仲間入りしたものらしいのです。室町の頃が始まりだと言われていますが、七福神となったのは江戸になってからのことだそうです。
まあ、考えてみれば、この七福神という福神は、人々の欲が作り出したその場限りのいい加減な作り話ではなかたのではないでしょうか。
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