宮内の雅と遊興をご紹介しましたが、その雅に付いてもう少し深く掘り下げて紹介します。
「別荘庭の掃除今日出来候不図思付候極内にて江戸役者女形粂三並びに今一人誰ぞ明日か明後日の昼園へ呼び候て江戸咄又は芸道の咄為致可申・・・」とあると書きました、このように、高尚は鶏頭樹園(カエデノソノ)に江戸の歌舞伎役者を、度々、招いて、ここにあるようにその芸道や江戸の咄について聞いております。その中でも、特に、江戸役者中村歌衛門との咄等を記録したものが残っています。「落葉の下草」です。高尚が聞いて中村歌右衛門が答えております。
此の中村歌右衛門が宮内芝居に出演したのは、宮内に残っている古い文書によりますと、文政3年で、その季節はここには明記してはいませんが、この「落葉の下草」の冒頭に
「神無月のころ、松の屋大人のなり所かへでの園のうちへ、しのびて中村梅玉をめされて、みこころやりのすさみに、狂言の芸のことどもはせたまう事あり。かたへにうけたまはりてかみかぞふれば七くだりになん。」
と書かれてありますから、秋興行であったことは確かです。なほ、之の「落葉の下草」を記したのは、高尚の弟子で倉敷の橋本信古と云う人だそうです。
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