私の町 吉備津

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おせん 111 立つ 歩く なんにもない 秋が笑っている

2008-09-02 14:17:02 | Weblog
 町奉行与力中野たちが討幕の浪士に暗殺された事を、誰かから小耳にでも挟んだのかどうかは分りませんが、吉備津様参りから帰ったおせんは人が変ったようにお店の仕事に以前よりもまして、精を出すようになりました。各地から上がってくる綿などの収量など、父親の徳太郎も驚くほどの、厳密な記録がなされます。当時は帳場に女が出て、筆を持って働くという事はなくもっぱら男の仕事でした。それを若いきれいな人がやっているのです。噂が噂を呼び、「どんななおなごはんかいな」と、遠くからわざわざ見学に来る人も出るほどでした。暫らくすると、また、見学するものも居なくなり普通のお店に戻ります。でも、織り屋などからは「おせんさんがお店にでてくれるようにならはってから間違いが一つもおまへん。早くて正確でおす」と重宝がられている事も確かです。
 大旦那様をはじめお家の人たちはこのおせんの変身に驚いたり喜んだしています。特に、母親のお由は口にこそだしませんが「ええかげんにしてえな、およめにいけんようになるさかい」とうれしくもあり心配でもある顔をして、たびたび帳場を覗き込んではイライラを募らせています。
 大旦那様は、“立つ 歩く なんにもない 秋が笑っている”と書かれた真承さんの書を額にしてお店の真ん中にそっと掲げました。「なんですねんこれ」と徳太朗は問いますが、ただ、にやにやしているだけです。おせんも「これ・・・」といったきりで、全く知らないかのように振舞います。でも、確かに、おせんは立ち上がって一人で確実に歩いているのです。平然としてなんにもないように秋が笑うように仕事をしています。徳太郎もそれ以上は何も言いません。
  
 それから暫らくして、大旦那様は、おせんの大願成就を祝って銅板を使った小さな特別の御幣をお作らせになられます。あの山神様に奉納するためにです。
 その御幣の台木の裏に嘉永元年九月、大坂古広町ふなきや内 おせん18歳 大願成就 足立 無夫と書き込んでおきました。
 大旦那様は誰にも言わずに、宮内の立見屋の主人吉兵衛に頼んで奉納してもらいました。お園にも黙って一人の胸の内に秘めた奉納でした。真承さんに対しても吉兵衛に頼んで陰ながらの援助をお願いしたのはいうまでもありません。
 再び、この大旦那茲三郎が宮内を尋ねることはありませんでした。
 
 
  なお、おせんは父親徳三郎の死後、平蔵たちの力を借りがら、舟木屋を一人身で立派に切り回します。お園にはそれから二年後に男の子が生まれます。でも、そのことは母親美世は知らずに黄泉に旅たちました。このお園の男の子が明治の舟木屋を背負って立つのですが、余り長くなりますのでひとまず「おせん」の話をこの辺で終えます。


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