私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

本居宣長と高尚

2012-11-14 19:43:42 | Weblog

高尚が本居宣長の門に入るきっかけは笠岡の師である小寺清先による推挙があったと言われていますが、最初、父親の高久はそれに強く反対したのだと言い伝えられていますが、高久も当時の宮内にあっては相当な文化人であったのですがから、それも清先の推挙です。反対する理由がないのですが、高尚は父親の承諾なしに家出同然のようにして宮内を離れたのだそうです。そこら辺りの様子について、例の「松の落葉」にはないも取り上げていませんので、詳しいことは分からないようです。

 高尚の「神の御蔭の日記」の中に
    ”八とせ経て再たいめいたまはることうれしともうれし”
 とありませから、この日記が書かれたのが寛政十一年ですから、8年前と云うことですから、高尚がその前に宣長に逢ったのが寛政三年だと思います。高尚27歳の時です。

 では何時から何時ごろまでまで高尚は宣長の鈴屋にいたのでしょうか???