5日間ほど、ちょっと愚妻と旅をして来ました。保則が出向いた出羽の国の真っ白な景色が見たくなって、渡島などアイヌの国を覗いて来ました。
「藤原保則」は、もう10回を数え、長くなりました。これを皮切に、次へと思ったのですが、旅の車窓から眺めた駒ヶ岳などの渡島の山々を見ていますと、どうしてかは分からないのですが、この風景を、蝦夷反乱軍の陣中に、ただ一騎で堂々と入って行った鎮守府将軍「小野春風」のことが気になって仕方ありません。彼もまた、きっと波高い津軽の海峡を渡って来て、この風景は見たのではないかという気になります。
帰ってきて早速「春風」とはどんな人だろうかと、あらためて探してみました。
彼は、当時(平安中期の天慶年間)、日本一の「驍勇(ぎょうゆう)-強くて勇猛な」な武人だったと、歴史の中に記録されています。でも、意外なことに、彼は、単に勇猛さだけの武人だったわけではありません。驚くこと勿れ、また、豊かな深い教養をも兼ね備えた文武両道の人でもあったのです。
古今和歌集の中にも取り上げられる程の歌読みでした。
その一首に、
天彦の おとずれじとぞ 今は思ふ
我か人かと 身をたどる世に
恋人からの手紙がきて、心がときめいている様子をうたった歌です。天彦というのは、山彦のことで音の枕詞です。
この歌を作った時、春風は、左近将監という役職を、讒謗(ざんぼう)によって解かれた時のことです。さぞや意気消沈していただろうと思われるのですが、あにはからんや、そうではないのです。女からの手紙で有頂天になっているのです。
彼の物事にこだわらないさっぱりした磊落な気持ちがよく表れている歌です。
古今集には、この他にもう一首、彼の歌が取り上げられています。この方も言わずもがなですが、やっぱり恋の歌です。
平安期の武人ってとっても魅力ありますよね。
「藤原保則」は、もう10回を数え、長くなりました。これを皮切に、次へと思ったのですが、旅の車窓から眺めた駒ヶ岳などの渡島の山々を見ていますと、どうしてかは分からないのですが、この風景を、蝦夷反乱軍の陣中に、ただ一騎で堂々と入って行った鎮守府将軍「小野春風」のことが気になって仕方ありません。彼もまた、きっと波高い津軽の海峡を渡って来て、この風景は見たのではないかという気になります。
帰ってきて早速「春風」とはどんな人だろうかと、あらためて探してみました。
彼は、当時(平安中期の天慶年間)、日本一の「驍勇(ぎょうゆう)-強くて勇猛な」な武人だったと、歴史の中に記録されています。でも、意外なことに、彼は、単に勇猛さだけの武人だったわけではありません。驚くこと勿れ、また、豊かな深い教養をも兼ね備えた文武両道の人でもあったのです。
古今和歌集の中にも取り上げられる程の歌読みでした。
その一首に、
天彦の おとずれじとぞ 今は思ふ
我か人かと 身をたどる世に
恋人からの手紙がきて、心がときめいている様子をうたった歌です。天彦というのは、山彦のことで音の枕詞です。
この歌を作った時、春風は、左近将監という役職を、讒謗(ざんぼう)によって解かれた時のことです。さぞや意気消沈していただろうと思われるのですが、あにはからんや、そうではないのです。女からの手紙で有頂天になっているのです。
彼の物事にこだわらないさっぱりした磊落な気持ちがよく表れている歌です。
古今集には、この他にもう一首、彼の歌が取り上げられています。この方も言わずもがなですが、やっぱり恋の歌です。
平安期の武人ってとっても魅力ありますよね。
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