私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

宇賀神社って知っている。

2006-10-27 22:16:20 | Weblog
 松並木の参道を神社に突き当たり、右に回ると道の右側に御手洗池が見えてきます。この池の中に、真っ赤なやけにはではでしい小さなお社があります。これが宇賀神社です。
 元禄4年(1696年)の吉備津宮御絵図によると、このお社を「弁財天」と、また、現在の案内板には、最古の稲荷神社だと記されています。
 宇賀神社、弁財天、稲荷神社、果たして、いずれが本当の名前なのでしょうか?

 喜田貞吉の本、「福神研究」によると、結局、この宇賀神は、もともとは、穀物の神であったものが、次第に食物の神に、又食膳の神に、さらには衣食を給する神に、果ては、広く福神にまでその信仰が広まったようである。
 それが日本各地に広まるにつれ、蛇神、弁財天、稲荷神、更に狐神茶吉尼(だぎに)天とも無理にこじつけられて、その区別が、甚だ複雑怪奇に、また、曖昧になって信仰を得るようになったのだそうです。
 それが、七福神信仰が広く定着すつ様になった室町以降は、福神として呼ばれることが少なくなったようですが、依然として、一部には稲荷人を始として、福神としての民間信仰を保っているようです。

 この宇賀神社が、始は「弁財天」「稲荷神」と呼ばれていたのも間違いではないようです。

 日本各地の宇賀神社
 ・大和の広瀬神社、別名;広瀬坐和加宇加乃売神社
 ・伊勢桑名の宇賀神社
 ・滋賀県神崎郡の宇加神社
 ・島根県出雲郡の宇加神社などがあります。

 吉備津神社内に、どうして宇賀神社が祭られたのか、まだまだよくわからないことがたくさんあります。
 なお、直ぐ後ろにある普賢院の住職さんは
 「元々、水を司る仏、弁天さんがお祭りしてあって、それが、宇賀神社に変化したのでは」
 と説明しておられましたが、それが正しいのかもしれませんが。