高尚の晩年の病について井上博士は「藤井高尚伝」に書いております。
吉備国歌集に見えたる高尚の歌のことば書きに、
「中風と云う病に臥し居なる年の始」
と、あり。又天保9年4月に妙玄寺義門が高雅に贈りし書状に
「御老翁様三月十日より御中風とや。さてさて驚入申候」
とあれば高尚の命を奪ひし病は中風なるべし。」
また、門人早川真学と云う人が書いております。「松斎先生は七月二十四日からご病気が篤くなり八月十五日齢七十七で死去された」とあります。
「齢七十七爾之弖終爾身没里賜比津登」(よわい77にてついにみまかりたまいつ)と書かれています。
なお、前に書いたのですが、此の高尚の墓は板倉の向山にあり、その墓に刻されている字はいつしか消え失せて、はっきりとは読めませんが「天保十一年庚子八月十五日」とうすぼんやりと読む事が出来ますから、門人早川氏の書いている通りで間違いがありません。念のために。