私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備の中山を歩くⅡ(1月6日)

2007-01-07 18:23:53 | Weblog
 細谷川の潺湲とした流れを、こよなく愛した吉備津の学者「藤井高尚」は、この谷川を如何に書き連ねただろうかと思うも、その資料等が手元になく、探し様もなし。彼の随筆「松の落ち葉」の中にでもと思うのですが。
 いたしかたなく、、まんざら関係無きにしも非ずの露伴子の「易心後語」から、高尚ならしもと、断章取義よろしく書き綴ってみました。
 
 ご批判を仰ぎたいものです。

 「吉備津宮を過ぎ宮内とかや申して、主に旅の衆に投げの情けをかけまくもかしこき手管ありや無しや女郎達の居たまうところなりと往時を懐かしむ吉備の中山の峰峰を掻ける下る風背に受け、古やかなる鳥居くぐりて、それよりやや坂道にかかり石多き路をたどりて進む。いにしえの屋舎の門に真真新しき注連縄などみえ、昔ながらの情緒ゆかしき風情漂い面白し。
 ややありて対岸の岩聳えて、滝宮に涿水の掛井もあり、景色も眼覚むる心地す。
 沢に従い人径の許すばかりの小道に至れり。さらに登り行けば聞きしに違わで流れの態も尋常ならず、あるかなしかの水粛々として重畳たる巌渓を流れ下る。潺流罅を行く風情まことに塵外の思いを発せしむ。その音まことにさやけし。
 今、万葉散り寂寞としたる小径なれど、桜の樹さえ少なからず見ゆれば、花時の眺望如何に清絶美絶なるらむ、想いやるだに、今は枯れ果て絶えし松の翠の間を佐保姫の刺繍して出す桜花甲所に一簇の雪乙所に一団の白雲と現じなばわずかばかりの流れにも巖にも一倍の光彩を発して水妙香を伝え石落紅を点ずる風流実に賞するに足る事なるべし。

 
 まあ、続けると限がないので、この辺で打ち切りますが、ここの眺めは「絶景なり」と賞した石川氏にも一度見せたいものであります。

 その細谷川の小路を登っていきますと、やがて、当の「高尚」の句碑に出会います。小笹がその回りに生い茂り、誰も省みそうに無い場所に淋しく立って居ます。
 桜と松をこよやなく愛した高尚の記念碑にしてはお粗末過ぎます。その刻した字も風雨に崩れて読むことすら出来ない状態で立っています。
 栄枯盛衰を目の当たりにする心持でそっとその句碑に一礼して御陵を目指しました。

 石碑に刻してある高尚の和歌の字は読めませんが、案内板によると

   ・露深き 谷の桜の 朝しめり
              見し夕暮の 花はものかは
   ・もみじ葉は 谷ふところに かくしたる
              千いほの玉の 林なりけり

 の2首だそうです。
 
 明日は(その3)を書きます。では、今日はこれで。  

七草粥を作る

2007-01-07 16:25:19 | Weblog
 今日は七草、朝からである。
 「わが衣手に雪」を、と、思いつつ、玄関先に出でたまではよかったのですが、余の横殴りの吹雪にたじろぎ、家へと駆け込み戻りました。    
 昔の人の思いに至るには相当の苦労が要ることもよく分りました。
 それにしても、実にタイミングのよい今年の春です。
 
 それからしばらくは降りまた止みを繰り返しながら、お昼前まで続いていました。
 孫達が旅行から帰ったと言う知らせを受け、雪の止んだ、北風だけが相も変わらず吹きすさぶ、春の野に出でて若菜を摘みました。
 「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざ」は、たやすく吉備の野道から見つけられました。すずなとすずしろはわが畑から取り入れ、七草を孫達にも届けてやりました。
 暖かい日なら孫達と一緒に七草を探すのですが、今年は、風邪気味だということで私一人で採って来ました。
 昔ながらの風習を体験させておくのもと思い、毎年家人に笑われながらも 続けております。