「いよいよ」と言うべきが、「はやくも」というべきが?まあ兎に角、時間が経つのがこんないはやいとは、驚き以上のものとして、今、実感している二月です。
さて、この二月を少々。
初めに、型通りに「如月(きさらぎ)」についてです。
ご存じの通り二月は、「余りの寒さのため、もう一枚着物を重ねて着る」、「着更着」「衣(きぬ)更着」ということから「きさらぎ」になったのだとか。
この他に、「時気(節季)が更に来る」ということから「きさらぎ」だ、とするのもあるようですが、前の説が今では一般化されているようです。
この「節季」と言う言葉はもう死語になってしまっていますが、私の祖母たちはよく12月の終わりごろから
「もう節季もちけえけえ、障子もはらにゃあならんし、つけもんもつけにゃあならんし。いそがしゅうなるど」
と言う会話が、日常の生活の中で、どんどん絣の着物と一緒に使われていたように覚えています。しかし、たまに訪れる私の田舎でも、今は、どこに行っても耳にすることすらありません。まして、あれほどぽポプピュラーであった着物なんか目にすることは皆無なのです。たった5、60年しか経ってないのですが、時代の変化とは、また、恐ろしいものですね。
そんなことはどうでもいいのですが、本論に立ち返ります。
この2月を意味する「如月」では、いつ頃からあったのかと言いますと、日本書紀の「神武紀」に
「東征五年戊午(つちのえうま)春二月(はるきさらぎ)丁酉(ひのととり)・・」
と、二月(きさらぎ)がででいます。
でも、古事記には、天武天皇の条に
「歳次大梁、月夾鐘踵・・」とあり、この「夾鐘(きょうしょう)」と言うのが二月の意味なのだそうです。
更に変わったところでは。「伎佐良芸月」は「久佐伎波里(くさぎはり)月」で草や木の芽が張り出す月だということから付けられたというのです。
なお、「夾鐘」の「夾」は草木が皮を破って生え出てくること、「鐘」とは草木がその姿を現すという意味なのだそうです。
さていよいよ二月。寒さに負けにいで頑張りたいものです。
あ、そうそう2月と言えば、
「ひてえしょうがつ」
と、言う言葉知っていますか。
「一日(ひとひ)正月」だと言う人もいますが、私は「一重」〈ひとえ〉正月が一回りしたと言う意味ではないかと思っています。二月一日に、最後の正月を祝わったのです。今は、これも完全なる死語になっていますが。娯楽の少ない冬、何回目かの正月を、昔はこんな日をわざわざこしらえて、飲んだり食ったりして、楽しんでいたのでしょう。これでいよいよ正月ともお別れです。小正月と並んで、昔の百姓の食べて楽しむ他なかった冬の生活の残骸のようなものです。働く場所を在所の自分のちっぽけな田畑にしか持ち得なかった当時の百姓の貧しさが如実に表われた行事だと、言ってもいいと思います。
さて、この二月を少々。
初めに、型通りに「如月(きさらぎ)」についてです。
ご存じの通り二月は、「余りの寒さのため、もう一枚着物を重ねて着る」、「着更着」「衣(きぬ)更着」ということから「きさらぎ」になったのだとか。
この他に、「時気(節季)が更に来る」ということから「きさらぎ」だ、とするのもあるようですが、前の説が今では一般化されているようです。
この「節季」と言う言葉はもう死語になってしまっていますが、私の祖母たちはよく12月の終わりごろから
「もう節季もちけえけえ、障子もはらにゃあならんし、つけもんもつけにゃあならんし。いそがしゅうなるど」
と言う会話が、日常の生活の中で、どんどん絣の着物と一緒に使われていたように覚えています。しかし、たまに訪れる私の田舎でも、今は、どこに行っても耳にすることすらありません。まして、あれほどぽポプピュラーであった着物なんか目にすることは皆無なのです。たった5、60年しか経ってないのですが、時代の変化とは、また、恐ろしいものですね。
そんなことはどうでもいいのですが、本論に立ち返ります。
この2月を意味する「如月」では、いつ頃からあったのかと言いますと、日本書紀の「神武紀」に
「東征五年戊午(つちのえうま)春二月(はるきさらぎ)丁酉(ひのととり)・・」
と、二月(きさらぎ)がででいます。
でも、古事記には、天武天皇の条に
「歳次大梁、月夾鐘踵・・」とあり、この「夾鐘(きょうしょう)」と言うのが二月の意味なのだそうです。
更に変わったところでは。「伎佐良芸月」は「久佐伎波里(くさぎはり)月」で草や木の芽が張り出す月だということから付けられたというのです。
なお、「夾鐘」の「夾」は草木が皮を破って生え出てくること、「鐘」とは草木がその姿を現すという意味なのだそうです。
さていよいよ二月。寒さに負けにいで頑張りたいものです。
あ、そうそう2月と言えば、
「ひてえしょうがつ」
と、言う言葉知っていますか。
「一日(ひとひ)正月」だと言う人もいますが、私は「一重」〈ひとえ〉正月が一回りしたと言う意味ではないかと思っています。二月一日に、最後の正月を祝わったのです。今は、これも完全なる死語になっていますが。娯楽の少ない冬、何回目かの正月を、昔はこんな日をわざわざこしらえて、飲んだり食ったりして、楽しんでいたのでしょう。これでいよいよ正月ともお別れです。小正月と並んで、昔の百姓の食べて楽しむ他なかった冬の生活の残骸のようなものです。働く場所を在所の自分のちっぽけな田畑にしか持ち得なかった当時の百姓の貧しさが如実に表われた行事だと、言ってもいいと思います。