今日は憲法記念日です。
今、全国で、マッカーサーの押しつけ憲法だから改正すべきだとか、いや今の世界の情勢に合わないからだとか、いや戦争放棄を謳った崇高な憲法だから日本人としては必ず守っていくべきだとかいう、改憲、護憲それぞれの立場から、この記念日のための催しがあったようです。
それはそうとして、この頃、例の田母神さんの講演が各地でひっぱりだこの盛況を見せているとか。この世の中どうなって何処へ行くのでしょうかね。ちょっとおかしいと思いませんか。
それはそれとして、私は明治22年に出た伊藤博文の「帝国憲法・皇室典範義解」
と、いう本を持っています。久しぶりに引き出して、その2章;臣民権利義務を読んでみました。
フランスやアメリカの憲法にある「平等」という言葉こそ、その中には見えませんが大幅な自由が臣民(国民)に与えられた憲法です。
こんな歴史を経て現在があるのです。
伊藤博文など明治政府の要人たちが、いかに天皇という一つの日本独特な存在を媒介として、日本独特の政治体制を作り上げて、日本という国を、当時の国体を、いかにして世界に知らしめ、なおかつ、保持していくべきか苦心した後が、この本を見ると、よく分かるような気がします。
今、全国で、マッカーサーの押しつけ憲法だから改正すべきだとか、いや今の世界の情勢に合わないからだとか、いや戦争放棄を謳った崇高な憲法だから日本人としては必ず守っていくべきだとかいう、改憲、護憲それぞれの立場から、この記念日のための催しがあったようです。
それはそうとして、この頃、例の田母神さんの講演が各地でひっぱりだこの盛況を見せているとか。この世の中どうなって何処へ行くのでしょうかね。ちょっとおかしいと思いませんか。
それはそれとして、私は明治22年に出た伊藤博文の「帝国憲法・皇室典範義解」
と、いう本を持っています。久しぶりに引き出して、その2章;臣民権利義務を読んでみました。
フランスやアメリカの憲法にある「平等」という言葉こそ、その中には見えませんが大幅な自由が臣民(国民)に与えられた憲法です。
こんな歴史を経て現在があるのです。
伊藤博文など明治政府の要人たちが、いかに天皇という一つの日本独特な存在を媒介として、日本独特の政治体制を作り上げて、日本という国を、当時の国体を、いかにして世界に知らしめ、なおかつ、保持していくべきか苦心した後が、この本を見ると、よく分かるような気がします。
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