私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

天樹院

2009-12-20 12:04:20 | Weblog
 遠回りしたのですが、江戸幕府が外様大名である岡山藩主池田候にぱっとかどうかわしらないのですが、それも幕府の公式記録の中には書かれてない、現代の官房機密費のような得体のしれない銭、大金4万両を貸し与えているのです。又、後に岡山藩からの幕府に返したと言う記録もありません。
 でも、有斐録や仰止録にはこの事実が書かれているのですから嘘でないことは確かです。
 それは、天樹院さまが大いに関わったのです。
  
 天樹院様とはどなたでしょう。そうです。あの家康公の孫娘千姫なのです。父は2代将軍秀忠です。母はお江方様、弟が三代将軍家光です。

 ここで、一寸この千姫の事を少々。
 大阪城の落城後、千姫は助けられ、後に、本多忠刻と再婚しています。そして
出来た子が勝姫です。もう一人男の子がいたのですが、その子は3歳で亡くなっています。
 その後、夫忠刻と死別して、勝姫と江戸城で生活しています。親一人子一人の生活であったのですが、この勝姫もやがて池田光政侯と結婚され独りぼっちになられるのです。死ぬまで勝姫の事を気にかけ何かと援助を惜しまなかったようです。
 光政と勝姫との子供たちまでも、なにくれとなく援助をしているようでした。
 この千姫が、夫本多忠刻の死後、落飾して「天樹院」となられます。御年三〇歳であったと伝えられています。なお秀頼と結婚したのが七歳であったとか。

 蕃山は、光政の奥方、お勝方様を動かしたことは確かです。そうでなかったら四万両の大金を、そうたやすく一大名に貸してくれるはずなないのです。

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