平資盛との恋を通して見た、歴史から追いやられていった平家の人々の波乱万丈の出来事を、和歌を中心にして書き綴った「建礼門院右京太夫集」という本があります。
この中には、平家討滅を企てた鹿谷の密議に加わった成親を取り巻く女性達の姿も多く見られます。
これら女性達の姿を通して、悲喜交々とした哀切たる思いを余すところなく書き綴るながら、人間の阿呆らしさと言いましょうか、歴史の中にしょうことなく流され去ってしまった人間のいい加減さにうんざりした、鋭い女性の感性みたいなものを感じさせられます。
そんな歴史の彼方に繰り込まれていった女性達を、女性たるがゆえの哀れさを、何か一歩退いて見た、愚かしい、虚しい人間の生を切々と訴えているように思われます。
この「太夫集」に、成親の北の方、京極殿とのやり取りの文が見えます。
・いかばかり 枕の下も こほるらむ
なべての袖も さゆるこのごろ
(どんなにか流れる涙であなたの袖は凍り付いてしまっている事でしょう。事 件と関係のない私みたいな者の袖も、この頃はしきりに冷たく凍り付いてしまっていますよ)
なお、成親が捕らえられたのは冶承元年(1177年)5月29日で、難波 経遠の手の者によって有木山中で惨殺されたのは、7月9日であるとされています。経遠は、一宮にいて、当時、海であった備前の穴海を支配していた平氏の武将です。
この右京太夫のこの歌に対して、京極殿は、次のような歌を「かへし」ています。
・ 床のうえも 袖も涙の つららにて
明かす思ひの やるかたもなし
「やるかたもなし」と、たった7字の文字で、この歌を結んではいますが、あきらめきれない女の思いと言うよりも、人としての尊厳の尊さを、時の権力に対して一杯に主張してるように、私には思われます。
いい加減にしてください。男も女も、みんな一生懸命に、この浮世に生きているのですよと。そんなに簡単に、人が殺されてたまるものですか、と。
又もう一首
・ 日に添えて あれゆく宿を 思いやれ 人を偲ぶの 露にやつれて
(日に日に住まいは荒れていきます。それとともに、夫を偲ぶ思いが日毎に深くなってゆきます。そんな思いは、荒れゆく庭に咲く「しのぶ草」にも通じたのか 私の涙となった露が、いっぱいにその上に置いていることですこと。
露にさへ負けそうな今の私の気持ち誰か分ってくださる)
なお、この京極殿は藤原俊成の娘です。定家の姉です。
今日はちょっぴり和歌の世界に入っていき過ぎたようです。
これは余計な事ですが、私は、この建礼門院右京太夫が、平安の女性の中では最も好きな人です。
写真は、成親の墓にお供えしていた銅貨です。
この中には、平家討滅を企てた鹿谷の密議に加わった成親を取り巻く女性達の姿も多く見られます。
これら女性達の姿を通して、悲喜交々とした哀切たる思いを余すところなく書き綴るながら、人間の阿呆らしさと言いましょうか、歴史の中にしょうことなく流され去ってしまった人間のいい加減さにうんざりした、鋭い女性の感性みたいなものを感じさせられます。
そんな歴史の彼方に繰り込まれていった女性達を、女性たるがゆえの哀れさを、何か一歩退いて見た、愚かしい、虚しい人間の生を切々と訴えているように思われます。
この「太夫集」に、成親の北の方、京極殿とのやり取りの文が見えます。
・いかばかり 枕の下も こほるらむ
なべての袖も さゆるこのごろ
(どんなにか流れる涙であなたの袖は凍り付いてしまっている事でしょう。事 件と関係のない私みたいな者の袖も、この頃はしきりに冷たく凍り付いてしまっていますよ)
なお、成親が捕らえられたのは冶承元年(1177年)5月29日で、難波 経遠の手の者によって有木山中で惨殺されたのは、7月9日であるとされています。経遠は、一宮にいて、当時、海であった備前の穴海を支配していた平氏の武将です。
この右京太夫のこの歌に対して、京極殿は、次のような歌を「かへし」ています。
・ 床のうえも 袖も涙の つららにて
明かす思ひの やるかたもなし
「やるかたもなし」と、たった7字の文字で、この歌を結んではいますが、あきらめきれない女の思いと言うよりも、人としての尊厳の尊さを、時の権力に対して一杯に主張してるように、私には思われます。
いい加減にしてください。男も女も、みんな一生懸命に、この浮世に生きているのですよと。そんなに簡単に、人が殺されてたまるものですか、と。
又もう一首
・ 日に添えて あれゆく宿を 思いやれ 人を偲ぶの 露にやつれて
(日に日に住まいは荒れていきます。それとともに、夫を偲ぶ思いが日毎に深くなってゆきます。そんな思いは、荒れゆく庭に咲く「しのぶ草」にも通じたのか 私の涙となった露が、いっぱいにその上に置いていることですこと。
露にさへ負けそうな今の私の気持ち誰か分ってくださる)
なお、この京極殿は藤原俊成の娘です。定家の姉です。
今日はちょっぴり和歌の世界に入っていき過ぎたようです。
これは余計な事ですが、私は、この建礼門院右京太夫が、平安の女性の中では最も好きな人です。
写真は、成親の墓にお供えしていた銅貨です。